『一期一縁』より

 *******************************

 一九五六年10月、現在昭和記念公園がある当時の北多摩郡砂川町に私はいた。

 戦前の陸軍飛行場を接収した米軍立川基地の拡張に反対した「砂川闘争」だった。当時の宮崎町長を始め、砂川町の住民たちがこぞって反対し、安保条約に基ずく土地収用特別法による収用手続きのための測量に対し、体を張った闘争だった。

 当初、砂川のお母さんや娘さんたちが、反対運動を展開し、デモを行い、座り込みで抵抗したが、すぐ警察機動隊に駆逐された。基地拡張に共鳴する労働組合や各種団体が加わったが、実際測量が始まると。それらの努力は雲散霧消して抵抗は微弱なものとなった。

 砂川の婦人たちの間か「学生さんに応援してもらうことはできないものか」という声があがった。

 そして、私に白羽の矢が立ち、学生達の総指揮官として砂川闘