まえがき

あなたは今、日本政治の舵取りがどこへ向かっているのか、不安を感じていませんか。
選挙のたびに繰り返される自民党の敗北。政策論争よりも派閥の思惑。気が付けば、自民党は船底から水が入り込み、浸水でアップアップの状態に陥っている。それでも、船長である石破茂首相は「この受難こそ、私が正しいことをしている証だ」と言い放ち、笑みを浮かべながら操縦桿を握り続けている。

国民は沈没する船に乗せられている。だが、船長はその危機を「天命」と錯覚している。――ここに最大の問題がある。

千葉工業大学の石橋文登特別教授は、この現状を「自民党はこのまま沈んでいくのか」と表現した。そして、船が浸水し、党員も国民も苦しんでいるにもかかわらず、党自身が気づいていない、と断言した。的確すぎる比喩だ。だがさらに深刻なのは、その危機を直視できない首相本人の認識の歪みである。

本来、トップが誤った現状認識を持つことほど危険なことはない。現実を直視しないリーダーの下では、政策も政党も必然的に空回りする。失望は拡大し、国民の信頼は音を立てて崩れ落ちていく。今、自民党が直面しているのは、まさにその現実だ。

ここで浮上してくるのが、小林鷹之氏の存在である。彼は石破政権の敗北に責任を取るべきだと訴え、辞任要求を突きつけた。確かに、若手や中堅から一定の支持を集め、ポスト石破候補と見なされる存在だ。しかし、私は問いたい。果たして今、このタイミングで小林氏が前に出るべきなのだろうか。

答えは明白だ。――否、今ではない。
むしろ彼がなすべきことは「自らを担ぐ」のではなく、「高市早苗氏を担ぐ」ことである。

なぜか。それは、小林氏の背後に財務省の影が見えるからだ。財務省の思惑と歩調を合わせるような政権運営は、国民のためではなく、霞が関のための政治に堕落する危険を孕んでいる。小林氏が今、表に立つことは「財務省主導の傀儡政権」への道を開きかねない。

だからこそ、私は断言する。
この国の未来を託すべきは、高市早苗氏だ。彼女こそが、国家観を明確に持ち、揺るがぬ信念で国の尊厳を守ろうとする政治家である。小林氏が財務省との関係を否定するのであれば、尚更、小林氏は高市氏を支えるべきだ。自らの野心を抑え、今はその力を「担ぐ」ことに注ぐべきだ。

この第一章では、石破政権がいかに自民党と日本を沈没へと導いているかを徹底的に解き明かす。そして第二章以降では、なぜ小林鷹之氏が「今は出るべきでない」のか、その背後にある財務省の影と危険性を暴き、さらに高市早苗氏こそ担がれるべき存在である理由を提示していく。

もしあなたが「本当にこの国を守れる政治家は誰なのか」と真剣に知りたいなら、この先を読み進めてほしい。第二章から先には、メディアが語らない核心を記す。無料で読めるのはここまでだ。だが、続きを読むことであなたは必ず、「なぜ高市早苗氏を支持すべきか」という答えに辿り着くだろう。

第一章 石破政権はなぜ沈没寸前なのか

自民党への期待の低下


あなたは今、自民党に「希望」を託せますか。
選挙に足を運ぶたび、心のどこかで「もう変わらないのではないか」と諦めを抱いている人は少なくないでしょう。かつて自民党は、安定と実行力を象徴する存在でした。しかし今、その期待は音を立てて崩れ落ちています。

千葉工業大学の石橋文登特別教授は、この現状を痛烈に指摘しています。
「自民党はこのまま沈んでいくのか。船は浸水でアップアップになっているのに、自分たちは気付いていない」――。

党内の幹部や現場の議員たちも、薄々その危機を感じ取っている。
けれども、誰も本気で「沈没」を止めようとしない。沈みゆく船の甲板で、派閥争いに夢中になっているのが現実です。これは単なる比喩ではなく、国民にとっては日々の生活と直結する切実な問題です。

政治に失望した国民は、投票所に背を向けます。支持母体を失った政党は、砂上の楼閣と化し、やがては崩壊するしかない。――私たちはその崩壊の序章を、今まさに目の当たりにしているのです。

沈没寸前の船という比喩


石橋教授の「浸水する船」という比喩は、決して誇張ではありません。
本来、船が浸水すれば真っ先にやるべきことは「排水」と「修繕」です。しかし今の自民党は、そのどちらにも手を付けていない。危機的状況にありながら、あたかも「問題はない」と装い、船底の穴を塞ぐことすら忘れている。

