記事へ戻る 中庸左派さん のコメント 中庸左派 >>21 >「小学生的で意味不明」といっておられる。まじめに考えておられるようなので、 いえ、違います。りゃん氏の発言は、「またいってるよ」としか思いません。私はchangeさんが、りゃん氏のような「小学生的で意味不明」の人物を評価したことに興味を持ちました。 >りゃんさんの意図は分かりませんが、私がりゃんさんの発言の趣旨を理解する範囲で説明いたします。米兵一人殺さない=デモなど具体的行動をとらないヒトビト 反米=勇ましい言葉をつかう口先だけのヒトビト >「米兵ひとり殺さない反米のヒトビト」に対しては、、正しいと言い切れませんが、間違ってはいないと考えています。 なるほど、changeさんの解釈によると、このりゃん氏の発言は、人間の思想と行動の関係を問う、まさに哲学的問題提起というわけですね。その意味では、この孫崎先生のブログでの意見交換に値するテーマです。 ですから、さっそく質問お許し下さい。「「米兵ひとり殺さない反米のヒトビト」に対しては、、正しいと言い切れませんが、間違ってはいないと考えている」changeさんのお考えをお聞かせ下さい。 反米=アメリカに反対するという考え方は、まさに思想の範疇ですね。そして反対するという思想を行動で示す際には、常にアメリカ兵を殺さなければいけないかどうか?もっと一般化して言えば、反対する以上、その対象や他者は絶滅させなければならないかどうか。 自分に対する反対勢力絶滅支持なら、イエス、違うならノーでお答え下さい。 もう一つ、一般にネット上において、軽々しく殺人の督励するかの書き込みをする人は、人倫、社会常識、道徳に照らして、尊敬に値する人物かどうか。 尊敬に値するならイエス、値しないならノーでお答え下さい。(あくまで、一般論として、聞いています。changeさんと、りゃん氏の日頃のやりとりから、changeさんのりゃん氏への忖度や庇う気持ちはよく分かりますから、りゃん氏云々は横において、あくまでも一般論としてお答え下さい) >りゃんさんの言っていることは理解しますが、「イエスでもノーでも」ありません。貴方に対しても、「よくわかりました」といいましたが、「イエスともノーとも」いっていません。あえて答えるとすれば、「イエスでありノーでもある」肯定できる内容もあれば肯定できない内容もあるからです。 なるほど、全面的な意見の一致は確かに通常あまりないですね。だからこそ、上記の具体的なピンポイントの質問ならイエス、ノーでお答えいただけるものと存じます。 >「米兵ひとり殺さない反米」だからダメだとはおもいません。わたしもそのひとりです。 上記はりゃん氏のコメント。りゃん氏の器、人物像はこの発言からよく分かります。軽々しいコトバを弄しては、サヨクに不満をぶつけるだけの人でしょう。世の中によくいる人。論理でなく、私怨の人でしょう。自分を省みるのが怖いから、他者、ここではサヨクを揶揄して悦に入る。こういう人物について、人生の年輪を重ね、ご見識深いと拝察されるchangeさんが「御主旨よく理解できます」とおっしゃっていたことに、いささか驚きを持ってしまいました。ですので、失礼、ご無礼はお詫びしつつも、是非ご見解を伺いたいと存じます。 しかし、不思議なのはりゃん氏は「他人を反米じゃないと罵」られている、と感じているようなのです。りゃん氏の発言は普通に親米、文字通りの親米です。私は少なくとも、罵っているのではなく、りゃん氏の発言から、そのように規定しているだけ。逆にどう表現したら良いのでしょうか?なぜ、りゃん氏は簡単に自分を「被害者」の立場に置こうとするのでしょうか?changeさんは理由がわかりますか? No.22 23ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 醜い。報道に事実伝達の客観性喪失:米主要紙、2024 年大統領選に向けたトランプ大統領の発表... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
中庸左派 >>21 >「小学生的で意味不明」といっておられる。まじめに考えておられるようなので、 いえ、違います。りゃん氏の発言は、「またいってるよ」としか思いません。私はchangeさんが、りゃん氏のような「小学生的で意味不明」の人物を評価したことに興味を持ちました。 >りゃんさんの意図は分かりませんが、私がりゃんさんの発言の趣旨を理解する範囲で説明いたします。米兵一人殺さない=デモなど具体的行動をとらないヒトビト 反米=勇ましい言葉をつかう口先だけのヒトビト >「米兵ひとり殺さない反米のヒトビト」に対しては、、正しいと言い切れませんが、間違ってはいないと考えています。 なるほど、changeさんの解釈によると、このりゃん氏の発言は、人間の思想と行動の関係を問う、まさに哲学的問題提起というわけですね。その意味では、この孫崎先生のブログでの意見交換に値するテーマです。 ですから、さっそく質問お許し下さい。「「米兵ひとり殺さない反米のヒトビト」に対しては、、正しいと言い切れませんが、間違ってはいないと考えている」changeさんのお考えをお聞かせ下さい。 反米=アメリカに反対するという考え方は、まさに思想の範疇ですね。そして反対するという思想を行動で示す際には、常にアメリカ兵を殺さなければいけないかどうか?もっと一般化して言えば、反対する以上、その対象や他者は絶滅させなければならないかどうか。 自分に対する反対勢力絶滅支持なら、イエス、違うならノーでお答え下さい。 もう一つ、一般にネット上において、軽々しく殺人の督励するかの書き込みをする人は、人倫、社会常識、道徳に照らして、尊敬に値する人物かどうか。 尊敬に値するならイエス、値しないならノーでお答え下さい。(あくまで、一般論として、聞いています。