
RIZIN52で所英男戦が決まった鹿志村 仁之介選手インタビューです!(聞き手/ジャン斉藤)
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――鹿志村選手のMMAデビューは2020年ですけど、MMAに対してガッと集中し始めたのはこの2~3年くらいですかね?
鹿志村 そのとおりです。ここ3年くらいですねぇ。
――それまでは全力で取り組んでなかったというか。
鹿志村 フラフラしてましたねぇ。正直、あんまりMMAをやりたくなかったですし。
――やりたくないのにやっていた(笑)。
鹿志村 いや、ホントに全然やりたくなかったです(苦笑)。柔術はやっていたけど、打撃をやったことなかったし……。
――やる気のなさは打撃が原因だったんですか?
鹿志村 打撃のせいだと思います。
――鹿志村選手からすれば、MMAは打撃の競技だという認識なんですかね。
鹿志村 そこは強かったですね。いまはちょっと楽しめるようにもなってきて。
――でも、やりたくなかったら、やらないわけじゃないですか。
鹿志村 いまはやりたくてやってるんですけど、もともとは親父に無理やりやらされて……。
――よく小さい子供がお父さんに無理やりレスリングや柔道をやらされる話は聞きますけど。
鹿志村 ボクの場合は高校のときですからね(笑)。
――ハハハハハハハ!
鹿志村 パンクラスでデビューしたんですけど。その前にアマチュアトーナメントがあって、そこで優勝すればプロになれるんです。そのトーナメント前日、調整に向かう車の中で親父とケンカして。やりたくないから「マジで試合に出ないから!」って大泣きですよ(笑)。
――そこまでMMAをやりたくなかった(笑)。
鹿志村 揉めた場所はけっこうな山道なんですけど、そこで車から降ろされて。MMAをやりたくなくて、いじけてる子供みたいな(笑)。
――でも、そこまでしてやらせるお父さんもどうかと思うんですけど。
鹿志村 いや、ホントにそうなんですよ。親父は「決まってることなんだからやるしかない!」「グラップリングだと思えばいいじゃん」みたいな。結局、出てトーナメントで優勝してプロになるんですけどね。
――イヤイヤ出て優勝するんだから、さすがです!お父さんの見る目が正しかったっていうことですよね。
鹿志村 いま言っちゃえばそうですよね。あのときはグラップリングだけで勝負して、立ち技はまともにやったことなかった。減量して試合に出る考えもなかったから、ライト級だったし。
――お父さんは自分ができなかったことを子供にやらせてる感じなんですか?
鹿志村 だと思います。
――PRIDE直撃世代だったりとか。
鹿志村 いや、というわけでもなかったですね。ボクは小学3年のときから柔道を始めたんですけど、めっちゃ弱くて。 どこの大会に出ても1回戦負け。
――いまの柔道って立ちが強くないと勝てないですよね。
鹿志村 そうなんですよ。立ち技のセンスがまったくなくて。でも、そのときから寝技はちょっとできる。だから寝技を伸ばしたほうがいいんじゃないかって親父が考えて。柔術から柔道に使える寝技を集めてきてくれたり。小学6年生のときから寝技に力を入れるようになりましたね。
――お父さんは柔道をやってたんですか?
鹿志村 ボクと一緒に始めたんです。
――えっ!?(笑)。お父さん、なんかスポーツをやられてたんですか?
鹿志村 空手を3年間やってたみたいです。一応黒帯なんですけど。
――それで息子さんと一緒に柔道を始めて、柔術で魔改造しようとしたんですか(笑)。小学生で寝技特化型はいなくないですか?
鹿志村 マジでいなかったです。柔術の黒帯の先生に教わってましたし。
――小学生って寝技は限定されますよね。
鹿志村 抑え込みだけですね。中学で締めが解禁されて、高校で関節まで解禁になるんで。いまは中学生でも締めは禁止ですけど。
――基本的に寝技にそこまで力を入れづらいから、鹿志村選手のスタイルは有効だったんじゃないですか?
鹿志村 茨城県ってけっこう柔道が盛んですけど。小学3年から中学3年まで一度も表彰台に上がったことなかったんですよ。弱かった、マジで弱い(笑)。でも、高校生最後のインターハイ県予選で優勝できて。インターハイってけっこうすごいじゃないですか。
――すごいです! オール一本勝ちですか?
鹿志村 そうです。そこでちょっと自信がついて。
――そこはお父さんの戦略が当たったし、鹿志村選手がずっと積み重ねてた努力があったからですよね。
鹿志村 そうだと思います。親父も寝技が得意な選手ばっかり見るし。だから昔から格闘技が好きだったというよりかは、一緒に柔道を始めてそのままハマっていったのかな。だから親父は青木(真也)さんが好きだったらしいですよ。
――柔道時代の青木真也はまさに寝技特化スタイルですね。
鹿志村 青木さんみたいにさせたかったんですよ。寝技が唯一の取り柄だったので、親父からすれば柔術だけはやめてほしくはなかったみたいですけど。ボクはべつに違う仕事してもいいなと思ってたんですよね。
――お父さんはわざわざ水戸にプライベートジムを作ったんですよね。
鹿志村 いま考えるとありがたいことですよね。
――そのジムで相本(宗輝)選手も格闘技を始めて。
鹿志村 相本とは中学校一緒なんですよ。ボクの1個上で、昔から地元で仲がよくて。ボクは19歳ぐらいのときに1回東京に出て専門学校に通うんですけど。途中でやめちゃって茨城に帰ったら、こっちだと柔術の練習ができなくなっちゃって。東京だと普通に柔術がやれるじゃないですか。
――そこでプライベートジムをつくったわけですね。その相本選手とRIZIN有明に一緒に出ることになったことはかなり感慨深いんじゃないですか?
鹿志村 けっこう感慨深いですよ。想像してるより嬉しいです。先に相本が3月の大会に出ることが決まったけど、ボクは3月か4月どっちかだよって言われて。佐伯さんには「4月が濃厚だ」と。でも、3月に決まってよかったです。
――一緒に勝ちたいですよね。
鹿志村 いやあ、勝ちたいですねぇ。2人でここまで来たら。
――相本選手って当時から光るものはあったんですか?
鹿志村 バケモンですね。
――バケモン!!(笑)。
鹿志村 中学校のときからバケモンです。運動神経がよくてケンカが強いんですよ。ボクは中学校の柔道部だったんですけど、相本は野球部でケンカ番長。
――野球部でケンカ番長ってエリートですよ(笑)。

鹿志村 みんなは怖がってあんまり目も合わせない感じなんですけど、柔道部は他よりまあ強いじゃないですか。ちょっとかわいがってもらってたんですよね。
――身体能力がズバ抜けていて、スポーツならなんでもできる人っていますよね。
鹿志村 バスケが一番得意だったのかなあ。一緒に練習してた当時から、親父は「相本には絶対に格闘技をやらせたほうがいい」って言ってましたね。
――お父さん、見る目あるじゃないですか!!(笑)。
鹿志村 そうなんですよ。昨日もRIZINコンフェッションの撮影で実家に帰って親父と喋ったんですけど「結局オマエも相本も俺のおかげだからな」とか言い始めて。こっちは「はいはい」って感じですけど(笑)。
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