名を正すさん のコメント
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辺野古承認取り消しの翁長知事を支持する。理由は次の通り。
13日、翁長知事は普天間基地の辺野古移転承認を取り消した。翁長知事は知事選挙
で辺野古移転反対を掲げ当選した。これは政治的決断である。
対象は海兵隊である。海兵隊の任務は奇襲で、特定地域の防御ではない。したがって基地は沖縄に置かなければならない問題ではない。
米国本土や、ハワイ、グアム島を含め世界のどこでもよい。
中国の大陸間弾道弾とクルーズミサイルの数量、性能のアップにより、米軍基地は極めて中国の攻撃に極めて脆弱になった。特に沖縄はそうである。したがって、海兵隊の日本防衛への貢献はさらに低まった。
辺野古移転による利益は基本的に海兵隊と言う極めて狭義の利益である。それが米国国防省の主張、ホワイトハウスの主張になっているが、米国全体の利益にどこまで供しているかとなると、大きくない。
上記の事実が辺
沖縄に対する本土の無関心がこの問題の背景にあります。この根底には、他者の痛みに関して、驚くほど想像力がないことがあります。
かつて司馬遼太郎が指摘しましたが「我々のうるささというのは、隣の人間に対するうるささなんですよ。隣の人がちょっとゴミ箱を俺のところにやったといったら、血相を変えて喧嘩する。なぜ国家とか、自治体に対してうるさくないのか」。逆に自分の身の回りのことにはことのほか敏感です。日本の消費者は世界一厳しくて、日本で合格すれば世界で通用すると言われますが、このような厳しい目を自分だけの利害を超えた部分にも広げるべきです。
もちろん、他者の痛みを共有することは難しいことです。しかし、沖縄の基地の問題だけでなく、難民問題にしても、南京虐殺にしても、あまりにも日本は鈍感すぎます。「~問題」というようにひとくくりにせず、そこで苦しんでいる人々、犠牲になった人々一人ひとりのことを想像し、考えるという習慣が少ないのかもしれません。
この鈍感さのゆえに、他者の痛みに塩をぬるような発言をする人も後を絶ちません。沖縄の民意を無視する政府の傲慢な態度や発言、南京虐殺世界遺産登録に「無念だ、分担金を払うな」という驚くべき発言をする政治家や学識者、彼らには苦しんでいる人々一人ひとりに対する人間としての思いやりが決定的に欠如しています。彼らは自分が何を言っているのかがわからないのでしょう。
こういう人々のことを子供と言います。この意味で、安倍政権は子供の集まりです。彼らには「他者」がないのです。
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