changeさんと、りゃん氏の日頃のやりとりから、changeさんのりゃん氏への忖度や庇う気持ちはよく分かりますから、りゃん氏云々は横において、あくまでも一般論としてお答え下さい) >りゃんさんの言っていることは理解しますが、「イエスでもノーでも」ありません。貴方に対しても、「よくわかりました」といいましたが、「イエスともノーとも」いっていません。あえて答えるとすれば、「イエスでありノーでもある」肯定できる内容もあれば肯定できない内容もあるからです。 なるほど、全面的な意見の一致は確かに通常あまりないですね。だからこそ、上記の具体的なピンポイントの質問ならイエス、ノーでお答えいただけるものと存じます。 >「米兵ひとり殺さない反米」だからダメだとはおもいません。わたしもそのひとりです。 上記はりゃん氏のコメント。りゃん氏の器、人物像はこの発言からよく分かります。軽々しいコトバを弄しては、サヨクに不満をぶつけるだけの人でしょう。世の中によくいる人。論理でなく、私怨の人でしょう。自分を省みるのが怖いから、他者、ここではサヨクを揶揄して悦に入る。こういう人物について、人生の年輪を重ね、ご見識深いと拝察されるchangeさんが「御主旨よく理解できます」とおっしゃっていたことに、いささか驚きを持ってしまいました。ですので、失礼、ご無礼はお詫びしつつも、是非ご見解を伺いたいと存じます。 しかし、不思議なのはりゃん氏は「他人を反米じゃないと罵」られている、と感じているようなのです。りゃん氏の発言は普通に親米、文字通りの親米です。私は少なくとも、罵っているのではなく、りゃん氏の発言から、そのように規定しているだけ。逆にどう表現したら良いのでしょうか?なぜ、りゃん氏は簡単に自分を「被害者」の立場に置こうとするのでしょうか?changeさんは理由がわかりますか? No.22 23ヶ月前 Post このコメントは以下の記事についています 醜い。報道に事実伝達の客観性喪失:米主要紙、2024 年大統領選に向けたトランプ大統領の発表... 孫崎享のつぶやき 元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。 » このブロマガへ
>「小学生的で意味不明」といっておられる。まじめに考えておられるようなので、
いえ、違います。りゃん氏の発言は、「またいってるよ」としか思いません。私はchangeさんが、りゃん氏のような「小学生的で意味不明」の人物を評価したことに興味を持ちました。
>りゃんさんの意図は分かりませんが、私がりゃんさんの発言の趣旨を理解する範囲で説明いたします。米兵一人殺さない=デモなど具体的行動をとらないヒトビト 反米=勇ましい言葉をつかう口先だけのヒトビト
>「米兵ひとり殺さない反米のヒトビト」に対しては、、正しいと言い切れませんが、間違ってはいないと考えています。
なるほど、changeさんの解釈によると、このりゃん氏の発言は、人間の思想と行動の関係を問う、まさに哲学的問題提起というわけですね。その意味では、この孫崎先生のブログでの意見交換に値するテーマです。
ですから、さっそく質問お許し下さい。「「米兵ひとり殺さない反米のヒトビト」に対しては、、正しいと言い切れませんが、間違ってはいないと考えている」changeさんのお考えをお聞かせ下さい。
反米=アメリカに反対するという考え方は、まさに思想の範疇ですね。そして反対するという思想を行動で示す際には、常にアメリカ兵を殺さなければいけないかどうか?もっと一般化して言えば、反対する以上、その対象や他者は絶滅させなければならないかどうか。
自分に対する反対勢力絶滅支持なら、イエス、違うならノーでお答え下さい。
もう一つ、一般にネット上において、軽々しく殺人の督励するかの書き込みをする人は、人倫、社会常識、道徳に照らして、尊敬に値する人物かどうか。
尊敬に値するならイエス、値しないならノーでお答え下さい。(あくまで、一般論として、聞いています。changeさんと、りゃん氏の日頃のやりとりから、changeさんのりゃん氏への忖度や庇う気持ちはよく分かりますから、りゃん氏云々は横において、あくまでも一般論としてお答え下さい)
>りゃんさんの言っていることは理解しますが、「イエスでもノーでも」ありません。貴方に対しても、「よくわかりました」といいましたが、「イエスともノーとも」いっていません。あえて答えるとすれば、「イエスでありノーでもある」肯定できる内容もあれば肯定できない内容もあるからです。
なるほど、全面的な意見の一致は確かに通常あまりないですね。だからこそ、上記の具体的なピンポイントの質問ならイエス、ノーでお答えいただけるものと存じます。
>「米兵ひとり殺さない反米」だからダメだとはおもいません。わたしもそのひとりです。
上記はりゃん氏のコメント。りゃん氏の器、人物像はこの発言からよく分かります。軽々しいコトバを弄しては、サヨクに不満をぶつけるだけの人でしょう。世の中によくいる人。論理でなく、私怨の人でしょう。自分を省みるのが怖いから、他者、ここではサヨクを揶揄して悦に入る。こういう人物について、人生の年輪を重ね、ご見識深いと拝察されるchangeさんが「御主旨よく理解できます」とおっしゃっていたことに、いささか驚きを持ってしまいました。ですので、失礼、ご無礼はお詫びしつつも、是非ご見解を伺いたいと存じます。
しかし、不思議なのはりゃん氏は「他人を反米じゃないと罵」られている、と感じているようなのです。りゃん氏の発言は普通に親米、文字通りの親米です。私は少なくとも、罵っているのではなく、りゃん氏の発言から、そのように規定しているだけ。逆にどう表現したら良いのでしょうか?なぜ、りゃん氏は簡単に自分を「被害者」の立場に置こうとするのでしょうか?changeさんは理由がわかりますか?
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