おはようございます、マクガイヤーです。
なんだか毎日忙しくて、なかなか『ドラクエ3』をプレイできていません。先日発売された『FANTASIAN Neo Dimension』も気になるところなので、早いとこクリアしたいのですが、なんともし難いのが辛いところです。
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
〇12月29日(日)16時~「Dr.マクガイヤーのオタ忘年会2024」
例年お楽しみ頂いている「オタ忘年会」あるいは「オタ新年会」。
今年も2024年に語り残したオタク的トピックスやアイテムについて独断と偏見で語りまくる予定です。
ゲストとして編集者のしまさん(https://twitter.com/shimashima90pun)をお迎えしてお送り致します。
ちなみに過去の忘年会動画はこちらになります。
2023年(2024年新年会)
2022年(2023年新年会)
〇12月30日(月)9時30分~「町山智浩とDr.マクガイヤーの2024映画ベストテン」(いつもと放送時間が異なります、ご注意ください)
能登半島地震、アメリカ大統領選挙、韓国戒厳令騒動……激動の2024年も暮れようとしています。
映画評論家の町山智浩さん(https://twitter.com/TomoMachi)と、お互いに2024映画ベストテンを挙げ、トークを行います。
ちなみに2023年のベストテン動画はこちらになります。
1年の締めくくりにどうぞ!
〇1月5日(日)19時~「最近のマクガイヤー 2025年1月号」
詳細未定
いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
〇1月27日(月)19時~「『劇映画 孤独のグルメ』と『孤独のグルメ』の文学性」
2025年1月10日に『劇映画 孤独のグルメ』が公開されます。主人公 井之頭五郎を演じる松重豊自身が監督・脚本・主演のすべてを務めることでも話題です
漫画『孤独のグルメ』を原作としたテレビドラマ『孤独のグルメ』は10シーズン、大晦日スペシャルやスピンオフも多数製作され、大ヒットしました。その後、深夜帯で食をテーマとしたドラマが多数放送されるようになり、一つのジャンルを産むことにもなりました。
また、久住昌之 原作を谷口ジロー 作画による漫画『孤独のグルメ』は単行本第一巻分が1994~1996年にかけて『月刊PANJA』で連載された後、ネットを中心として盛り上がりを受けて、『SPA!』誌上で2008~2015年まで単行本第二巻分が不定期掲載されました。2017年に谷口ジローが死去したため続編が描かれることはありませんが、この前後で久住昌之は食を題材とした様々な漫画原作とエッセイを発表しています。そのどれにも共通した要素――「孤高にものを食べるという行為こそ、最高の癒し」――があります。これらは、大袈裟にいえば、夏目漱石や池波正太郎の諸作品に代表されるような、人生のあれやこれやを食と関連づけてどう描写するかという、日本文学の流れの上に存在するのではないでしょうか。
そこで、『劇映画 孤独のグルメ』を解説しつつ、食をテーマとした他のドラマや、久住昌之作品における食と文学性について語るような放送を行います。
〇藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の作品評論・解説本の通販をしています
当ブロマガの連載をまとめた藤子不二雄Ⓐ作品評論・解説本『本当はFより面白い藤子不二雄Ⓐの話~~童貞と変身と文学青年~~』の通販をしております。
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また、売り切れになっていた『大長編ドラえもん』解説本『大長編ドラえもん徹底解説〜科学と冒険小説と創世記からよむ藤子・F・不二雄〜』ですが、この度電子書籍としてpdfファイルを販売することになりました。
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合わせてお楽しみ下さい。
さて、本日のブロマガですが、先日の放送のまとめとして、『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』について書かせて下さい。ネタバレというか、後半の展開に触れますのでご注意下さい。
●リドスコにしては珍しい続編らしい続編
ある時期まで、リドリー・スコットは自作の続編を作らない監督だと思ってました。アーティストであるリドスコの興味は常に新しい世界観を映像化することにあり、過去作と同じあるいは延長線上の世界観には興味が無いものと思っていたのです。『エイリアン3』の時点でスケジュールが許せば監督したいという意向があったことを知るのは、大分後になってからでした。