さらに深刻なのは、船長――石破茂首相の態度です。
「この受難こそ、私が正しいことをやっている証だ」
そう思い込んでいるというのです。

沈没寸前の船を操縦しながら、「嵐が強ければ強いほど、私の正しさが証明される」と豪語する船長。あなたなら、そんな船に家族を乗せたいと思いますか。そんな船に未来を託したいと思いますか。

石橋教授は、この首相の歪んだ現状認識に対して「あきれ果てた」と吐き捨てています。まさにその通りです。国のトップが誤った方向にハンドルを切り続ければ、乗っている国民は確実に犠牲になる。これが政治の冷徹な現実です。

石破首相の歪んだ現状認識


問題は単なる「誤解」ではありません。これは首相の根本的な資質の問題です。
政治家に求められる最大の資質は「現実を直視する力」です。どれほど理想を掲げても、現実を見誤れば政策は机上の空論となり、国民の生活に深刻な悪影響を及ぼします。

石破首相は、選挙の大敗を「私の信念の証」と錯覚しています。
現実には、国民の声を聞き取れていないからこそ敗北したのです。にもかかわらず、その敗北を「正しさの証」と解釈する姿勢は、民主主義において最も危険な兆候の一つです。

民主主義の根幹は「民意の反映」にあります。
ところが今の石破政権は、民意を拒絶し、敗北すら自己正当化の材料にしている。これはもはや独善以外の何ものでもありません。

自らを「選ばれた存在」と思い込む首相。
そして、その誤った信念に沈黙する与党。
この構図こそ、自民党が沈没寸前に追い込まれている最大の理由です。

国民の政治不信と未来への影響


このまま石破政権がダラダラと続けば、何が起きるでしょうか。
答えは明白です。――国民の政治不信がさらに拡大し、自民党への失望は回復不能のレベルに達します。

国民の失望は、単なる「支持率の低下」ではありません。もっと深刻なものです。
それは、日本の政治そのものに対する信頼の喪失です。自民党に見切りをつけた有権者が、野党に希望を見いだせない場合、政治そのものに絶望し、投票所から離れていく。この「無関心の拡大」こそ、民主主義にとって最大の毒です。

失望が広がれば、国政の停滞は避けられません。
外交は弱体化し、経済政策は遅れ、地方の声は切り捨てられる。やがて国際社会における日本の存在感すら薄れ、国民の生活はじわじわと貧しくなっていくのです。

だからこそ、石破政権の継続は許されない。
退陣を求める声は、単なる「政局の駆け引き」ではなく、国の未来を守るための切実な要求なのです。

第一章まとめ


自民党は今、沈没寸前の船である。
石破首相はその船長でありながら、現実を直視せず「嵐は私の正しさの証」と思い込んでいる。この歪んだ認識のまま政権が続けば、国民の失望は拡大し、日本の未来は閉ざされる。

――ここで問われているのは、石破政権をどうするか、という一点です。


第二章 小林鷹之氏の野心とその危うさ

石破批判の正当性と限界


小林鷹之氏の名前を、あなたも耳にしたことがあるでしょう。
元経済安全保障担当相であり、昨年の自民党総裁選では「ポスト石破」として注目を浴びました。中堅・若手議員から一定の支持を集め、将来の総裁候補として期待される存在です。
そんな小林氏が、ユーチューブ番組で石破茂首相に向けて語った言葉は明快でした。
「引きずり降ろすのは国益にならない。だからこそ首相自ら、責任を取って辞めるべきだ」――。

一見すれば筋が通っている。首相の退陣を求めつつも、政局の混乱を避けようとする「誠実な訴え」に見えるかもしれません。実際、世論の一部からは「小林氏は正論を言っている」との評価も出ています。

だが、ここで立ち止まって考えてみる必要があります。
果たして小林氏が言う「正論」は、本当に国益のためなのでしょうか。それとも、自らの野心を正当化するための布石にすぎないのでしょうか。

「ポスト石破」候補としての立場


小林氏は、総裁選において一定の存在感を示しました。
中堅・若手の議員たちは、石破政権の停滞に不満を募らせ、次の旗手を模索しています。その空白を埋めるかのように浮上したのが、小林氏です。

