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ぼくちんさん のコメント

>>2
はじめまして。いつも楽しく読んでます。

苦しんでることをみてもらうことが、クリエイターにとって食べていくことにつながるとのことですが、
するといずれは受け手が苦しみの安売りに今度は気づいて冷めるんじゃないでしょうか。

僕は音楽をしているものです。

今回は、消費者が作り手の姿勢に、苦しんでるものを求めているのか、楽しんでるものを求めるのか、
というお話だったと思いますが、ひとつそこに、違った角度から意見を申し上げさせていただきます。

曲作りをしていると、やはり時間をかけたもののほうが自分としてはいいものが作れているような気がします。
なので苦労した方がいいものをつくれる気はたしかにしますけど、個人としてのその感覚は置いといてきになることがあります。

場合によってはですが、
苦労しないで勢いでつくれたものでも結果的によかったりするし、
もがき苦しんで作ってもやっぱりよくないものはよくなかったりします。

ですがこれはその曲そのものを創作者と受け手が評価することに関しての話だと思います。つまり結果です。

岩崎さんのおっしゃってることはこういったクリエイティブの分野では、
創作者のつくったもののよしあしではなく、
創作者がものづくりに取り組んでるときの姿勢を受け手が求めているということだと思います。

すると受け手はいずれはその『がんばってる姿勢だけで評価される』
というのは創作でわざわざやることではないと気がついちゃうんじゃないでしょうか。

『評価されるために頑張るのではなく、
つくったもので評価されるようになるべきだ。』という考えもあがってくると思います

頑張ってる姿勢で評価される、つまり中身で評価されるのがアイドルで、
つくったもので評価されるのがクリエイターとなると思います。

つまり、なにがいいたいかと言うと、
昭和から消費者はクリエイターに姿勢を求めた部分が強かったと思うんですが、
こうやってネットでなんでも手に入る時代になると、ひとつのものに凝る人がどんどん増えると思うので、
結果をクリエイターに求める時代にもなっていくんじゃないかな、ということです。

ただどちらが大衆的なのかという点では、僕は岩崎さんのおっしゃってるほうなんだろうなぁとは思ってます。
No.6
148ヶ月前
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ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。