
――さて、前回に引き続いての企画です。
未見の方は先に第10~4位までをご覧になることを推奨します。
・第3位:赤いきつね炎上
まあ、これも本質は第4位の「女を助けようとした男逮捕」と同じです。
いかに、何をどう考えても、疑いなく、バカにでもわかることですが、男性たちはこの数十年、ずっと女性に対し譲歩を続けてきました。性犯罪は(時々「性犯罪定義の厳格化」という「カンフル剤」を投入することで瞬間最大風速的に増えはするものの)一貫して減っています。
ところが、そうなればなるほど女性たちがいよいよ「男性の加害性」に涙を振り飛ばして憤るようになっていることは、疑い得ません。
そもそもがここ十数年の「ツイフェミ」の萌えキャラへの攻撃が、そうした傾向の一環だったわけですが、この件については「あまりにも過敏で、むしろ文句をつける女性の方が性的な刺激を求めているとしか思えない」「男性による女性への性的搾取であるはずが作り手は女性」とこの流れのポイントを抑えており、芸術点の高いケースと言えましょう。
そして――以下に述べるようなことは、最低限の認識であり、再生数を稼いでいるフェミウォッチYouTuberがこのことを認識するくらいにまでならないと、話にならないんですが――この二つのポイントこそ、要するに「フェミニストが女性差別であると泣き叫ぶ性文化、それ自体が実は男が女を勝手に抑圧するために始めたことなどでは全くなく、「男と女(それは彼女ら自身含め)とが、男女共同参画で創り上げてきたこと」、フェミの言う「女性差別」が「女性差別」でないことは言うまでもありませんが、それは善き面も悪しき面も男女が共犯関係で築き上げてきたものである、ということを立証しているのです。
・第2位:日本初の女性首相誕生
はい、ホントは一位でもいいくらいなのが、この話題です。
もう、わかっちゃったわけですよね。「保守派は女性差別主義者」というのも「フェミの言うジェンダーギャップ指数」も「左派は女性の人権を尊重する」というのも全て嘘だと、いかなるバカにもはっきりとわかるようになってしまったのです。
いや、だからと言ってフェミや左派が目覚めることは、未来永劫ないでしょうが……。
しかしそこです。
先にも「一般女性のうっすらフェミ化」について云々しましたが、ぼくはずっと「フェミと一般女性は違う」として、その考えには批判的でした。
いえ、正確を期しましょう。
「女は誰もがうっすらフェミ」も「フェミと一般女性は違う」もいずれも「正」です。
ただ、前者のことを「兵頭新児に大幅に遅れてようやっと気づいてドヤ顔で振りかざしている」方は非常によくお見受けするのですが、後者についてわかっておいでの方は、比較的少数です。誰もフェミについての知識なんて、持ってませんしね。
つまりそこを「いずれもそれぞれもっとも」と一度認識した上で、「しかしながら前者(パンピー女のフェミ化)が進行しつつある」という順番を押さえないことには、実態は見えてこないのです。
そしてほら、今回、その「実態」が見えたのです。
一般的な女性の、ことに若い女性の高市総理支持は圧倒的で90%を超える勢い。
ところが、フェミさんの支持率はおそらく限りなく0%に近いでしょう。
一般的な女性が総理を支持しているのは、彼女らが「うっすらフェミ」だから。
フェミさんが支持しないのは、彼女らが「フェミ」だから。
その差異に、気づきましょう。
(普段ならここで簡単に説明するのですが、もう疲れました。ぼくのnoteを毎回見ている人は、当然説明されずともわかるはずです)
フェミとは、パンピー女をフェミ化させる怪物です。それは今まで吸血鬼、ゾンビと言った比喩を使ってきた通りです。
ところが高市総理誕生が、パンピー女たちをして「あれ? フェミって何か違うくね?」との疑問を生じさせるきっかけになるのではないか。
そしてまた、「あれ? フェミ騎士たちって実は女を憎悪してね?」との疑問も。
時々書くことですが、左派系の御仁は、実のところ女のことが大嫌いだ……と感じることが、ぼくには度々あります。
