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magomeさん のコメント

>>191 >文化が規制されまくっていたのは言うに及ばないし、度々飢饉が起こっていました

当時、飢饉が起っていたのは農業技術が冷夏に対して未発達で、いまよりも農業技術が未発達だったからです。江戸時代に飢饉が起きていた時期は世界中で飢饉が起きていた時代であって、フランスでも冷害が発生してフランス革命の引き金になっています。また、平成5年に発生した米の大凶作から見ても解るとおり、いまだに冷夏に備えた食糧増産は完璧ではないのです。実をいうと冷夏に対抗できる米作りも近年になってやっと技術が出来上がったものでしかも、この方法もまだ慣行農法に比べて一般化していません。
さらに言えば、飢饉が起った背景には大名の支配地の運営における安全対策が未発達であったからであって、幕府の手度の届くところではないのです。これは先の震災でも首都圏が麻痺したのと同じで天災も幾度にわたって経験するまで解らないことが現在でもあるのです。

>江戸時代の商店の看板は文字ではなく絵柄のみを模したアイコンです。八百屋は大根、釣具店は釣り針という風に、創意工夫ではなく単純に文字が読めないからです。

江戸時代の看板は目立つ方が勝つから絵を描いた看板が普及し、これが現在使われている看板や広告旗の基礎ともなっています。また、文字と絵柄を描いた看板も無数にありますし、「江戸時代 看板」で検索すればいくらでも出てきます。いまでも絵柄のみを模したアイコンやネオン、標識が山ほどあるのですから、単純に絵柄の方が客が引き寄せられるからなのです。

>文化が規制されまくっていたのは言うに及ばないし、度々飢饉が起こっていましたし、山は禿山だらけでした。

文化は規制されておらず、文化、文政の元禄時代に花開き、いまでも普及している日本文化は山ほどあります。というよりは江戸時代があったからこそいまの日本文化、文明があると言っても過言ではありません。

まず、印刷技術の発達で書物が普及したために貸本屋が商売として成り立ち、その結果、巻物が主流を占めていた書物が今のかたちの書物に発展し、この時に戦国武将の歴史小説が町民にまで普及するに至ったのです。現在は歴史の見直しでかなり内容を修正するようになりましたが、それまで語られていた戦国時代の歴史認識は江戸時代に普及したのです。また、一般的にNHKの大河ドラマでも幕末、明治よりも戦国時代を取り上げた物語の方が視聴率が高いのも、江戸時代に時代小説が普及したからと言われています。それだけ、演出技術の歴史が幕末、明治を取り上げた作品よりも江戸時代から養ってきた経験があり、長いからなので後忌まれています。また、ゴッホやモネにも影響を及ぼした浮世絵は勿論、春画はもちろん、漫画(コマの中にイラストを描き、吹き出しに台詞を書き入れる)も江戸時代に普及、定着し、いまの漫画やアニメの原型はこの時に作られたと言っていいでしょう。

いまの北朝鮮はおろか、現在の日本でもでこれほどの書物文化が飛躍したという例は見られるのでしょうか?はっきり言って書物が電子書籍になっただけで江戸時代当時と比べると、むしろ、停滞しているのではと思えてなりません。

さらに、芸能でも今でも親しまれている漫才、落語、歌舞伎などの文芸も江戸時代に普及し、定着したものですし、旅芸人もこの時に誕生しました。小林師範が取り上げるAKB48の原型も江戸時代に普及した芸能文化が基礎となっていると言っていいと思います。

そして、食文化ですが、現在和食に使われている調味料の大半は江戸時代に発明されて、普及されたものです。醤油、出汁類は勿論、酒、みりん、酢、そして地域の味噌も同じで、このために地域色豊かな食文化が発展しました。和食の代表ともいえる江戸前寿司、押し寿司、蕎麦、うどん、天麩羅はもちろん、山葵、刺身、鰻、和菓子、御茶、豆腐料理、海苔、鍋料理、味噌汁、貝料理、雑煮やおせち料理、幕の内弁当と、上げたらきりがなく、肉料理でも鯨料理は勿論の事、ももんじ屋で鹿や猪、豚や牛など様々な肉料理が食べることが出来たことや鯉やドジョウなども食べていたことから、食文化から言えば、現在の方がむしろ、貧しいのではないのかと思えてしまうほどです。

