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坂田亘ロングインタビュー。リングスでデビュー、ZERO-ONE、PRIDE、ハッスルで活躍。プロレスと格闘技がまだ繋がなっていた時代を生きた男が語る24000字です!(聞き手/ジャン斉藤)


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坂田
 なんでまた俺なの?

――『ハッスル』の話が聞きたいなと。

坂田 いまさら『ハッスル』に興味がある人なんているんだ?(笑)。

――
いまこそ検証すべきなのかなと思いまして。SNSにも「あのとき『ハッスル』をちゃんと見ておけばよかった」という声があるんですよ!

坂田
 俺はいまは全然SNSを追ってないからね。

――
坂田さんがリングスをやめたあとは、まずDEEPに出てたじゃないですか。そのあとプロレスを中心に活動するとは思ってなかったんですよ。

坂田
 自分でも思ってなかったよ。

――リングス退団後のことはどう考えてたんですか? 

坂田 年齢はたぶん27、28歳くらいでしょう。全然何も考えてなかったな。

――
DEEPで窪田幸生選手に勝ったあと鈴木みのる選手を挑発しましたよね。そういう流れがあったのかなって見てたんですけど。

坂田
 佐伯さんの興行で言ったやつね。リングスとパンクラスの遺恨もあったから、佐伯さんから「パンクラスの選手とどんどんやっていってほしい」って言われたんだけど、パンクラスには若い奴はいっぱいいるから「何年経ったら俺は上にたどり着けるんだ?」と思って(笑)。なので鈴木さんに「出てきてくれ!」と。俺はプロとして「客も盛り上がるでしょ」っていう思いで言っただけで。べつに鈴木さんと敵対してるとは思ってなかったかな。

――
それでDEEPで3試合やって、そのあとはプロレス中心で。

坂田
 とくにプロレスのほうをやりたいってわけでもなかったんだよ。あの頃ってさ、いまほど格闘技とプロレスの線引きができてなかったじゃない。線は引かれてはいるんだけど……。

――
まだ繋がっていましたね。

坂田
 U系は「プロレスなのか、格闘技なのか、どっちなの?」みたいに言われて。俺は総合格闘技やプロレス、どっちも出てるからさ、プロレスラーとして見られるのは全然平気だし。格闘技しかやってない人たちが無理くり線引きしたかっただけで、俺たちはあんまりそこにこだわりはなかったかな。とはいえ、当時の新日本プロレスに「俺もできそうだから上がりたいな」という感覚はなかった。

――そもそもリングスはかなり特殊なプロレス格闘技団体でしたよね。ああいう特殊な世界を経験してるから、坂田さんはプロレスも格闘技もどっちもできたんだろうなって。

坂田
 だって80、90キロしかないのに、スーパーヘビー級の外国人相手と普通に戦っていたし。

――
リングスってKOK以前は、完全競技とフリースタイルの試合があったわけですけど。変な話、完全競技のほうが楽だったわけじゃないですか。ただ相手を倒すことだけを考えればいいわけですし。

坂田
 普段はそのつもりで準備するし、試合にも挑むからね。

――
プロレス未経験の外国人とフリースタイルをやるなんて恐ろしいですよ。だって相手は平気で狙ってくるわけですよね?

坂田 そこは前田(日明)さんが言ってた「入っちゃったらゴメン」ってやつで。やっぱりそういうことは多々あったし、しょうがないんじゃないかな。

――
しょうがないですか(笑)。

坂田
 いや、ホントにしょうがないよ。

――
坂田さんはリングス入門以前、UWFというスタイルをどう見てたんですか? UWFは「こっちがホンモノだ」とアピールすることで存在感を高めていきましたよね。

坂田 ファンの頃はどう思ってたんだろうなあ。UWFから新日本に戻った前田さんたちはガンガン打撃を入れていたでしょ。新日本の選手たちもUWFとやるときは普段と違っていたし、子供心には「なんか違うんだろうな……」ぐらいしか思わなかった。それがフェイクなのか、リアルなのかとか、そこまでは疑問に思わなかったくらいプロレスは好きだったよ。

――
新生UWFはリングス、藤原組(のちにパンクラスに分裂)、UWFインターナショナルに分かれて、それぞれのスタイルが確立されますよね。

坂田
 そこからいろいろ見えてきたよね。UインターはUWFから来てるなとか、藤原組は昭和・新日本の前座とか。リングスはやっぱり前田さん。俺は前田日明がとにかく好きだったから。だからテストもリングスしか受けなかった。

