夢グループが、前番組、前々番組も含めると、気がつけばもう10年以上になるテレビ番組(BS朝日)があって、毎回見ているテレビ番組(BS朝日)があって、毎回見ている。「人生、歌がある」というタイトルで、まあ、改めていうまでもないが、ベタなタイトルである。この4月からは、司会が吉育三と岡田美里(ファンファンの娘で、元・マチャアキの嫁)になり、完全に安定した。
夢グループのことも、ましてや、この番組のことを、「正しく」説明するのは、僕には無理だ。いま、説明が一番難しいものになってしまった。これを20世紀的なキャンプの果てとするか21世紀的なニューシングとするか、もう既に、前者はマツコ・有吉でも取り上げられまくっているし、なんと我が故郷の銚子電鉄(廃線になるなる詐欺と言われて30年ぐらい経つ。僕も、デビューしてからほぼ毎年、イベントの依頼が来るが=全てが「セーヴ・ザ・銚電」なのだけれども)とさえ夢グループはコラボしている。
20世紀サブカルの知性の最高値を持ってしても、夢グループの説明は難しい。不確定性原理の説明が難しいような難易度ではない。そこに映るものは、50代以上の日本人なら誰でも知っているような有名物の残骸ばかりで、僕も、初見の時は残骸の集積にしか見えなかった。
なのだけれども、それがそうでないことはすぐにわかった。その時の、途方に暮れ方はハンパなかった。自分の説明能力を過信していたのだ。何だって的確に説明できる。オレが説明して意味不明というやつは救いようがないバカだ。ということで、60年近く生きてきてしまったし、未だに、夢グループと、「人生、歌がある」に関して以外ならば、そのことに揺るぎはない。
コメント
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「池澤先生」でした笑
>>3
「忘れられたスター」にやられた時、コロンボかっこいー!(あれは「タキシードコロンボ」のデビュー作ですし、次作「ハッサン・サラーの反乱」で「パス」として2度連続でタキシードコロンボが登場するんですが笑)となりますよね。映写室の投射光と埃だけで演技したりしてかっこいいですし。
とまれ、ジャネット・リーのキャッツアイとかにもヤラレてるんですよね笑。意識の表層まであがってくるかどうかは別として。ジャネット・リーかわいい良い人だけれども、ショーの資金欲しさに、あんなに良い旦那さんの頭を拳銃で吹っ飛ばすんで笑、えぐいですよね笑。
パスについて欠いておきます。こういう具合になります
「5時30分の目撃者」から「忘れられたスター」へのパス(共通フラグメント)
1)ヒロインの心、もしくは脳に問題があって、心的に常に不安定(殺害後に錯乱)
2)病理考証が曖昧
3)ヒロインがエロい
4)ヒロインが飛び降りる
5)寝不足コロンボ
「忘れられたスター」から「発散・サラーの反乱」へのパス
1)タキシードコロンボ
2)法律的に、特措的なエンディング
3)たくさんのヤングと、絡む(ヒロインと若いダンスチーム)(コロンボと学生デモ)
>>4
池澤さんはマンスプレイニングというより、ファザコンの人がトランスしやすい。という現象だと思っていたんですが、ただ、収録が終わるまで知らなかったんですが、日本SF協会?の会長さんなんですよね笑。「ファザコンの女性がマンスプレイニングしやすい」とするとしっくり来ますね笑。ああいう方は、敵対者には強い(対応できる)んですけど、僕みたいのは気持ち悪がられたと思います笑
>>8
あ、山の上ではないです笑、今あすこ、ぱんぱんですよ笑。っていうか、もう戻ってきました。結局スタジオで書くと思いますね笑。ネカフェは全く馴染めませんでした笑。
>>5
ご返信をいただきありがとうございます。「純粋プロパガンダ」に関し、連想されたことがありましたので余計ながら付記します。
2020年代に入ってからの日本国においては、「銃刀法」なるものにまつわるイマジネーションが、純粋プロパガンダ的な非政治性でもって前景化するようになったと思います。これは『タクシー・ドライヴァー』トラヴィスめいた銃器へのフェチシズム=暴発待ちの童貞性ではなく、主に「カッコよく銃を持ち・使う女性」のイメージで市場に流通しています。