その一端が高市総理(いかに蔑んでもいい女という待望の存在)への攻撃に表れていますが、そうしたフェミやフェミ騎士の醜悪さに、「気づき」を得る「うっすらフェミ」や「うっすら左派」もいるのでは……ぼくとしては、それを期待してしまうわけです。
・第1位:俺アベプラ出演(弱者男性問題の浸透)
――はい、栄えある第一位はこれです。
いや、つっても誰も騒いでくれません。否、どういうわけかぼくに敵対的な人物がやたら本件について騒いでくれ、どうも彼らにはよっぽど失敗に見えているみたいです。
まあ、そんなこんなで1位にするほどのこともないのですが、やはりこれも「表のメディアで弱者男性問題が採り挙げられた」一例であるとは言えましょう。つまり「ニュースの争点」、『情況』について述べた5位に近いトピックスであると言えるのです。
この数年、すっかり「弱者男性」という言葉も人口に膾炙するようになりましたが、しかしこのターム自体が「旧人類」の言語体系の中では理解すること敵わず、今までシッチャカメッチャカでハチャメチャでスットンキョウな理解しかされないできました。
ホンの数年前まで、この問題についてわけのわかってない女性論者が新書を出したり、保守論壇にまで「話のわかるフェミ」を自称する連中が擦り寄ったりしていた状況も、そうした理由によります。
しかしその壁が、ホンの僅かずつでも壊れつつあるということを現しているのが本件であり、5位であるかと思われるのです。
今まで左派は、(オタクに対してそうしたように)「男性の中の弱者(という稀少種)」を拾い上げることで自軍に取り込もうとしてきました。藤田直哉師匠の「弱者男性の中の、真に弱者たる者をヒヨコの雌雄鑑定士並みに峻別しよう」といった発言は、その代表です。
しかしrei氏も言うように、この言葉の本質は「男性はそもそも、誰しもが弱者である」というものであり、それは左派の歪んだ世界観では、到底すくい取れるモノではない。このことは拙著を読んでいただければ了解できるところです。
いや……ところが先日、某ノーターが拙著『ぼくたちの女災社会』について採り挙げていました。結構メジャーな人なので、見た方も多いんじゃないでしょうか。
この御仁、ここでは仮にエヌ氏としましょう。このエヌ氏、以前から北村紗衣師匠を批判し、またぼくの『WiLL Online』様で書かせていただいた記事を紹介してくれたりしていたので、あまり悪く言いたくはないのですが、ここで「弱者男性」論についての総論にかこつける形で少し、私見を述べたいと思います。
いえ、とは言っても、大変残念なことにエヌ氏の文章には拙著についての具体的な批判が全くないので、反論めいた反論もできないのですが。
エヌ氏の主張は一言でまとめれば、「男なんだから強くあれ」との一点に集約されます。
「なあんだ」と思われたでしょうか。
興味深いことに、彼は「ノブレスオブリージュ」とのフレーズをも持ち出してもいます。何のことはない、「男たるもの、女の我が儘を笑って受け容れる度量を持て(何となれば女とはただただ男に文句の百万陀羅を並べ、男に依存することしかできない低レベルの存在なのだから)」ということですね。
これについて、恐らく本稿をお読みの方は、「兵頭も、着地点としては同じ考えだ」ということをおわかりいただけているのではないでしょうか。
いえ、ちょっと先走りました。
まず、前提として、この種の問題(「弱者男性」問題でも「アンチフェミ」でもいいのですが)について語る者は、「ジェンダーフリー」的なスタンスを持っていることが多い。
フェミに与する者は「男だって弱くていいんだ」、与さない者は「女も男同様の苦役を負え」といった主張をする傾向にあります(大変驚いたことにエヌ氏も同様の言葉を続けています。もうこの時点で彼の主張は矛盾などという生やさしいものではなくなるのですが、ご当人は書いていておかしいと思わなかったのでしょうか)。
しかし、(それらにももちろん、多くの理があることは認めるものの)男女ジェンダーの差異を考えた時、それは厳しい、ある程度はジェンダーに忠実に生きた方がいい、言い換えれば、「女は主婦になる」というのは別に差別ではなく単に男女ジェンダーに則した自然なあり方である、というのがぼくの考えです。だからこそぼくは牛角の女性割引にすぐさま文句をつけなかったし、「男が女におごる」社会が好ましいと考える。