――
他の選択肢はなかったんですね。

坂田 まったくない。でも、リングスでは最初は落とされたんだけどね。あのときは10人くらい受けていて、俺が一番身長がちっちゃくて、他はみんな180センチオーバー。前田さんは大きい奴が好きだったからか、入門テストの内容は俺が一番だったのに落とされたから。

――
当時って最低180センチはないと入門できない団体が多かったですね。

坂田
 当時リングス公式記録員の田代(徳一)さんから「テストの内容がよかったからあきらめずに頑張ってくれ」って言われて。リングスの大会が都内であったときは駐車場で前田さんの出待ちをして。4~5回やったかなあ。前田さんが「オマエ、またか?」と。「じゃあ明日テストに来いよ」と言われたんだよね。「明日!?」ってビックリしたけど。

――
執念が実ったんですね(笑)。

坂田
 またテストを受けたら「いつから来れるんだ?」ってことで入門を許されたんだよね。

――
リングスって練習がめちゃくちゃ厳しかったんですよね?

坂田
 厳しかったし、前田さんが道場に来たらさらに厳しくなった。

朝10時からトレーニングがスタートするんだけど、新弟子はそれまでにストレッチを終わらせておく。10時になったら長井(満也)さん、成瀬(昌由)さん、山本(宜久)さんら選手と一緒にランニングに行く。30分から1時間くらい走って道場に帰ってきたら、新弟子は縄跳びやって、それからスクワット。スクワットはだいたい500回なんだけど、それをやり終えて腕立てや腹筋をやってるぐらいの頃に前田さんが道場につくわけ。で、前田さんに「オマエらスクワットやれ!」と言われるんだよ。こっちは「スクワットをやってます!」とは言えないから。

――
また500回!(笑)。

坂田
 いやいや、前田さんの場合は「いい」って言うまでやめられないから1000回近くまでやる。

――
ゴールのないスクワット……。

坂田
 たまに「じゃあ、今日は3000回やれ」って言うことはあったけどね(笑)。

――
うわー(笑)。逃げ出す新弟子が多かったことは頷けます。

坂田
 俺が落とされたテストのときに入門した新弟子が5人くらいいたけど、俺が入ってすぐにやめていったよ。最終的に残ったのは俺と高阪(剛)の2人だけ。練習はホントに厳しかったけど、俺も高阪も「やめる」なんていうワードは一度も出てこなかったよ。

――
当時のスパーリングは新弟子が先輩の実験台になるものだったんですよね?

坂田
 新弟子が亀の状態から攻められるやつだね。

――
ヨーイドンではスパーはしてないと。

坂田 俺と高阪がデビューするくらいになってからはそういうスパーにはなっていったけど、最初は極めっこの実験台だよね。そこで新弟子は逃げ方を覚えていって。

――
リングスが過酷だったのは、プロデビューするためにはプロテストに合格しなければいけない。そのプロテストをクリアできなくてデビューできなかった人がいるほどハードだったとか。

坂田
 俺が入った頃はプロテストに受からない人はいなかったけど、成瀬さんや山本さんの時代にはいたみたいだね。内容は入門テストとほぼ変わらない。入門テストでスクワットを何分でやったとか資料が残ってるから、プロテストのときはそのタイムを短縮できていないといけない。基礎体力テストのあとにスパーリングと受け身があったんだけど、受け身が死ぬほどつらかった。

――
それで身体を壊した人もいたとか。

坂田
 俺もそうだよ(苦笑)。プロテストの翌日は先輩たちが「明日は休みでいいよ」って休ませてくれるんだよね。だけど身体がガチガチに痛くて、何もやる気がない。プロテストをやった3日後くらいに椎間板ヘルニアになって、朝起きれなくなって。時間になっても俺が道場に来ないから高阪が部屋に見に来てくれたんだよ。それまで蓄積されてたダメージもあったとは思うんだけど。

――
それでよくリングスで戦い抜きましたね……坂田さんはデビュー当初はしばらく完全競技の試合だったそうですよね。

坂田
 ほぼガチンコだよ。

――
以前ボクがインタビューしたときも、最初の1年間はガチンコだったと振り返ってますね。

坂田
 たしか外国人選手か、先輩とやるときに初めてそうじゃないことを知らされたのかな。

――
いわゆるフリースタイルというか、スーパーストロングスタイルってやつですよね。それを初めて聞かされたときはどう思いました? 


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