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フレデイ タンさん のコメント

GHQ、その後の米国大使館は折角獲得した日本を半植民地として維持すべくあの手この手と大変だったんでしょうね。日本のナショナリストとコミュニストには厳戒態勢で臨み必要に応じて弾圧、抹殺したんでしょう。その為の手先として警視庁と検察庁が米国側に滅私奉公したんでしょうね。秦野章や佐々準行は米国サイドの秘密のオペレーションの周辺で粉骨砕身を強いられていたんでしょうね。

秦野章や佐々淳行がその後表舞台で一応もてはやされたのも米国サイドの後押しがあったからでしょうね。ああだこうだと言いながら、今じゃ、日本全体が1930年代の反植民地時代の上海を彷彿させます。

こうなった以上は、ナショナリズムは無理にしても、ミリタリズムだけは御免蒙りたいものです。
No.2
8ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
私は、基本的に日本の犯罪は追っかけない。自分の範囲は主として国際関係、それとの関係での日本政治である。日本国内の犯罪は追わない。   『闇の盾』 の章立ては次のようになっている。 第一章 渋谷ライフル銃事件 放し飼い/番長の掟/昭和三五年、警視庁入庁/警察学校「二等兵物語」海の最前線/沖仲仕と「黄色い血」事件/キャバレー美人座、首都高速でフルスロットル/「貴族の一機」/デモ隊、立川基地に乱入、銃砲店に立てこもった男/犯人を撃ってもいいのか/賞詞二級と警視総監、第二章 秦野章と田中角栄、三億円事件の「被疑者」/型破りの巡査/銀座デビューと「B反屋」、立志伝中の警察官僚/秦野章の私設秘書として/叱責、叱責、また叱責、田中派大集会/ミスター検察への怒り/「角栄は日本の宝です!」、三田のビルと平和相銀融資等となっている。  著者は「:寺尾 文孝 1941 年、長野県佐久市出身。、 1960 年警視庁入庁。東京水上署、
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。