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younghopeさん のコメント

当時、自衛の問題は国民世論を二分する大きな問題であり、私の頭の中でも議論を繰り返していたが、解決がつかなかった。問題が米軍基地問題、地位協定の段階になると、あまりにも不平等な条約であり、隷属国扱いであり、怒りをおぼえたものでした。政府はどのように解決していったか、60年安保の時の岸総理の戦略は巧みであり、見事な戦略を敷いていったが、対する我々学生のデモの押し寄せるようなエネルギーにも、血がたぎってくるのを覚えました。当時は共産主義に対する日本の防備であったが、今回の「集団的自衛権」は防備でなく、米国のための米国の戦争に、世界のどこまでも一体となって参加協力するということであり、いつの間にか、日本が全面的従属化を余儀なくさせられるということである。当時は米国の加護状態にあったが、「日本は成長したから、米国の手下になって働け」ということなのでしょう。本当は国民世論を二分し、ねじれが生じ、米国の要求を巧みに拒否できる状況が一番望ましいのであるが、3分の2以上の多数を占めると、米国の要求を唯々諾々と受け入れざるを得ず、安倍総理はますます袋小路に入り身動きができないような状況になり、精神的不安定状況が増大悪化する可能性が強い。
No.1
120ヶ月前
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  『一期一縁』より  *******************************  一九五六年10月、現在昭和記念公園がある当時の北多摩郡砂川町に私はいた。  戦前の陸軍飛行場を接収した米軍立川基地の拡張に反対した「砂川闘争」だった。当時の宮崎町長を始め、砂川町の住民たちがこぞって反対し、安保条約に基ずく土地収用特別法による収用手続きのための測量に対し、体を張った闘争だった。  当初、砂川のお母さんや娘さんたちが、反対運動を展開し、デモを行い、座り込みで抵抗したが、すぐ警察機動隊に駆逐された。基地拡張に共鳴する労働組合や各種団体が加わったが、実際測量が始まると。それらの努力は雲散霧消して抵抗は微弱なものとなった。  砂川の婦人たちの間か「学生さんに応援してもらうことはできないものか」という声があがった。  そして、私に白羽の矢が立ち、学生達の総指揮官として砂川闘
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。