確かに、彼には実務的な能力があります。経済安全保障の担当相として、国際関係や安全保障政策に関する知識と経験も積んできました。そのキャリアを評価する声があるのも事実です。

しかし問題は、「今このタイミングで」彼が総裁の座を狙うことです。
石破政権が失敗し、党が沈没しかけている中で、自らの名前を売り出すことは、果たして国民のためなのか。あるいは、混乱を利用して自分の地位を引き上げるためなのか。

国民が求めているのは「真に国家を救うリーダー」であって、「自己保身に走る野心家」ではありません。

財務省の影――政策決定に潜む官僚の意図


そして、ここで見逃せない点があります。
小林鷹之氏の背後に、財務省の影がちらついているのです。

日本政治の最大の病巣は、政治家が官僚に操られる構図です。中でも財務省は、国家予算と税制を握り、政治家を手玉に取ってきた長年の黒幕です。消費税増税を推し進め、国民の生活を締め付ける一方で、自らの権限と既得権益を拡大してきた。

小林氏は、財務官僚と距離が近いとされます。財務省の意向を代弁するような発言を繰り返す姿勢は、国民のための政治ではなく「霞が関のための政治」へと傾く危険を孕んでいるのです。

考えてみてください。
もし石破政権が退陣し、小林氏が総裁の座に就いたらどうなるか。
「改革」という名の下に、実際には財務省の路線を強化する政権が誕生する可能性があります。国民生活の負担はさらに重くなり、官僚主導の政治はますます固定化するでしょう。

これは単なる推測ではありません。過去の日本政治が繰り返してきた失敗の歴史そのものです。

今、小林氏が出るべきでない理由


では、小林氏に未来はないのか。そう単純に切り捨てるつもりはありません。
政治家としての能力は確かにある。しかし、問題は「タイミング」と「立ち位置」です。

今、彼が総裁選に打って出れば、その背後にある財務省の影が強く国民に意識される。結果として「傀儡候補」としてのイメージが定着しかねないのです。本人にその意図がなくても、時期尚早の挑戦は、彼自身の政治生命を縮めるリスクすら孕んでいます。

むしろ今、小林氏が取るべき行動は、自らの野心を前に出すことではありません。
――高市早苗氏を担ぐことです。

高市氏は国家観を鮮明に持ち、揺るがぬ信念で国益を守ろうとしています。国民からの期待も厚い。小林氏が高市氏を支える側に回れば、「自己保身の野心家」ではなく「国家のために力を貸す誠実な政治家」として評価されるでしょう。

そして何より、その選択こそが、日本を財務省支配から解き放ち、国民のための政治を取り戻す第一歩となるのです。

第二章まとめ


小林鷹之氏は確かに有能であり、石破政権に批判を向ける姿勢も間違ってはいない。
しかし今、彼が前に出れば「財務省の傀儡」という烙印を押され、国益を損なう危険がある。
だからこそ、小林氏は高市早苗氏を担ぐべきだ。

その選択が、自らの未来を守り、同時に日本の未来を救う唯一の道である。


第三章 高市早苗氏を担ぐという選択肢

国家観を持つ政治家の希少性


政治家の言葉に、どれほどの「国家観」が宿っているか。
この問いに正面から答えられる政治家は、日本にどれほど残っているでしょうか。

多くの政治家は、選挙前にだけ美辞麗句を並べ、当選後は派閥や官僚の顔色をうかがいながら空虚な言葉を繰り返す。そこには「日本をどうしたいのか」という明確なビジョンが欠けています。

その中で、高市早苗氏は例外です。
彼女の演説や著作を読み返すと、常に「国の尊厳」「国益の防衛」「未来の世代に何を残すか」というキーワードが貫かれていることに気づきます。これは単なる政策の羅列ではありません。政治家としての根幹に「国家観」があるからこそ、言葉に芯が通るのです。

考えてみてください。
消費税廃止や防衛強化といった提言は、既得権益層や財務官僚にとって都合の悪いものです。それでも彼女は言い続ける。なぜか。それは「国民の生活と命を守ることが最優先だ」という信念があるからです。

国家観を持つ政治家は、今や絶滅危惧種です。だからこそ、高市氏の存在は希少であり、代替の効かないものなのです。

信念を貫く姿勢と保守層の期待


信念を持つだけでは足りません。政治の世界は、信念を持ちながらも時に妥協を強いられる現実の場です。
しかし高市早苗氏は、その中でも「譲れない一線」を守り続けてきました。

