• このエントリーをはてなブックマークに追加

p_fさん のコメント

userPhoto
p_f
>>51
■捕食者は弱気を察知する

実のところ、ロシアは西側の政治家たちに、現実主義の専門家たちの評価を疑う理由を与えたのだ。

「1990年代、そして2000年代初頭、ロシアは弱く見えた。NATOの拡大に対し、ロシアは決定的かつ明確な反対姿勢を示さず、さらに、その拡大がある程度容易になった」とススロフ氏は言う。

1997年に調印された「建国法」の存在そのものが、モスクワがNATOの拡張に目をつぶる用意があることを西側諸国に確信させたというのが、彼の意見である。

この文書は、ロシアのウクライナ攻撃開始までの過去25年間のロシアとNATOの関係を決定づけた。それは、ヨーロッパ諸国が「自国の安全を確保するための手段を選択する」という固有の権利に対する当事者のコミットメントを再確認するものであった。

長年にわたり、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長は、ロシアがジョージアやウクライナの同盟加入に口を出さなかった理由を説明するために、この公式を使用してきた。

「確かに、ロシアはその文書でいくつかの重要な条項を確保していたが、同時に、拡大に関する取引は可能であるというシグナルを与えた。一般的に、この法律は、ロシアがNATOや加盟国に対して戦争をしないことを示した」とススロフ氏は述べた。

しかし、西側諸国の政治家にとって、ロシアが拡張を容認する用意があると確信したのは、ラトビア、リトアニア、エストニアの旧ソ連邦の加盟であった。

不思議なことに、この議論が始まったばかりの1997年、当時上院外交委員会の委員長だったジョー・バイデンは、ロシアはNATOがポーランド、ハンガリー、チェコを軍事同盟に受け入れることには賛成できるが、バルト諸国は一線を画すと主張した。

「短期的にはバルト三国を加盟させることが最も大きな混乱を招くと思う」と、未来のアメリカ大統領は言った。

結局、バルト三国は同盟に加盟することになった。2002年に招待を受け、2004年に正会員になった。

「ロシアはどう反応したのか。また何もしなかった。NATOがジョージアとウクライナに拡大しようとしたときだけ、本当に反対を唱えた。だから今のようなことになった」とススロフ氏は言う。
No.52
32ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。