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第16回 コンテンツ無料公開のコツ(前編)
◇情報に課金する人なんていないよ
インターネットと電子デバイスの徹底的な普及は、情報の流通を劇的に改善させました。今では、地球の裏側に向けても、文字通り「アッという間」に、テキスト・画像・動画情報を送ることができますし、無数の聴衆・読者に向けて同時に情報を配信することも容易になりました。何か発信したいことがあったとしても、手紙を送ったり、リアルな聴衆へ向かって講演したり、マスメディアに取り上げてもらうことを願うことしかできなかった時代にくらべて、とても便利になったと言えます。
この「情報の流通が便利になった」という話の裏面としてよく語られるのが、「あまりにも多くの情報が氾濫することになった世界では、情報の価格は下がり続け、最終的にはタダになる」という話です。実際、ネットに接続して、SNSやキュレーションアプリ・メディアを利用すれば、「直接課金」することなしに、とても吸収しきれないほどの情報を獲得することができます。「やっぱりさ、無料でこんなに楽しめるのに課金なんてする人いないよ。もうコンテンツは無料にして、広告とかイベントで稼ぐしかないんじゃないか」と直感的に考えてしまうのも分かります。
しかし、有料ブロマガ・メルマガ事業をよくよく分析してみると、「コト」はそれほど単純でないことが見えてきます。
◇IT革命以前から、無料でいくらでも楽しめた
まず、「無料でいくらでも(人生を)楽しめる」のは、今の時代に始まったわけではありません。
電子機器を使った時間つぶしに限っても、90年代以降、無料でPCにインストールされているソリティアに人類が費やした時間を想像しただけで、気分が悪くなってきます。それに、電子機器を離れて「公園を散歩する」「友達や家族とおしゃべりをする」「家のまわりを走る」といったことでも、いくらでも無料で人生を楽しむことはできました。メルマガ運営のような仕事をしているとついうっかりしてしまうことがありますが、別に電子機器の前にいることだけが人生ではありません。
「情報を得る」ということについても、90年には日本全国に図書館の数は約2000館にのぼりました(2008年には3000館を超えています)。図書館に行けば、無料でとても読みきれないテキストに触れることができました。
つまり、人間は(少なくとも高度成長期後の日本人は)、IT革命以前から一生かかっても味わい尽くせない「楽しみ」や「情報」を無料で得ることができたわけです。
そうした中で、「有料コンテンツ」はどのように存在感を発揮してきたのか(出版界も音楽業界も90年代はそれはそれは好調でした)。「基本的に世の中に転がっている無料の何かで十分に楽しむことはできる。けれども、お金を払えば、より楽しむことができるよ」という「差別化メッセージ」とともに、コンテンツに価格がつけられていったわけです。
そんなの当たり前だろうと思う方も多いかもしれません。ただ、「昔から無料でいくらでも楽しめた世の中に、有料コンテンツが殴り込みをかけていった」というのは、意外と見落とされがちな話だと思います。
つまり、「無料コンテンツ」が「有料コンテンツ」の強力無比なライバルとしていきなり現れたわけではなく、基本的に「無料で楽しめるはずの世の中」にある意味では強引に「有料コンテンツを差し込んでいった」というのが、状況認識としては正確なのではないかと、私は考えています。
◇「有料である」ことの価値
多くの著者は、一人でもたくさんの人に、自分のアイデアや自分の作品を読んでもらいたい、見てもらいたいと考えています。お金とか、ビジネスとか、そういうことを考える以前に、とにかく自分の話を聞いてもらいたい。そもそも、そういう志向性がない人(とりあえずラクして稼ぎたいという人)は、何時間もPCの画面とにらめっこをしてテキストを書いたり、動画を編集することはできません。ですから、そう「考えてしまう」ことは、著者として健全だと思います。