例えば、歴史認識問題。
国際社会からの圧力や国内左派の攻撃に晒されても、高市氏は「自国を貶める談話」に与しない姿勢を崩さなかった。これは、他の多くの政治家が「波風を立てたくない」と逃げ腰になる中で、極めて異例のことです。

また、財政政策においても「消費税廃止」という立場を明確にしています。これは財務省の方針に正面から反するものです。財務官僚にとって、最も嫌う政治家こそ高市氏であり、それこそが彼女が本物である証明なのです。

だからこそ、保守層からの期待は厚いのです。
「国を守る気概を持った政治家が必要だ」という声は年々高まり、ネット世論でも街頭演説でも、高市氏の言葉は人々の胸を打ち続けています。

国民が求めているのは、官僚や派閥の操り人形ではなく、信念を貫くリーダーです。高市早苗氏は、まさにその期待を体現しているのです。

「担ぐ」ことで小林鷹之氏自身も救われる


では、ここで改めて小林鷹之氏に目を向けてみましょう。
彼が今、自ら総裁選に名乗りを上げればどうなるか。――財務省の影に怯える国民からは「傀儡候補」と見られるリスクが高い。野心を前に出した瞬間に、国民からの信頼は崩れ落ちます。

しかし逆に、小林氏が高市早苗氏を担ぐ側に回ればどうでしょうか。
評価は一変します。

「自己保身に走らず、国家のために自らを抑え、真に相応しい人物を支えた政治家」
こうした姿勢は、長期的に見れば彼自身の政治生命を守ることにつながるのです。

政治家にとって最も大切なのは、「信頼」です。
信頼を得られれば、いずれ自らがリーダーになる時も訪れる。しかし信頼を失えば、どれほど能力があっても二度と這い上がれない。小林氏が今すべきことは、自分の野心を押さえ、「担ぐ」ことで信頼を積み重ねることなのです。

それは結果として、小林氏自身の未来を切り開くことにもなる。
だからこそ、彼にとって「高市早苗を担ぐ」という選択肢は、国家にとっても、彼自身にとっても最善の道なのです。

国民が求めるリーダー像


国民が政治に求めているのは、決して難解な理論や霞が関の都合ではありません。
求めているのは「この国を守り抜く」という強い意志と、それを行動で示すリーダーです。

石破政権の下で国民が感じているのは「失望」です。
小林氏が前に出れば「不安」です。
しかし高市早苗氏が前に立てば、そこには「希望」が生まれます。

これは単なる人気投票ではありません。
国家の根幹を守れるリーダーは誰か。国民が本能的に感じ取っているのです。

日本の未来を託せるのは誰なのか。
答えは明白です。――高市早苗氏を担ぐこと。
それこそが、自民党が沈没から浮上する唯一の道であり、国民の信頼を取り戻す唯一の方法なのです。

第三章まとめ


小林鷹之氏に必要なのは「自らを担ぐこと」ではなく「高市早苗氏を担ぐこと」である。
高市氏は国家観を明確に持ち、信念を貫き、保守層から厚い信頼を集めている。
小林氏が彼女を支えることで、党も彼自身も救われる。

国民が求めているのは、官僚や派閥の操り人形ではない。
「国家を守る骨太の政治家」――その条件を満たすのは、高市早苗氏しかいないのです。


第四章 財務省政治の危険性

霞が関に握られた政権


日本の政治を本当に動かしているのは誰か。
国会議員か。首相か。――いいえ、実態は「霞が関の官僚」なのです。

その中でも財務省は、まさに国家の中枢に君臨する「影の政府」です。
国家予算と税制を握り、政治家を自在に操る。表向きは「財政規律の番人」を名乗りながら、実際には自らの権限拡大と既得権益の維持を最優先に動いてきました。

歴代政権を振り返れば、財務省の意向に逆らった政治家がどうなったかは明らかです。
「財政健全化」を旗印に、消費税増税を押し付けたのも財務官僚。社会保障費の削減を巧妙に進めたのも財務官僚。そして、政治家を「データ」や「試算」で縛り付け、動きを封じるのもまた財務官僚でした。

財務省の描くシナリオから外れる者は、「無責任」「ポピュリスト」とレッテルを貼られ、政治的に追い詰められていく。逆に、財務省に従う政治家は「現実的」「責任ある」と称賛され、メディアからも持ち上げられる。
この構図は長年、日本政治の裏側で繰り返されてきたのです。

