『1984年』(Nineteen Eighty-Four)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説。1949年刊行。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。
本来はソ連を意識して書かれた。
しかし、その状況は、安倍政権と極めて類似している。
全体主義的国家の中で政府が「2+2」は5と言えば、5になる、更に6と言えば6になる。
そしてある日突然、「2+2=5」から「2+2=3」になる。
この時、かつて「2+2=5」と言っていたではないか、はダメである。なんの躊躇もなく、「2+2=3」と言わなければならない。
この社会は党が管理している。党の幹部になっていく人は一定の知的水準があったはずだ。どうして、「2+2=4」と主張しないのか。
党が「2+2=5」と言っている時に、「2+2=4」ということは党から見ると犯罪だ
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市役所が使用している封筒の表面に印字された,「日本国憲法の理念を守ろう」の文字に黒塗りがなされて用いられていた東京都日野市役所の一件も,孫崎さんの言われる独裁による「全体主義国家」への萎縮効果の現れのように思える.
「日本国憲法の理念を守ろう」の表現は至極まともと考えるが,現在のアベ独裁政権に気に入られたいと思う人にすれば,それが弓を引く表現・言動になると受け止めたのだろう.「憲法」の上に「アベ独裁政権」があるように見える.アベ独裁政権は人々に恫喝をするが,憲法は人々に恫喝をしないからね.
人々の生活により身近な地方公務員の言動に体制順応先取り・知的劣化・狂気が見え始めている所に恐いものを感じる.いかに従順な日本人,特に公務員の特質とは言え,これまで培われていた筈の「民主主義」の知的思考を,私達一人一人が保って堅持し,「1億総火の玉・1億総狂気社会日本」にだけはならないことを願うし,させたくない.(2015年10月31日)
> 日本中かもしれない。
そう帰納されても納得することばかりです。孫崎さんが指摘された日本の上層部の有り様と瓜二つのことが私の会社生活でもごく日常的に起きています。
青色LEDの中村氏が、かつて発明した際の所属会社との係争を振り返り「日本の裁判所は公正さの追求より『お家』を守るのが第一。江戸時代から何も変わっていないのでしょう」との旨語っていました。
その通りでしょう。
併せて思い出すのが孫崎さんの「OHPプレゼン」のエピソードです。「エライ人」は支配する側、される側の線引きを常に意識している。
立場が逆転するような兆しを察すれば速攻で潰す。嫌がらせに屈服している姿を見たい。これです。
要するに上層部の意識はサル山のサル程度なのでしょう。
もしも日本国中が心の底から「原発賛成!TPP賛成!集団的自衛権賛成!」となったら、政府は立所にこれらすべてを廃止することでしょう。
マスコミと言うんは怖いものだな。集団である意図を持っているとしたら、国民はよほどの要人が必要だ。タコさんの意見に強く賛同する。もともと日中衝突がフェイクであると言うのも仮説に過ぎない。真実は想像するものではなく、自ずから現れるものだ。ファイクなどと言う姑息な側面が出てくると言う事自体真実ではないことの現れだ。ただ確かに試されている側面もある。自分の糧としたいのならそういう風にとらえていくべきなのかもしれない。ただ安倍の評価は別問題だ。いろんな側面の一面が表に出てきたととらえるのが真実に近いだろう。そしてその一面が本当の安倍の姿かもしれないと言うことだ。マスコミは善良になりつつあると思うが、安倍など擁護する必要はない。
ほんとに安倍政権は、BIG BROTHERのスローガンどおりと思います。
「戦争は平和である。WAR IS PIECE.」は、「積極的平和主義」という欺瞞的言葉に直接的に通じる。
「自由は隷属である。FREEDOM IS SLAVERY.」は、今のNHKはじめとする、安倍たちに管理された日本の多くのマスメディアにそっくりである。
「無知は力である。IGNORANCE IS STRENGTH.」は、彼らの歴史認識によく似合う。
