changeさん のコメント
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禅の言葉、「不立文字」について、鎌倉時代に凝然( 1240-1321 )が書いた『八宗綱要』には「達磨西来、不立文字、直指人心、見性成仏」があります。鎌田茂雄氏の訳をお借りすれば、「達磨が中国へ来て禅宗を伝えた。その教えは文字によることなく、直ちに人心を見て、自己の本性を徹見して成仏することを説いた」の解説があります。すでに見た『伝心法要・宛陵録』で「此一心即ち仏なり、仏と衆生と更に別異なし」「唯、是の衆生は相に著して外に求め、之を求むるに轉た失す」、「法身の説法は言語音声形相文字を以って求むべからず。自性虚通なるのみ」とあるのを見た。 これは多くの宗教と異なる。キリスト教であれ、イスラム教であれ、ユダヤ教であれ、絶対神が存在し、絶対神が人類に与えた教えを守ることを主たる目的とする。「モーセが神から与えられたとされる 10 の戒律」が代表例である。①わたしのほかに神があってはならない。②あなたの神、
創造するのは一人一人の人間であるが、あらゆる事象を頭の中にインプットできる。できないのは、先入観で物事を分別するからです。執着心から解放されることが一番大切なことであり、執着すれば、「時、場所、人」の在り方が自由自在でなく何かにとらわれた言動となってしまう。
現実の世界は、「時、場所、人」の在り方が、国家の違い、男女の違い、宗教の違い、人種の違い、機能障害の違いなど
あらゆることに違いがあり対立があり、紛争から戦争に発展してしまう。
顕著な例は、現在自民党総裁選で「選択的夫婦別姓」を訴えている候補者がいる。
現在、結婚前から使用している旧姓で活躍されておりほとんどの人は不都合を感じていないでしょう。夫婦間はすでに別姓が通用しているが、子供に対しての姓名が父親か母親かを選択してしまうと、子供に不都合が生じることもある。個人的には現在問題が出ていなければ、子供に選択権を与えないことは、許容することはできない。許容できる人もおりすでに30年ぐらい前から出ている問題であるが、今急いで結論を出すことに賛成できない。
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