この食文化はなにも江戸などの大都市に限った話ではなく、各地域においても様々な食文化も江戸時代に生まれ、現在に至っています。一度、料理の歴史を調べてみればお分かりいただけるかと思います。いまの洋食もなぜに普及したかと言えばそれは江戸時代にすでに食べる習慣があったからにほかなりません。だからこそ、洋食も外国料理としてではなく、日本料理として定着しているのです。これは調味料からして同じです。

>下級武士の中には掛け算も出来ない者もいました。
>住民の殆どは読み書きが出来ませんでしたし、

これは江戸時代、教育を文系重視にするか数学も入れるか各家庭でばらつきがあったからであってこれは武士に限った話ではありません。その証拠に幕末にペリーが来航した時も東京湾(江戸湾)の観測が正確であったことに大変驚いていますし、玉川上水を設計したのが百姓であったことから、もし、数学が普及していなければ土木作業も実行できませんし、大規模な感慨はおろか、年貢の制度も成立しなかったでしょうし、通貨制度も定着しなかったと思います。結果として、その下級武士も地域や時期、役割によって掛け算が必要なかったというだけの話なのです。
また、庶民に読み書きが普及したからこそ教科書が七千種類も作られ、寺子屋が発達したのであって、もし、読み書きが普及していなければ教科書も作られませんし、書物も普及はしません。また、貸本屋という商売も絶対に普及しません。

>明治時代の初めの頃の薩摩人の識字率は「超」が付くくらい低かったです。

この識字率も明治時代いこうの近代化教育における「識字率」を示しているのであって、それまでの実用を重視した寺子屋教育と全く異なっていたために、結果として國語の試験、小試験でいい点数が捕れずに「識字率が低い」という結果になっただけの話で、識字率そのものが低いのとはわけが違います。正岡子規も文才に優れていましたが、近代教育における國語の授業ほど面白くなく、習得するのに苦労したという話も残っていることから、近代化教育導入による不慣れが原因と見たほうが正しいわけです。

>江戸時代は各藩の自治とは遠く及ばない勝手気儘な統治が行われて

というより、この自治は職業や地域によって統治方法が異なっていたからであって、勝手気儘ということは現在よりも自由度があったからにほかなりませんし、だからこそ270年間も平和な時代が繁栄していたのです。現に、江戸時代における殺人事件は今の一年間分の殺人事件よりも少なかったことや金銭を全く持たない、保護者が付き添わない子供や、飼い主が付き添っていない犬が、遠方からお伊勢参りに行くことが出来たことからも、いかに安全で自由度が高かったが解ると思います。

>山は禿山だらけでした。

もし、江戸時代にはげ山だらけであったならば昭和中盤まではげ山だらけのはずです。なぜなら、植林には近年でも大規模な動因と管理の機関が必要だからであり、明治、大正を通してもはげ山に植林して元に戻すことは物理的、技術的に不可能なのです。現在のモンゴルや砂漠化によって滅んだ古代文明跡地を見ても砂漠から森林に戻すための技術がまだ完全ではないことがお分かりいただけるかと思います。また、江戸時代には魚付林というのがありまして、健全な森林が水産資源を増やす栄養素を提供させることが解っていたので魚付林に指定した森林を許可なく伐採すると死刑になりました。
現在、放流や海藻、海草の植え付けが望ましい結果を出せず、むしろ、魚付林がもっとも水産資源を増やすのに効果的であったことがわかり、江戸時代の人々の方が森林の効能を現代人より知っていたとしか思えないのですが、如何でありましょう。

>漢字仮名交じりとローマ字での教育の習熟度に差が生じたのでローマ字教育を中断しました

これは戦時中、適正用語として英語教育が自粛されていたためにローマ字教育そのものの普及が必要だったことと、ローマ字を読めない児童が戦前に比べて拡大していたのが原因です。さらに言えば、教員不足(当時、教員免許を持つ、高等教育を受けた人が極めて少なく、男性教師が大半を占めていたために徴兵などで戦死、戦傷して教員人口も激減し、さらに外地引き上げで児童数も増え、そして中学までをも義務教育にしたために教育期間が延長し、ローマ字教育どころの話ではなかったことなど、様々な原因が重なったためで、江戸時代の識字率とは関係ありません。

>これもはっきり言って清が崩壊した後の張作霖や馬歩芳や盛世才らが行った軍閥統治と変わりはない

もし、そんな統治をしたら一揆を起されてお家断絶となってしまいますし、「島原の乱」どころの話ではなくなってしまいます。張作霖や馬歩芳や盛世才らが名主制度を実施し、年貢を三公七民にまでしていたのでしょうか?