そして、「とにかくたくさんの人に自分の話を聞いてもらいたい」と思った人の多くは、世界中のみんなが自分の作品と幸せな「出会い」をすることを想像しながら、「無料化」させてしまいます。
そうです。ここまで回りくどく、「そもそも世の中にあるものは無料だった」という話をしてきたのは、この戦略があまり効果的ではない(もちろん例外はあります)ことを説明するためです。
自分のコンテンツを探し出してもらいたい、という欲望をもった人が採算度外視で「無料化」に走るのは、「有料なコンテンツがあふれている世の中で目立ちたい」と考えているからだと思います。しかし、現実は違います。「無料なコンテンツがあふれている世の中で、どうしたら自分のコンテンツが目立つのか」を考えなくてはいけないのです。
そう考えていくと、「有料である」というのは、とても重要な意味を持つことがわかります。
まず「有料である」というだけで目立ちます。世の中に「有料なもの」というのは、ものすごく少ないのですから、希少価値があります。そして「目立たせるためのコスト」を継続的に払うことができるようになります。
例えば、ある人の書いた文章を、出版社が価格のついた書籍の形にして、書店に並べてもらったとします。これは何が起きているのか。まず、「価格のついた書籍」というパッケージングをすることで、世の中に転がっている「冷蔵庫の中にサラダが入っています」といった家族宛のメモ書きやら、「昨日の飲み会楽しかったね。また飲もうよ」といった友人同士のメッセージやら、といった「私的なテキスト」とは違うものですよという線引きをしたことになります。そして、店頭やメディア上でできるかぎりの「宣伝」が行われるような仕掛けを施したといえます。
もちろん「効果的だったかどうか」は、それぞれのコンテンツごとに反省点はあるでしょう。市場の状態も、流通事情も、プロダクト制作技術も、刻一刻と変わっていますので、「最適化」のためには日々の改善が必要だと思います。しかし、少なくとも「世の中でより目立たせる」ことを継続的に行うために、「有料化」はかなりの有効性を持つ可能性が高いということは、考慮に入れておかなければいけないと思います。
◇有料メルマガの最大のライバルは、著者自身の無料コンテンツ
しかし、いくら「有料のもの」が目立つために意味があるといっても、「とりあえず無料のものしか読まない」という人が多い、というのも事実です。
実は、私の運営するメルマガプラットフォーム夜間飛行では、2011年以来、有料メルマガの販売施策についてさまざまな試行錯誤を行ってきていて、今でも研究を続けておりますが、その中で唯一、結論らしきものが出ていることがあります。
それは、有料メルマガにとっての最大のライバルは、「その著者自身による無料コンテンツ」だということです。
超良質なコンテンツを配信するマスメディアでも、同じブロマガやメルマガを配信する人気著者でもなく、「その著者自身の無料コンテンツ」が購読者を増やすという観点から言えば、もっとも足を引っ張ります。
その著者以外の人が、どれだけ「無料記事」を大量に配信していようと、そのメルマガの購読者数には、まったく影響がありません。理由は上記の通りでしょう。そもそも世の中全体を見れば、圧倒的な量の「無料コンテンツ」にあふれているわけですから、「お隣さん」がいくら「無料化」したところで、自分の有料コンテンツを取り巻く環境はほとんど変わりません。
しかし、「その著者自身による無料コンテンツ」は、多大なマイナスの影響を及ぼしてしまいます。これはどうしてでしょうか。
いわゆる「読者」は、世界中に無数にあるコンテンツから、少しずつ「自分に必要な情報」を絞りこんでいきます。例えば、「なんとなくお腹が空いたなあ」と思っている人がいたとします。その人は、なんとなくネットを徘徊しているうちに「料理」について書かれたサイトにたどり着きます。そして料理の写真を見ているうちに、「ああ、もうこんな時間だけど、軽く夜食でも食べるか」ということを決心して、「おいしい夜食の作り方」について情報を得ようと動くわけです。こういう人は「おいしい夜食の作り方」というテーマで無料記事があれば、そこに飛びついて、有料記事には目もくれないでしょう。
