「来た……来たッ!」

 ずっと空ばかり見上げていた見張りの兵が、裏返るような声を絞り上げた。

 何事かと兵が集まり視線を上げる中、その男は落ち着きなく傍らの木箱へと手を伸ばし、置かれていた遠見筒をひったくるように掴む。筒を空へ向け、覗き込み、また肉眼で空を仰ぎ……それを何度か繰り返したのち、また声を張り上げる。

「来ました!! ハーピィです、ハーピィが来ましたぁ!!」

 何をそこまで興奮することがあるのやら、その声量を遺憾なく発揮していた兵だったが、振り向きざまに私と視線が噛み合うと、途端に口を閉じた。そのままばつが悪そうに浅く一礼すると、逃げるようにルヴァーナの天幕へと駆けていく。

 その後ろ姿はまるで、親に褒められようと浮足立つ子供だ。今この陣内にいる連中は、そうやって手懐けられた都合のいい駒ばかりなのだろうか。ここへ来た時から得ていた違和感、兵の練度の低さは、その証左なのか。それとも──。


 その時、空のどこかで甲高い一鳴きが響いた。

 湿った風を引き裂くような、猛禽じみた啼声。
 その鋭さの底に、歌姫のような透き通る旋律が混ざっている。

 視線を上げた先。
 十分に目視できる距離まで、それは近付いていた。


 くすんだ黒雲を背に、輪郭だけがやけに鮮明な飛影。それが一際大きく横幅を広げると、円を描くように上空を旋回し始めた。人の身体なれど鳥の四肢をそなえる、人ならざる種族。革を基調とした防具を人である部分の要所にのみ施し、翼や脚といった強靭な部位を阻害しないよう構成された装備は、ハーピィの戦闘部隊であることを示している。

 その中にあって、額から伸びる一本の突起は、私の記憶には無いものだった。

「……あれ、一匹しか来ないんだっけ?」
「いや、十匹くらいって聞いてるけど」

 付近の兵たちが漏らす声に、ほんの一瞬、無意識に視線が取られる。それを空へ戻した時には、上空を旋回していた影が忽然と消えていた。


 ──違う。
 消えたのではなく──。


 気付いた瞬間には、それはもう眼前に迫っていた。濁った空を一息に滑り降りたハーピィが、顔を突き合わせるほどの距離で制動する。巨大な翼が広がり、叩きつけるような風圧が全身を打った。鎧の継ぎ目にまで風がねじ込み、思わず目を細める。その狭まった視界の中でも、灰に藍を差した翼羽と、銀を帯びた短い髪、その根元の淡い空色だけは妙に鮮明だった。

 猛禽特有の吊り上がった目が、私の顔を覗き込む。その見開かれた眼球は初め、どこか曇っているように見えたが、次の瞬間には目尻から目頭へ、半透明の膜がぬるりと引いていった。露わになった眼は外周が黒く沈み、その中心は金属めいた光沢を思わせる。敵意や害意といったものは感じなかったが、少しでも身じろげばそのまま喉元へ喰らいつかれそうな危うさが、そこにはあった。

 表情を変えぬまま、ハーピィが口を開く。

「いま喋ってたのハ、お前カ?」

 澄んだ女の声だった。だが言葉の端々に、あまり耳慣れない抑揚が混ざる。その不揃いな響きに思考が追いつかぬまま、反射的に声が出た。

「いや、私は」
「違うナ」

 そんな私の返答など待つ気もなく、女は翼で中空を掻くように身体を捻った。腰の後ろ、尾骨のあたりから扇状に伸びた尾羽がその動きに合わせてわずかに開き、すぐに閉じる。そうして今度は、傍らの兵たちに視線を飛ばす。

「お前らカ?」
「え、あ、その……!」
「べつに、何も……!」
「お前らだナ」

 身を深く屈め、細くも異様に強靭な脚が地を掴む。刹那、空間を叩き割るように両翼が打ち下ろされた。猛烈な瞬風が巻き起こり、その勢いのままハーピィは兵たちに飛び掛かる。鋭い足爪が左右へ走り、二人の頭部をそれぞれ鷲掴みにしたかと思うと、次の瞬間には地面へ叩きつけていた。

 鈍い音。呻き声。
 それでも爪は離れない。

「羽無し風情ガ、ナメんなヨ」

 めり込ませた兵士たちを見下ろしながら、女はそう言った。その言動から察する感情はおそらく怒りであるはずなのだが、変化に乏しい表情からは、そのすべてを読み切ることができない。正直、また面倒な手合いが現れたなとしか思えなかったが、このまま放っておいては兵士たちの頭蓋を砕かれる可能性もある。致し方なく、声をかけることにした。

「……その者たちが、なにか?」
「声が聞こえタ。『匹』って言っタ。アタシらは小動物カ?」
「あんな上空まで、聞こえるものですか」
「当然ダ。風が教えてくれル」

 詩的な言い回しだった。だが、風と共に生きる種族であれば、あながち誇張とも思えない。やがて、ハーピィがこちらを見据える。その首の運びは、やはり猛禽特有のものだった。

「指揮官はお前カ?」