これらの一致・相似は、偶然ではなく、本質的な源から発しているであろう。「反知性的」という彼らの資質であり、政治姿勢である。
「犯罪ストップ(CRIMESTOP)」の能力というのが、独裁者のいうなりになる能力ということであり、また、官僚やマスコミ、政治家や財界がそれを実践しているという趣旨の記事である。
こういうことを、本来なら、社会学者がやるべきだろう。ブルデュー理論などはこうした問題を分析するための概念を提供している。
しかし、もちろん、社会学者はだれも、そんなことはしない。
なぜなら、「犯罪ストップ(CRIMESTOP)」の能力が彼らにも備わっているからだろう。
孫崎さんの理論は、先日の「認知的不協和理論」といい、ファシズムの生成のメカニズムを解き明かしている。
そして、理論の提示ばかりではなく、一定の抑止効果を発揮してもいる。
それはなぜか。
孫崎さんの言葉には、眠った理性を覚醒させる「何か」があるからだ。
理性が眠る時、集団的獣性がめざめる。
反知性主義とかいう言葉があるが、「反知性」は「主義」なんていいもんじゃない。「獣性」でたくさんだ。
獣になって、わが身と国を戦禍に巻き込んで、後で泣く。何度繰り返してもまたやる。
そうなりそうな集団に、懸命に「寝ちゃいけないよ。理性を目覚めさせなさい」と孫崎さんはやさしく語りかけてくれているのだ。
こういう人は、戦前の日本にはいなかった。
歴史は繰り返すが、しかし、同じではない。差異をはらんでいる。
人類という種はとことん虚無的だが、そのなかで少しずつ灯りのような「知」が照らしている光景。
地味で目立たないが、実在の真景。
>>15
賛同致します。
暗い狭い闇の部屋からきっと君は帰ってくる。忘れないで 凍える夜もちぢこまるきみのその魂が幾千万の きらめく灯へと
今まで見たことはない光景で空想上のラピュタの世界だ。知性というのは良い着眼だ。闇を切り裂くのはやはり知性なのかもしれない。それも他人から切られるのではなく、自ら切り開かねばならない。ただ自分には確信を持ってわかっていることがある。自分を縛っているのは自分自身だ。あらゆる可能性を封じ込めているのは自分自身だ。リスクがあると言うただそれだけの理由であらゆる可能性を閉じ込めて暗い世界に閉じこもっている。
僕から見れば愚かとしかいえない。
すみません、また三島由紀夫にこだわりたいです。今、神田神保町でやっている古本市で、偶然、『三島由紀夫が死んだ日』という本を買いました。800円。まだ読んではいないのですが、天才小説家三島は、経済的繁栄を謳歌している今日の日本が未だに米国の占領下にあるということに、ある時気付いたんでしょうね。良かれ悪しかれ。45年前のことですから、すごい天才です。三島由紀夫の研究家はそこをどう捉えているのでしょうか、興味深いです。
大江健三郎に関して言えば、他力本願ということになるのではないか?そのとき彼の名前が見つかるかどうかは知らない。が多分見つかるだろう。そう出なければそれは狭い排他的な世界だ。多くの人間がYESという世界を作るためには大江健三郎は名前を見つける必要がある。それに彼にはその場所の方が合っているのだ。後は同折り合いを付けるかという問題だ。
犬に名前を付けるように彼の名前を勝手に付けると「テンペランス」。世界に均衡と調和をもたらす重要な役割が与えられるだろう。
>>18
三島を知りたいなら、猪瀬直樹の三島由紀夫伝ペルソナを推薦します。私の三島感を言ってもしょうがないですけど、戦争に参加出来なかった、いや、実は忌避した内面の強烈な矛盾に悩み、その矛盾を克服すべく作家になったが、ノーベル賞が大江に行くだろうと確かな予感を感じ、最後は武人として死んでいった。とまーこういう風に見てるんです。第二次大戦後、米国一国だけが強大になり、動乱の中国、共産国家ソ連の衛星国家以外は米国の援助に依存していた。そしてそれが発展して相互依存関係(INTERDEPENDANCE)という言葉が発明され、国粋主義者の三島は文学的に相互依存関係が許せなかった。三島の考えを実現させれば、日本が北朝鮮みたいになることだと私は思います。先日の北朝鮮のパレードを見て居ると実に文学的な美しさだった。三島が見て居たら絶賛したと思う。