その後、リドスコが監督した『プロメテウス』はかなりクセのある『エイリアン』の前日譚でしたし、その続編『エイリアン: コヴェナント』では、マイケル・ファスベンダー演じるアンドロイド、デヴィッド以外のキャラクターは全員死亡していました。『ハンニバル』は他人の監督作の続編でした。『悪の法則』以降の厭世観たっぷりの作風も相まって、素直な続編なんて絶対に作らないぞという意思を感じたものです。
それが『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』では覆されました。ローマ軍の侵攻で妻を喪い剣奴となる主人公ハンノは、中盤で前作主人公マキシマスの息子ルシアスであることが判明します。つまり貴種流離譚です。もう一人の主人公ともいえるアカシウスは、ルシアスの母ルッシラの再婚相手であり、皇帝の命令で他国を侵略するローマの将軍です。マキシマスの要素がハンノとアカシウスに分割されて受け継がれているわけです。冒頭に大規模な戦闘があり、その後はコロッセオでのバトルの間に政治劇が描かれるという構成も前作に倣っています。つまり、リドスコにしては珍しい続編らしい続編です。
●史実よりエンタメ
更に、続編らしく様々な要素がド派手にスケールアップしています。
一番スケールアップしたのは戦闘でしょう。剣奴となったハンノは様々な相手と戦わせられる羽目になるのですが、最初の相手は巨大なヒヒです。……いや、ヒヒにしては毛が無く、獰猛で、巨大すぎます。まるで半人半獣のモンスター、哺乳類版エイリアンのような存在です。リドスコは「南アフリカ共和国のヨハネスブルグで観光客を襲ったヒヒの映像に恐怖を覚えたことが、このシーンを映画に入れるきっかけとなった」そうです(https://jp.ign.com/gladiator-2/71672/news/)。
次にハンノが戦わせられるのはサイなのですが、ただのサイではありません。剣闘士が馬のように騎乗し、自在に操られ、ハンノたちを角でカチあげます。野生動物であるサイをこのように躾けるのは困難を通り越してほとんど不可能だと思うのですが、本作では面白さを優先しています、恐竜に騎乗する『のび太と竜の騎士』を連想してしまったりもしました。
最高だったのは模擬海戦のサメです。
実際にコロセウムに水が貯められ、模擬海戦が行われたことは、ローマの歴史家による記録にきちんと残っているそうです。ローマが大都市として発展した理由の一つに、ローマ水道による豊富な水の供給がありました。水を存分に使えたからこそ、コロセウムに水を張り、模擬海戦が出来たわけです。ローマン・コンクリートという防水技術もありました。地下を通って剣闘士や猛獣が出現する「迫」の機構が作られて以降は水が張られることは無かったそうですが、本作のように深く水を張り、船を使った興行を開催することは、映画のウソとしてまだ許容できます。
しかし、そこにサメがいて、船から落ちた剣闘士をガブガブ食い殺すシーンには、爆笑してしまいました。ローマは海から約25km、地中海で捕まえたサメ(にはみえませんでしたが)をコンクリの水槽に入れてコロセウムに運びこむのは、ワンチャンできると思うのですよ。しかし、海水を張るのは無理でしょう。ローマ水道が成立したのは、高地に沸く淡水は位置エネルギーが大きいからです。位置エネルギーの低い海水を模擬海戦ができるほど大量にコロセウムに運び込むのは、大量の馬車を使ってもほとんど不可能でしょう。淡水に海水魚を入れると浸透圧ショックで死んでしまいますし、かろうじて生き延びても、人間をガブガブ食べられるほど元気でいられるとは考えられません。
海で泳いでいたポニョを水道水に投げ入れる『崖の上のポニョ』と同じ間違いをしでかしているわけです。巨匠は淡水魚と海水魚を混同しがちということなのでしょうか。もしくは、淡水でも生きられるオオメジロザメを紅海やアフリカ沿岸から運んできたのでしょうか? それとも『セーヌ川の水面の下に』のような突然変異体なのでしょうか? ダーウィン進化論以前のローマ市民が「突然変異体」という言葉を使っているシーンを想像するとまた爆笑してしまうのですが、そういえば本作ではグーテンベルクの印刷革命前なのにカフェで新聞を読むシーンがあったのでした。
●史実よりテーマ性
そういった描写はリドスコ映画にありがちです。リドスコには史実や歴史考証を越えてでも描きたいテーマがあるからなのでしょう。
ならばそのテーマはなにかというと、「西欧白人富裕層家父長主義文明の愚かさ」というものになるでしょう。