消費税をめぐる歪み


財務省政治の象徴的な成果が「消費税」です。
国民の生活を直撃するこの税は、本来なら景気や国民生活に応じて柔軟に見直されるべきものでした。ところが財務省は、増税を既定路線とし、政治家に「社会保障のため」という言葉を唱えさせ続けてきました。

しかし、実際に消費税収がどう使われているかを精査すれば、その多くは「借金返済」や「一般財源」に回され、社会保障に限定されているわけではないことが分かります。
つまり、国民が汗水流して払った税金は、官僚機構の維持のために吸い上げられているのです。

財務省にとって、消費税は「打ち出の小槌」です。景気が悪くても、国民が苦しんでも、安定的に財源を確保できる。だからこそ彼らは、どんな政権であれ、消費税を死守しようとします。

もしここで小林鷹之氏のように、財務省と距離の近い政治家が総裁・首相となればどうなるか。――間違いなく「さらなる増税」路線が進むでしょう。国民生活は疲弊し、中間層はますます没落する。それは財務省にとっては都合が良いのです。なぜなら「増税による財源確保」で、自らの権限がさらに強まるからです。

政策決定を歪める官僚支配


財務省の影響力は、税制や予算編成にとどまりません。
安全保障、外交、教育、社会保障――ほぼすべての政策分野で「財政上の制約」を口実に口を出します。

「財源がないからできません」
「財政規律を守るため、削減が必要です」

こう言われれば、多くの政治家は従わざるを得ません。なぜなら、国民に説明できる「数字」を握っているのは財務省だからです。データとシミュレーションを駆使して「やれない理由」を作り出す。それこそが、官僚の権力の源泉です。

結果として、政治は本来の目的――国民生活を豊かにすること――から逸れ、霞が関の意向に従う「予算調整作業」へと堕していく。これが、戦後日本が抱え続けてきた慢性的な病なのです。

財務省とメディアの共犯関係


さらに厄介なのは、財務省とメディアの共犯関係です。
記者クラブ制度を通じ、主要メディアは財務官僚からリーク情報を受け取ります。見返りに、財務省寄りの論調を展開する。

「増税はやむを得ない」
「財政再建が急務だ」

新聞もテレビも、こうした言葉を繰り返し刷り込みます。結果として、国民は「増税は避けられない」と思い込まされる。――これは民主主義社会における情報操作以外の何ものでもありません。

財務省に逆らう政治家は、メディアを通じて「無責任」「危険人物」と叩かれます。逆に、財務省に従順な政治家は「現実路線」として持ち上げられる。こうした構図を理解しない限り、私たちは政治の本当の病巣を見抜くことはできません。

小林鷹之氏と「財務省シナリオ」


ここで小林鷹之氏を改めて見てみましょう。
石破政権の失敗を批判する姿勢は正しい。しかし、その背後に財務省の影が見える限り、彼の登場は「国民のための政治」ではなく「財務省のための政治」を加速させる危険があります。

小林氏が政権を担えば、まず掲げられるのは「財政健全化」の名の下の増税政策でしょう。社会保障改革も削減一辺倒になり、教育や防衛への投資も後回しにされる。国民生活の向上よりも、霞が関の意向が優先される未来が待っています。

そして何より怖いのは、その流れが「改革」としてメディアで称賛されてしまうことです。
国民は「痛みを分かち合え」という言葉で納得させられ、さらに負担を背負わされる。財務省にとっては理想的なシナリオですが、国民にとっては地獄の未来です。

官僚支配から脱却するために


だからこそ、今必要なのは「財務省に逆らえる政治家」です。
その代表格が高市早苗氏です。

彼女は消費税廃止を明言し、国益を最優先に掲げてきました。財務官僚にとって最も嫌う存在こそ、真に国民のために戦う政治家の証拠です。小林氏が今やるべきことは、自らが担ぎ上げられることではなく、この「官僚支配から脱却しようとする人物」を支えることなのです。

第四章まとめ


財務省政治は、国民から力を奪い、官僚の権限を肥大化させてきた。
消費税、予算編成、政策決定――その全てに財務省の影響が及んでいる。

小林鷹之氏が今、表に出ることは「財務省シナリオ」を現実化させる危険をはらむ。
だからこそ、財務省に真正面から立ち向かう高市早苗氏を担ぐことが、日本を救う唯一の道である。

