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りゃんさん のコメント

唐への漢族の影響には議論がありますが、漢族の王朝でないことはたしかです。芥川の杜子春を読んでみると、当時の長安の国際的・開放的な様子が(もちろん芥川の想像で)描かれていますが、そういう雰囲気の中で、吉備真備は頭角をあらわしたのでしょう。わたしはある時期から現在の中華人民共和国のことを世間一般のように「中国」とは呼ばず「中共」と呼ぶことにしていますが、場所こそ同じ中国大陸(厳密に同じではなく、また拡大収縮もある)ですが、むしろ同じではない国々が盛衰していった歴史とみるのが中国史だという理解のほうが、今の中共をよく理解できるとおもうようになったことが理由ですね。

橋本龍太郎は、記事中にあるように、中共にとっては「恩人」といっていいような面のある政治家ですが、彼が中共のしかけたハニートラップにがっちり絡め取られていたというのは、まあ常識なのではないでしょうか。

中共と友好するのは良いのです。わたしも無用な対立をすべきとおもっているわけではない。しかし、たとえば上にあげた事例やそれだけでなく色々と考えてみるみないが、決定的に重要なのでしょう。別に相手が中共でなくても同じですけれどね。
No.2
8ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
日本の歴史の中で、 吉備真備 (持統天皇 9 年・ 695 年―宝亀 6 年・ 775 年は特異な存在である。古代、中世、日本の政治に関与した重要な人物は天皇家等と姻戚関係があり奈良・京都に生まれた人物である。吉備真備は右大臣にまで昇進しているが、 現倉敷市で生まれ ている。地方出身者としては破格の出世である。、学者から立身して大臣にまで至ったのも、近世以前では吉備真備と菅原道真の二人とおわれている。 彼が重用された基礎は遣唐使一行として中国に二度渡ったことにある。一度目は唐で学ぶこと18年に及び、遣唐留学生の中で、唐で名を上げたのは真備と阿倍仲麻呂の二人と言われている。その縁で、岡山市は洛陽市と姉妹都市だ。 中国の文学者に郭沫若がいる。 郭沫若は 1922 年処女詩集『女神』を発表。文学史において、『女神』は五四時期浪漫主義思潮の代表作とされている。雰囲気を見るため、一部を掲載する。「 〔女神之一〕自从 炼 就五色彩石   曾把
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。