*前号までのあらすじ*
晩餐会「裸体の森へ」を、ブカブカのアレキサンダーマックイーン(その後、リサイズする事が決まり一安心)で乗り切ったものの、その後、余りの事に抑圧していた事実が襲いかかって来た。それは「機動戦士ガンダム/サンダーボルト2」の録音が、何と年内なのだという事である。晩餐会後の休息もなく、プリプロと作曲に明け暮れる毎日。何と、レコーディングは12月25日に決定した。どうする菊地成孔。
「村上さんの新しいお店が、神保町に開店した。神保町のトラットリア戦線に関する知識は全くない」
今では居抜きの居抜きの居抜きを経て、まったく別の店になってしまった「トラットリア/ブリッコラ」だが(周期的に「もうレコメン出来ない」とアナウンスしていたのだが、SNS上でないため誰にも届かず・笑・「こないだ菊地さんがお勧めするイタリアンに言って来たんですが、ぱっとしませんでした」というメールが未だに来たりする。SNSってファシズムかよ一億総活躍社会。というか、恐ろしいのは「(前段全く同じで結論)とても旨かった」というメールが届く事である)、古くからのご贔屓筋ならば御存知の通り「北村/原品時代」という黄金期(これはブリッコラ史では「第二期」にあたる。因に短かった第一期は「佐山/原品時代」)の次には、「第二黄金期」があり、これは「村上(原品さんの師匠)/近藤」時代。と呼ばれる。
村上さんは、シェフを変えながらも、バリスタの近藤さん(現在、神楽坂の無冠の帝王、「リストランテ/ラ・バリック」で副店長)と二人三脚で、北村/原品コンビが「ダ・オルモ」でミシュランのひとつ星を獲得したりするのを尻目に、地道に「その後のブリッコラ」を支え、第二の黄金期を言って良いシーズンを形成した。もう終わってしまった番組「オデッサの階段」では「菊地おすすめの店<ブリッコラ>の店長として村上さんが出演している(ここで情報源が止まっている人々が、未だにブリッコラに行ってしまう。「拡散希望」という死後は、私に取って、死後以上に死後になってしまった)。
外柔内剛を絵に描いた様な人で、弟子の原品くんが、ダメな客のテーブルから離れるなりニヤニヤ嘲笑したりするオラオラ系のカメリエーレだったのに比べ、ローマで修行された村上さんの慇懃さは「ここは京都ですか?」というほどであり、「プレゴプレゴ」の「元ヤン大集合」的な新宿イタリアン戦線にフィットしていた私は、最初こそ面食らったが、村上さんのローマ式の接客にも徐々に慣れ、短期ながら大変良い思いをさせて頂いた。村上さんは、近藤さんを伴って前述の「ラ・バリック」へ移動された。
その村上さんがこのたび独立し、店を構えるという、当欄の熱心な読者であれば「エフェ」(ミシュラン残念だったね。でもあの接客態度と料理じゃダメだよ小林自称カリスマシェフ。絵に描いたような北風と太陽だ・笑)の下見に際して、元「おふろ」の相良くん、北村シェフ、と共に、村上さんが加わっている事を想起されるであろう。独立の件は、その時に聞かされていた。
当初は新宿御苑と聞いて、うおー、近所にプレゴを脅かす店が(徒歩派なので)。と思ったら、神保町に成った。神保町は職場がある(美學校)ので、活動圏内と言える。
「ジロトンド」とは、子供の遊びの名前であり、その遊びの際には唱えられる。「かごめかごめ」のようなものです。と村上さんは言ったが、果たして料理も酒も素晴らしく、特に(これは当たり前の事なのだが)酒の揃えはブリッコラと変わらないので、懐かしくて涙が出た。若いシェフも技術的にかなり秀逸で、写真にある、ほうれん草のソテーの上に半熟のウフが乗っている皿や、焼いた鮎のほぐし身を入れたリゾットは素晴らしい。ブリッコラを更に鋭くしたキレッキレの長男がダ・オルモ(照明がピカピカに明るい)だとすれば、ジロトンドはブリッコラにホスピタリティと柔らかさを加えた(照明が柔らかく、暗い)次男と言えるだろう。遺伝子は乗り物を変えて生き続ける。