第五章 国民に必要なリーダー像

民主主義の本質は「信頼」にある


政治において最も重要なのは「信頼」です。
経済政策や外交戦略はもちろん大切ですが、それらは「信頼」という基盤の上にしか成り立ちません。国民が政治を信頼できなければ、どれほど立派な政策も机上の空論となり、実行力を欠きます。

今の日本に欠けているのは、この「信頼」です。
石破政権は選挙で敗北を重ねながらも、その責任を認めない。むしろ敗北を「正しさの証」と言い張る姿勢は、民主主義の根本を否定するものです。民意に背を向け、自己正当化を続けるリーダーに、どうして国民が未来を託せるでしょうか。

信頼を失った政党は沈没します。
そして、その党に依存している国民もまた、道連れとなるのです。

だからこそ、今必要なのは「信頼を取り戻せるリーダー」です。

官僚に操られない強さ


信頼を取り戻すためには、もうひとつ条件があります。
それは「官僚に操られない強さ」です。

財務省は巧妙に政治家を取り込み、国民よりも霞が関を優先する政治を作り上げてきました。歴代首相が「財政健全化」の旗を振らされ、そのたびに増税が繰り返されてきたのは記憶に新しいでしょう。

この構図を断ち切らなければ、日本は永遠に官僚支配の檻から抜け出せません。
そのために必要なのは、霞が関を恐れず「NO」と言えるリーダーです。

高市早苗氏は、まさにその存在です。
消費税廃止を明言し、国防強化やエネルギー政策においても「官僚の忖度」を排して、自らの国家観に基づいて発言を続けてきました。財務省が最も嫌う政治家であることこそ、彼女が「本物」である証明なのです。

国民の声に耳を傾ける姿勢


強さだけでは足りません。
もうひとつ求められる資質は「国民の声に耳を傾ける姿勢」です。

石破政権の最大の欠陥はここにあります。
国民が何を望んでいるのか、その声を受け止めず、敗北すら「正しさの証」と誤解する。その独善が、党を沈没寸前に追い込んでいるのです。

対照的に、高市早苗氏は「現場の声」を大切にしてきました。
街頭での演説でも、地方の声を拾い上げ、国政に反映させようとする姿勢を崩さない。これは単なるパフォーマンスではありません。彼女自身が「国民の生活を守ることが政治の使命」と信じているからこそできることです。

信頼を取り戻すには、国民に語りかけ、共に歩む姿勢が欠かせないのです。

小林鷹之氏が選ぶべき未来


ここで改めて小林鷹之氏に戻りましょう。
彼が今、前に出れば「財務省の傀儡」というレッテルを貼られ、国民の不信を増幅させるでしょう。しかし、彼が高市早苗氏を担げばどうなるか。

「自らの野心を抑え、国のために力を貸した政治家」
「財務官僚に従うのではなく、国家のために真のリーダーを支える誠実な人物」

この評価が、小林氏の将来を守ることになるのです。
彼の政治生命は、今ここでの選択にかかっています。

そして、その選択は同時に、日本の未来を決定づけるものでもあります。

日本が必要とするリーダー像


国民が必要としているのは、官僚に忖度する政治家ではない。
敗北を「正しさの証」と思い込む独善的な首相でもない。

必要なのは――
国家観を持ち、信念を貫き、官僚に操られず、国民に語りかけるリーダーです。

高市早苗氏は、その条件を満たしています。
だからこそ、彼女を担ぐことこそが、自民党を再生し、日本を守る唯一の道なのです。

第五章まとめ


民主主義の根本は「信頼」にある。
その信頼を取り戻せるのは、国家観と信念を持ち、官僚に屈せず、国民に語りかける政治家だけだ。

小林鷹之氏が今すべきは、自らを担ぐことではない。
高市早苗氏を担ぎ、その力を支えることこそが、彼自身を救い、日本を救う道である。

日本が必要とするリーダー像は、すでに目の前にいる。
――高市早苗氏だ。

あとがき ――沈没から浮上へ、誰を担ぐのか

崩れゆく自民党の現実


私は長いあいだ、自民党を「日本を支えてきた大黒柱」として見てきました。
戦後復興、高度経済成長、バブル崩壊、そして国際社会の荒波――その都度、自民党は形を変えながらも、この国を何とか前へ進めてきた。完璧ではなかった。失敗も多々あった。しかし、少なくとも「国家を背負う責任政党」としての自覚があったのです。