ただ、ならば今の社会のあり方では「男が、男の甲斐性を見せる」ことが極めて困難になっている。そこを正せ、というのがずっとぼくのしてきた主張なのですが、どうもエヌ氏には読み取ることができなかったらしい。
男性に甲斐性を見せて欲しい(女性の上層婚の夢を叶えて欲しい)のであれば無茶な女性枠の設定など止めていただかなくてはならないし、わけのわからない週刊誌によって任意の男性を性犯罪者呼ばわりすることも止めていただかなくてはならない。
そうした各論は、(トピックスは違えど)『女災』でも述べられているのですが、エヌ氏はそれを一顧だにせず「男たる者、強くなくてはならぬ。ついては原爆を食らっても平気でいろ」と意味のない空論を振りかざしているだけなのです。
ただこれは、逆に言えば彼のように「弱者男性」の窮乏などわかっていない(天下国家を語ることはしたがるが、そうした問題についてのセンサーは全く死んでいる)者が、そうは言っても世の中多いということでもあります。
だって第10位で述べたフェミ騎士さんたちのスタンスって、基本これですもんね。
『女災』を「予言書」と評してくれる方も大勢いますが、実際のところ本書の出た2009年、既に女災(即ち、「男が原爆を食らっていること」)はどんなバカにも自明の現象でありました。
2025年はそれがバカ以下の者にも理解できるようになった年であると言うことなのですが、しかし世の中にはバカ以下――。
――話題を変えましょう。
先の「男たる者、強くあれ」は普段この種の関心のない者(それはつまり左派的スタンスを持っていないということでもあります)がふといっちょ噛みした時に、よく口にする物言いだ、という印象を、ぼくは強く持ちます。
逆に言うならば、そうした層もフェミニズム的なロジックはさすがに破綻している、女性たちが男性という悪魔的生物の搾取で力を奪われ、不当に虐げられているという世界観は、さすがに受容できない、ということでもあります。
だが俺はお前らみたいに弱くはないし女にモテたいので女を攻撃したくはない。
そうなると「さあ、女性のみなさん、ぼくはあなたたちの我が儘を許容できる度量のある男ですよ(俺って原爆を食らっても平気ですよ)」と言う以外、もう手がない。しかしそれは現状に対する理解を一切欠いた譫言であり、だからこそ『女災』に対して反論はなし得なかった。
まとめましょう。
「弱者男性問題」は世の中の重要なトピックスとなりつつあります。
ぼくが「世間の連中がフェミについて知識がない」と嘆くのを、「知らねーよ、フェミとか」、「一部の偏った知見をドヤ顔で振りかざしている」と感じる人もいるかも知れません。
喩えるならば、ぼくの「フェミトーク」は「七〇年代の超マイナーな特撮ヒーローについての話題をゴリ押しするオタクトーク」と変わらない、とでもいった認識です。
しかしそれは間違っていました。
今や、フェミ問題は世を語る上で重大事項となったのです。
これは丁度、オウム事件が起こった時、世間ではオカルト知識を持つ者がほとんどおらず、大慌てで「と学会」などの冷静な知識を持った「オカルトオタク」が必要とされだした、あの時の状況に非常に近い。
もっとも、翻って今の状況はオウムが全人類を完全に征服しながら、いまだ有効な対抗手段を打つことができず、せいぜいYouTube動画でオウムを嗤っているだけ……とそんな感じに思われます。
ある意味では「と学会」がオウム成金とでも言うか、オウムのおかげで世に出れた人たちであるのに対し、何故フェミ関連はここまでお粗末な状況なのか……と言いたいところですが、やはりフェミ「ごとき」に、大の男たるものがマジになるのは格好が悪い、といった感覚の人も、まだかなりいるのだろうな、とは思います。
もちろん、今のアンチフェミクラスタを見る限り、そうした人たちの感覚は急速に時代遅れになっていくように思われますし、それは本稿の5位と1位とが立証している。
まあ、何かそんな結論です。