Mythe et poemeさん のコメント
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『 1984 年』( Nineteen Eighty-Four )は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説。 1949 年刊行。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。
本来はソ連を意識して書かれた。
しかし、その状況は、安倍政権と極めて類似している。
全体主義的国家の中で政府が「2+2」は5と言えば、5になる、更に6と言えば6になる。
そしてある日突然、「2+2=5」から「2+2=3」になる。
この時、かつて「2+2=5」と言っていたではないか、はダメである。なんの躊躇もなく、「2+2=3」と言わなければならない。
この社会は党が管理している。党の幹部になっていく人は一定の知的水準があったはずだ。どうして、「2+2=4」と主張しないのか。
党が「2+2=5」と言っている時に、「2+2=4」ということは党から見ると犯罪だ
こういうことを、本来なら、社会学者がやるべきだろう。ブルデュー理論などはこうした問題を分析するための概念を提供している。
しかし、もちろん、社会学者はだれも、そんなことはしない。
なぜなら、「犯罪ストップ(CRIMESTOP)」の能力が彼らにも備わっているからだろう。
孫崎さんの理論は、先日の「認知的不協和理論」といい、ファシズムの生成のメカニズムを解き明かしている。
そして、理論の提示ばかりではなく、一定の抑止効果を発揮してもいる。
それはなぜか。
孫崎さんの言葉には、眠った理性を覚醒させる「何か」があるからだ。
理性が眠る時、集団的獣性がめざめる。
反知性主義とかいう言葉があるが、「反知性」は「主義」なんていいもんじゃない。「獣性」でたくさんだ。
獣になって、わが身と国を戦禍に巻き込んで、後で泣く。何度繰り返してもまたやる。
そうなりそうな集団に、懸命に「寝ちゃいけないよ。理性を目覚めさせなさい」と孫崎さんはやさしく語りかけてくれているのだ。
こういう人は、戦前の日本にはいなかった。
歴史は繰り返すが、しかし、同じではない。差異をはらんでいる。
人類という種はとことん虚無的だが、そのなかで少しずつ灯りのような「知」が照らしている光景。
地味で目立たないが、実在の真景。
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