なお、現在の研究では一部ではありますが、江戸時代の日本のGNPは世界一だったという説まで浮かび上がっています。

>英米の支援で倒幕を計画し、逆に錦に御旗を取られた幕府側は勝手に偽物の王様を立てました。自治ではなく単なる叛逆です。

この倒幕も元々は欧米の不平等条約を打ち倒すために行ったためであり、徳川慶喜もこの事態を飲んで倒幕を受け入れたのです。だからこそ、官軍と戦った者は「賊軍」とされたのです。

>幕末から明治にかけて「公」の理論で動いた者はいませんでした。

幕末の英雄が私情で働いていたのならば独立はなかったでしょう。SAPIOで連載中の「大東亜論」と「平成攘夷論」をお読みになられましたか?

>東アジアの貿易圏はイスパニア・ポルトガルを追放してオランダが勝ち取っただけ

というよりは当時はプロテスタント教のオランダがスペイン、ポルトガルのカトリック教布教の危険さを告げ口して、その結果、幕府がオランダを貿易国として選択しただけの事。また、日本がフィリピンと違い、当時、世界最強の軍事力を持っていたから島原の乱で収まったとのです。その証拠に集団で鉄砲を打つという技術は日本にしかなく、当時でも日本の教育水準が高かったことから、地理的要因もあったと思いますが、ザビエルをはじめ、諸外国の人々は日本の進行における危険性についていくつも書き記しています。
幕府はこの時、蘭医学や蘭学や西洋文化、文明の情報を幕府が統制し、独占することを条件とし、限られた外国人を長崎の出島に集結させて機会があれば江戸に上ることも許しました。だからこそ、ドイツ人のケンペルやスウェーデン人のツュンベリーも江戸時代の日本について書き記すことが出来たわけです。
だからこそ、薩摩も倒幕前に蒸気船を自力で作ることが成功したのであり、西洋医学やローマ字もいち早く普及したのです。清や朝鮮と同じ鎖国であったならば蘭医学の普及やカステラなどの西洋文化の普及もなかったはずです。そして、もし、商人の貿易を自由に許せばキリスト教の普及により欧州の傀儡人を増やし、その結果、奴隷貿易や島原の乱を度々発生しては戦争を招いてしまう危険があったわけで、欧州人が訪れた有益と見なされるアジア諸国は皆、この方法で植民地化されてしまっています。フィリピンやインドネシアなどがその典型と言っていいでしょう。
それと、ロシアの樺太における定住を許したのは当時、北海道南部以北はまだ未開拓で多くの人が定住せず、支配が及ばなかったから。だからこそ、幕末に樺太は日露両國民の混在の地、現在でいう北方領土四島を日本の領土としたのです。

>国内当地のみばっかで外交は全くのオンチでした。

もし、外交が全くの音痴でしたら食料の自給体制すらできていなかったでしょうし、外交音痴に見合うだけの植民地支配を受けていたことは明らかでしょうし、270年間も平和な時代は絶対に続かなかったでしょう。これは支那の属国であった朝鮮やスペインの支配を受けたフィリピン、オランダや清の支配を受けていた台湾を見れば日本も決して運だけで270年の平和の時代を続けることが出来たわけではないことが解ると思います。

>江戸時代は外交的に全く弱かったことは幕末の体たらくを見れば明らか

幕末だけが江戸時代なのではなく、むしろ、幕末は江戸時代でも特殊な例と見ていいと思います。なぜなら、蒸気船の普及が前例のないほどに早く、このために清も阿片戦争で早々と負けてしまいました。そして、薩英戦争で薩摩が勝利し、馬関戦争でも欧米側の方が損害が大きかったことも江戸時代に養った國力があったからにほかなりません。
この江戸時代における國力の温存があったからこそ重工業も自力で普及させて近代化産業を國内に定着させることに成功し、現在に至るわけです。産業革命の導入も日本がロシアより早かったことも、現在のロシアと日本の國力差を表していると思います。
そして、平和の時代は外交力無くして維持することは不可能でもあるのです。これは植民地化されて滅ぼされた文化、文明の歴史をみれば明らかだともいます。

江戸時代を詳しく取り上げた書物が三冊ほどありますので、一度、読んでみてはいかがでしょう?