一方、「夜食」をほぼ毎日のように食べ続けているような人は、同じような思考回路にはならないと思います。「おいしい夜食」という括り方で満足せずに、「次の日にお腹がもたれない夜食」や「とにかくお酒が美味しく飲める夜食」と細分化した情報を求めていくはずです。自分の求める情報にたどり着くまで、熱心に検索するはずですし、もしお金を出せば読めるというのであれば抵抗なくお金を払うでしょう。
これは、「人物」についても同じような認知をたどっていると予想できます。
例えば、「ものすごくコアなファン」というのは、その著者がメディアごとに提供しているコンテンツをすべて追いかけます。映像のものは映像のものとして、テキストのものはテキストのものとして、さらに、無料のものは無料のものとして楽しみ、有料のものは有料のものとして楽しんでくれるはずです。毎日夜食を食べているのだけど、よりクオリティの高い夜食体験をしたいと考える人と同じです。しかし、それは例えば、ツイッターのフォロアー数が1万人の人であれば「10人」という規模の世界だと思います(結構な数のフォロアーがいるのに、有料メルマガの会員数が数十人から伸びない人は、ここにハマっているのだと思います)。
一方、「ものすごくコアなファン」ではなくて、「○○さんってどんなことやってる/言ってる人なの?」というくらいの関心を持ってくれる人は、「○○さんがざっくりとどんなことをやっているのか/言っているのか」を知ることができればいいわけです。さきほどの例で言えば、「おいしい夜食の作り方」を知ることができれば満足するという人と同じです。そういう人は、検索上位に「無料コンテンツ」が出ていたりすると、それをサッと読んだだけで「はい、この人のことはもう分かった!」と満足します。○○さんが、本当に伝えたいことが、まるで分かっていなくても、です。しかし、このくらいの関心を持ってくれる人は、「ものすごくコアなファン」と比べて、かなりたくさんいます。ツイッターのフォロアー数が1万人であれば、「500人」という世界になる。有料メルマガ・ブロマガの著者がまず目指すべき規模です。
つまり、「著者自身による無料コンテンツ」というのは、「その情報を得るためにお金を出したかもしれない人数」を、500人から10人にまで劇的に押し下げる働きをしている可能性があるということです。
ここで、「有料メルマガ・ブロマガなんて、結局「人物」が軸になるしかないじゃん。「ファンクラブ」と変わらないよ」という指摘が実は多くのヒントを含んでいることに気が付きます。
読者の興味には、深浅があります。できるだけ「浅い興味しか持っていない人」まで有料購読してもらえると、たくさんの購読者を獲得できるということになります。しかし、「テーマ」を主軸にした場合、他の著者もその「テーマ」についてコンテンツを書くことができるということになります(たとえ、自分よりもレベルが低い話でも)。すると、浅い興味しか持っていない人は、その「自分以外の人の書いた記事」で満足してしまうことがありえます。そして、他の人が書くことをコントロールすることはできません。内容についても、価格についても。
しかし、軸が「人物」である場合は違います。「野球」についてでも、「健康」についてでも、「地方行政」についてでも、「テーマ」そのものよりも、その著者の視座が重要である場合には、他の執筆者のものでは代替できません。すると、「自分」に興味を持ってくれた人が、アクセスするコンテンツの状態についてかなりのコントロールができるということになります。
つまり、有料メルマガ・ブロマガの著者がすべきことは(もっと言えば、継続的に良質なコンテンツを提供したいと思っている人がすべきことは)、「○○さんってどんな人なの?」というくらいの関心を持ってくれた人に、しっかりとした有料コンテンツ(自分の本当に発信したいこと)を提供するため、ウェブ上に転がっている「自分自身による無料コンテンツ」の量を戦略的に調整するということなのだと思います。
来月は、今月号の話を踏まえた上で、もっとも効果的な「コンテンツ無料公開の仕方」について、ご紹介したいと思います。
ご参考になれば幸いです。