• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

2023年4月21日 東京新聞

<旧ソ連で抑圧された作曲家ショスタコービッチ一筋30年都内楽団「ダスビダーシャ」。国家への皮肉、戦争への抗議。「暗号」を解く>

クラシック音楽以外になじみが薄いが、その作品一筋に30年間取り組むアマチュア・オーケストラが東京にある。2月東京芸術劇場で行われたオーケストラ「ダスビダーシャ」のコンサートで交響曲第四番が圧倒的な追力で演奏された。
最初の演奏会は1993年以来29回の定期演奏会で毎回この作曲家の交響曲を取り上げてきた。

若くして名声を得ながら29歳の時オペラがプラウダで「荒唐無稽」ともう批判された。背景にはスターリンの不満があった。テーマは女性の不倫や殺人などがあり社会主義国に不適当と烙印を押された。粛正が横行し芸術家も収容所送りや処刑が例外ではなかった。ショスタコービッチは死の恐怖を抱えながら国家に迎合する曲も書き生き抜いた。残した交響曲15曲。国家に対する皮肉や戦争や虐殺への抗議、さまざまなメッセージが音楽上の「暗号」として楽譜に込められているとみなされている。

スターリン時代と同じように強権的なプーチン大統領の下ロシアでは芸術作品でも反戦や反政府の姿勢を示すことはできないと東京新聞記者は締めている。

No.6
9ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
クラシック音楽と政治で最も有名なエピソードはショパンとポーランドの蜂起であろう。 「 1830 年 11 月 29 日、ポーランド憲法に対する帝政ロシアの度重なる違反に嫌気がさしたポーランド士官候補生が駐屯地から武器を盗み、翌日までにロシア軍をワルシャワ市から撤退させた。この出来事が 11 月蜂起のきっかけとなり、それは 1 年近く続いた。 ショパンは蜂起拡大のわずか数週間前にワルシャワを離れていた。彼の友で旅の同行者である・ヴォイチェホフスキはポーランドの大義に参加するために引き返した。 1831 年 9 月にウィーンからパリへ旅行中に、反乱が鎮圧されたという知らせが彼に届いた。  この時の感情がこれらの感情は「革命」エチュードに音楽的な表現を見つけた。」(出典 classicalconnect.com )  政治と音楽の関係で、欠かせないのはショスタコヴィチの交響曲第7番レニングラードであろう。1941年12月に完成し
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。