oldjapさん のコメント
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報告(智恵子に)昭和二〇・一〇を読んでみた。
何故、今この詩を今一度読もうと思ったか。
かすかに、次の句があるような記憶をしていたからだ。
「日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。」
昭和20年10月、日本は軍国主義、国家統制からさよならをしたと思えた。少なくとも多くの人々は、戦後の日本は、軍国主義、国家統制から無関係の社会に思えた。
しかし、見事復活しつつある。
「人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子」、そして、その状況が「人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の 砂にすわつて智恵子は遊ぶ。 無数の友だちが智恵子の名をよぶ。ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―― 砂に小さな趾あしあとをつけて 千鳥が智恵子に寄つて来る。 口の中でいつでも何か言つてる智恵子が両手をあげてよびか
英国だけを取り上げたが、現在、国家統制機関を持たない主要国家は皆無であり、その当然な結果として、国家は守るべき国家秘密を持ち、また、一般庶民はこれら機関の監視下にあるのは当然であり、したがってそれらの監視や統制に反感を持ち、抗議する国民がいるのも当然である。しかし、国民の大半および選挙によって選出された国会議員の大半がそれらの統制は国家の維持にとって必要であると考えるからこそ、それらの機関が諸国家に存在するのである。さすれば、問題はそれらの統制に対する反感、抗議は果たして国民の一員として一般的に正しい反応と言えるかどうかであろう。言えることは、単なる「気に入らない」とか「不安」とか、高村光太郎のような感情的反応は無意味であり、もっと理性的な論議が必要であるということである。
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