「逝きし世の面影」 渡辺 京二 平凡社ライブラリー)
「江戸グルメ誕生」 山田順子 講談社
「江戸への新視点」高階秀爾 田中優子 編 新書館
No.199
133ヶ月前
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(号外 2013.12.28発行)   ゴーマニズム宣言 「失笑!安倍首相の靖国参拝は『不戦の誓い』だった!」   首相の靖国参拝はもう新たな局面に入ったのではないだろうかと思っている。 どうせ来月発売の自称保守&ネトウヨ系の言論誌は、安倍首相よくやったと絶賛一色だろうが、国際的な感覚が全くない、内弁慶な議論でしかない。  以前のように朝日新聞や左翼が中韓にご注進に及んでこの問題をこじらせてきたとか、中曽根総理が「公式参拝」を言い出すまでは普通に靖国参拝していたとか、その頃は中韓も文句を言わなかったとか、そういう歴史的事実を述べても、アメリカを始め世界に対して説得力を持つレベルではなくなった。  安倍首相の靖国参拝を受け、在日米大使館は「失望した」と声明を出したが、それを安倍政権が軽く受け止めていたため、米国務省がさらに同じ内容の声明を出して、米政府の姿勢を明確にした。  日米防衛相の電話会談も延期になって、ようやく日本政府も事の重大さに気づき始めたようだ。  アメリカだけの話ではない。欧州でも安倍政権は失笑されている。  一国の首相にしては世界からの視線に鈍感過ぎるのではないか?  安倍首相は世界中から異様なタカ派だと見られている。  フランスの極右政党党首ルペンや、ロシアの極右政党党首ジリノフスキーのように、短絡的で偏り過ぎた極右の首相と思われているだろう。  わしの目からは、もはや完全な ネトウヨ首相 だ。ネトウヨと同レベルの国際感覚なのである。  慰安婦問題もそうだが、首相の靖国参拝は、もう国際的には新たな局面に入ってしまって、自称保守論壇の内向きな強硬意見は、日本を孤立させるだけの自慰行為になってしまった。  そもそもわしは小泉純一郎の首相在任中の靖国参拝の時も警告を発していたのだが、新自由主義・グローバリズムで、日本の国柄を破壊する政策を遂行するために、ナショナリズムは利用されるようになってしまった。   靖国参拝はもはや新自由主義の隠れ蓑になってしまったのだ。  この矛盾がどうしても自称保守&ネトウヨには理解できない。靖国参拝さえしておけば愛国者と認定する単細胞が、今の自称保守&ネトウヨなのである。  しかもこの連中は皇位継承問題では「男系Y染色体固執」で団結しており、天皇陛下の御意思も踏みにじって恬として恥じない。皇統断絶の危機を招来している一群なのである。   つまり「天皇なきナショナリズム」だ。  天皇のため、郷土(クニ)のために戦った英霊たちは、悲嘆に暮れていることだろう。  しかも自称保守にしても、かつて小泉が8月15日を避けて参拝した時には批判していたはずである。  だが今回の12月26日という無意味な日の首相参拝には、なぜかこぞって称賛の声を挙げている。  いつの間にやら靖国参拝のハードルはすっかり下がり、いつでもいいから、とにかく行きさえすりゃいいということになってしまったようだ。  さらに肝心なことは、首相が靖国神社をどういう場所と捉え、何のために参拝するのかという意識である。  安倍は今回どういう意識で靖国神社を参拝したのかを、談話で発表している。その談話のタイトルは 「恒久平和への誓い」 というのだ! http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20131226danwa.html  これだけで、安倍は靖国神社がどういうところか一切理解していないということが明らかである。  
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!