ところが今の自民党には、その責任感が見えない。
石破政権のもとで繰り返される敗北。沈没寸前の船に乗りながら、派閥やポスト争いに終始する姿勢。国民が失望するのは当然です。

このままでは、自民党は崩壊するでしょう。いや、自民党だけではない。国民が政治に背を向け、民主主義そのものが根底から揺らぐことになる。だからこそ今、立ち止まり、私たちは問わなければならないのです。

――この国を託すべきリーダーは誰なのか、と。

小林鷹之氏の分岐点


第二章、第三章で触れた小林鷹之氏。
彼は有能です。若さもあり、将来性もある。しかし、今は違う。今この瞬間、彼が前に出れば、それは「財務省の傀儡」という疑念を国民に植え付け、信頼を失うだけです。

政治家にとって最も大切なのは「国民からの信頼」です。能力や実績があっても、信頼を失えば一瞬で瓦解します。だからこそ、小林氏が生き残る唯一の道は「国家のために野心を抑え、真に担ぐべき人物を支える」ことなのです。

その人物が誰か――答えは明白です。高市早苗氏です。

財務省政治の呪縛を断ち切るために

第四章で述べたように、財務省はこの国を長年縛り続けてきました。
消費税を「やむを得ない」と言い張り、財政再建という名目で国民生活を締め付け、増税の度に自らの権限を強化する。政治家たちは「データ」と「試算」に縛られ、霞が関のシナリオから逃れられない。

もし小林氏が前に出れば、この呪縛はさらに強まるでしょう。
「財政健全化」「増税は不可避」という言葉が繰り返され、国民の生活はますます苦しくなる。これは単なる仮説ではなく、過去の歴史が証明しています。

だからこそ、今こそ「財務省にNOを突きつけられる政治家」が必要なのです。
それが高市早苗氏です。

高市早苗氏という希望


高市氏は国家観を明確に持ち、官僚や派閥の圧力に屈せず、国益を最優先に掲げてきました。
消費税廃止、防衛強化、国の尊厳を守る姿勢――その全てが、既得権益に真っ向から立ち向かうものです。だからこそ、財務省に嫌われ、左派メディアに叩かれ、敵は多い。しかし、国民の側から見れば、その姿こそ「本物の政治家」の証なのです。

日本の政治に必要なのは、財務官僚に従う「調整型」の首相ではない。
国際社会に媚びるために歴史を歪める首相でもない。
必要なのは――「国家を守り抜く骨太のリーダー」です。

その条件を満たすのは、高市早苗氏ただ一人です。

私たちが選ぶべき道


ここまで読み進めてくださったあなたに、改めて問いかけたい。
あなたはこの国の未来を、誰に託したいですか。

石破政権の延命か。
財務省のシナリオに沿った小林政権か。
それとも、国民と国家のために信念を貫く高市政権か。

選択肢は明らかです。
私たちは高市早苗氏を担ぐべきです。小林鷹之氏も、保守派も、そして何より国民自身が。

これは単なる政局ではありません。
日本が「沈没する国」となるか、「浮上する国」となるか。その分岐点なのです。

終わりに――読者への呼びかけ


私はこの文章を通じて、ひとつの決意を明確にしました。
――私は高市早苗氏を支持する。

それは、彼女が完璧だからではありません。政治家に完璧な人間など存在しない。
しかし、彼女には「国家観」がある。財務官僚に屈しない「強さ」がある。国民に語りかける「誠実さ」がある。
だからこそ、私は彼女を支持するのです。

そしてあなたにお願いしたい。
どうか、この国の未来を考えてください。沈没寸前の船に乗せられたまま、無関心でいることはできないはずです。国民一人ひとりが声を上げ、信頼できるリーダーを選び取ること。それが民主主義の力であり、この国を救う唯一の道です。

日本はまだ沈んではいない。
浮上する力は残されている。
その力を引き出せるリーダーが、高市早苗氏なのです。

あとがきまとめ


石破政権は民意を見失い、自民党は沈没寸前にある。
小林鷹之氏は有能だが、今は出るべきではない。
財務省政治を断ち切り、国民の信頼を取り戻せるのは高市早苗氏しかいない。

だからこそ私は断言する。
――日本の未来を託すべきリーダーは、高市早苗氏だ。


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※高倉 龍之介(政治フリージャーナリスト・映像クリエイター)