• このエントリーをはてなブックマークに追加

ゲストさん のコメント

 この種の議論には、問題提起時点で、一種の未整理というか混同があると思う。比喩的な例になるが、それで論じてみよう。人間が根源的に社会的動物だと言われるその例について。
 人間にとって「我」と「他者」は明確かつ厳然と別物である。がこの両者は他方で、我の中に他者があり、他者と言えどもどこまで行っても我の目で見てきた他者である。このことは本質的に、以下のようにも言い換えられよう。身体的もしくは心理的個人と、哲学的個人とは先ず別物として、異なる対象、異なる論議になる。そして、この後者は、他者を内に含んだ社会的人間総体を捉えようとするものだろう。「汝自身を知れ」、「我疑う、故に我あり」、「人間は考える葦である」、「精神とは自覚のことである」などはすべてそういう「対象」に関わる思考になる。だからといって、純粋な「我」が何か損なわれたとかいうことでは全くなくって、むしろこの「我」の方こそが、存在し得ない一種の抽象物にすぎないものなのだろう。(文科系)
No.7
14ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。