元々リドスコはキャリアの初めからポストコロニアリズムをテーマとしていました。初の長編である『デュエリスト/決闘者』はポスコロでしばしば引用される『闇の奥』のコンラッドの短編を原作としていましたし、『エイリアン』や『ブレードランナー』も宇宙植民地を背景設定として持っていました。リドスコは物語と同じかそれ以上に世界観を描くことに執心した映画作家ですが、以後のリドスコ作品は女性。アンドロイド・アジア人・黒人・アラブ人……といった、非白人男性の視点を必ず映画に持ち込むこととなります。その意味で、植民地経営に失敗するコロンブスを描いた『1492 コロンブス』はキャリア初期における一つの頂点だと思うのですが、興行的には失敗してしまいました。
『1492 コロンブス』の興行的失敗を、スペクタクル史劇と戦争アクションの合わせ技にすることで解決したのが『グラディエーター』だと思うのですが、一方で「西欧白人富裕層家父長主義文明の愚かさ」というテーマは若干後退してしまいました。だからこそヒットしたのだともいえますが、リドスコとしては虎視眈々とリベンジの機会を伺っていたのではないでしょうか。特に、『悪の法則』以降のやりたい放題偏屈爺期に入ったリドスコとしては、絶対にやりたい。
故に、『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』は、表面上では前作と同じことをやっているようにみえて、実は前作と真逆なことをやっています。
一番の違いは、主人公であるハンノが、植民地として侵略や搾取を受ける側に立っているということです。
本作の冒頭では、史実を捻じ曲げてローマによるヌミディア侵攻が描かれます。ヌミディアがローマ属州になったのは紀元前49年あるいは紀元前25年。カラカラとゲタが共同皇帝として指名を受けたのは209年。200年以上の開きがあります。前作で奴隷友達だったジャイモン・フンスーはヌミディア人という設定で、なぜかヌミディアに二回侵攻していることになるわけですが、リドスコとしては時空を歪ませてでも冒頭で絶対に西欧文明による覇権主義や植民地侵攻を描きたいわけです。遠征直後に「次はペルシャやインドだ」と覇権主義まんまな台詞を皇帝が吐くのも納得です。
ハンノが奴隷としてローマに連行される際、ローマの凱旋門でオオカミの乳を飲むロムルスとレムスの像をみて、「動物の血で育った双子」「この街は病んでいる」という台詞を吐くのも象徴的です。更に、ローマ市民は剣闘士興行というサーカスに夢中であり、市外に住んでいる追放民は天然痘です。つまり、ローマは(史実通り)文明の最盛期を過ぎ、滅亡の兆しを市民のみならず奴隷であるハンノすら認識しているのです。
更に、後半でもう一人の主人公といって良いくらい存在感を増すデンゼル・ワシントン演じるマクリヌスは、元奴隷のムーア人という設定です。マクリヌスは実在の人物で、実際にムーア人で、カラカラ帝の暗殺後に皇帝に即位しましたが、騎士階級出身で上流階級としての教育を受け、奴隷ではありませんでした。
リドスコは本作を監督するにあたって『タイタス・アンドロニカス』を参考にしたそうです。『タイタス・アンドロニカス』はローマの将軍タイタスによって息子を殺されたゴート族の女王タモーラが、ローマ皇帝の妻となってタイタスに復讐するお話でした。策略を練り、タモーラを助ける愛人エアロンがムーア人という設定であり、手練手管を通じてローマの権力中枢に食い込み復讐を果たすムーア人というキャラクター像が本作のマクリヌスに受け継がれたのでしょう。また、「西欧白人文明の権力に食い込み復讐を果たす黒人」というキャラクター像は、『アメリカン・ギャングスタ―』でデンゼルが演じたそれでもあります。
特に、デンゼル・ワシントンがNY訛りの英語を話し、没落したローマを救うために「ローマン・ドリームをもう一度」というスローガンで権力をつかむ姿は意味深です。ハリウッド映画はどの国を舞台にしても英語で演じられるものですが、本作は特に「いま」のアメリカを意識しているようにみえるからです。全体ではなく個人の享楽のために権力をもてあそぶリーダー、明らかに国力や威信が減退する中で「Dream」や「Great」を合言葉に成り上がる政治家、搾取と分断によって成り立つ贅を尽くしたパーティー……
違和感があるのは、最近のリドスコにしては珍しく主人公がそれなりの勝利をつかんでそれなりのハッピーエンドで終わることですが、三部作の二作目ということなら納得もしてしまいます。
番組オリジナルグッズも引き続き販売中です。
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