そもそも Ado のブレイク端緒となった『うっせえわ』(2020年10月発表)のMVが「怒りとともに銃をぶっ放す少女」でしたが、あの曲に付けられた歌詞と動画には「まだ(当時)高校生だったはずのヴォーカリストが、職場での飲み会マナーのような些事について怒りをぶつける」というテーマから「でも、あなた未成年でしょ? その歌詞で唄われてる飲み会のこととか、あとMVでカッコよく撃ってる銃の所持とか、一体あなたと何の関係があるの?」と問われただけで詰んでしまう余地があり、いわゆる「多感な少女の思春期的反抗」の20世紀的イメージを寸分も出るものではありませんでした(当然ながら、女性が置かれている政治的境遇からの変革必要性を「多感な少女の思春期的反抗」のような旧弊なラベリングから引き離すことこそが21世紀的なフェミニズムの前提条件であり、それを基準に評するなら、 Ado に『うっせえわ』を負わせたスタッフたちも・彼女自身も同時代のフェミニズム的に失格だったということになります)。が、大きく「コロナ禍期に入ってから」としますが、「日本国籍の少女ふたりが、職業性を帯びた任務として銃を扱う」テーマの作品が実写映画とアニメの両方で立て続けに出てきまして(前者の実写映画は2021年7月/後者のアニメは2022年7月発表。ちなみに、後者のアニメの第1話が放送された翌週に安倍晋三が射殺された)、それらの作品たちは、いわゆる「リベラル」な作品評価軸を持つ人々の間でも高く評価されました。
トカレフとマカロフの違いさえ解らない私のような銃アイスから見ると、先述の作品たちは「銃器なるものがもたらす小児的万能感のあられもない表出」、およびその気持ちよさの享受を目的とするソフトポルノ(←一般的リビドーに置き換えてより正確に喩えるなら、性欲グツグツの中学生なら問題なくオカズにできる程度にはエッチな少年誌連載漫画。くらいの質)にしか映らなかったのですが、それらの作品は、とある「銃をはじめとする兵器がもたらす愚かさをテーマに据え続けている世界的ゲームクリエイター」や、「主にUSA経由でリベラリズムやフェミニズムの一般性を身につけるようになったラッパー兼映画批評家」からも無邪気といってよいほどの絶賛を受けており、そのさまを見た私は「えっと……あなたがそれを好きになること自体は別にいいんですけど、それは日本国に厳然と存在する銃刀法という、暴力の直接的激発のストッパーを “想像的に” 排除してよい、という態度の表明に他ならないのでは……」と思ったのですが、現在においてもそれらの作品群は好評を得・続編も予定され続けており、ああこれは指摘しても解離されるパターンだからもう無駄だな……と諦めたことがありました。
しかし、 Ado の『うっせえわ』が「多感な少女の思春期的反抗」の枠におとなしく収まっていたのに対し、ここで述べた実写映画やアニメは前提として「いいね? ここはいくらでも好きなように銃を扱える世界だ。銃刀法なんてつまらないものは一旦忘れるんだ。そんな現実の世界よりずっと心踊るものを見せてあげるからね」と懐柔しにかかる構造を備えており(というか、作り手当人たちがそのような心性をフェチシズムと併せ持っていたとしか思えない)、隔世の感があります。「銃ってカッコいいぜ」の精神が男の童貞性から少女の刹那性に輸出され、それで問題なく機能するようになったこと。あれほどマリファナやアシッドを絶対悪とし・ドラマやアニメやマンガの登場人物にさえ使わせない(使わせるとしたら必ず「堕落」や「頽廃」のラベリングが伴っている)日本人が、銃器に関しては現実の法律無視で実写・アニメ問わずキャラクターたちに持たせてぶっ放させて耽溺してしまえること。など色々ありますが、最も呆然とさせられるのは、「銃のイメージがもたらす気持ちよさに躊躇なく耽溺してしまえる人々がこんなにたくさんいるなら、いつか現実の銃刀法もなくなっちゃうだろうなあ」と自然に思わされてしまうことでした。これがゲッベルス的な20世紀プロパガンダなのか/21世紀的な純粋プロパガンダなのかは判然としませんが、少なくとも前者の「仕組んだ政治家/踊らされる大衆」という陰謀論的二分法で対処できる代物でないことは確かです。
“SNSは、ちょっと前まで、悪いやつを消せる。と、特に根拠もなく思い込んでいました。が、結局、消すことは出来ず、ヤバい人を押し上げる力が証明されてしまった。これだけでも、プロパガンダについて落ち着いて考え直すべきだと思いますし、あらゆるエンタメに対しても然るべき形で処すべきだと思います。” という菊地さんのご指摘に触発されるかたちで書いてみましたが、この間にもX上では兵庫の投票結果をもたらした大衆的心性をナチスのプロパガンダになぞらえるお定まりのルーチンが可視化されており、その「管理された欲望」にまつわるイマジネーションの貧困ぶりに驚かされます。「管理された欲望を管理する構造」まで考えろとは言いませんが、菊地さんの“プロパガンダについて落ち着いて考え直すべきだと思いますし、あらゆるエンタメに対しても然るべき形で処すべきだと思います。” という得難く冷静な視点には寄り添うものかもと思い、ひとまず縷述してみました。
ここで私が述べた内容が『七瀬』シリーズの内容分析にも使えるかどうかは解りませんが、2020年代以降に銃を扱う主体として執拗に求められたのが「若い女性」で、それが『セーラー服と機関銃』的に率直な男性側のリビドー暴発とは異なった質であることが重要かもと思います。
追伸:
いただいたご返信のなかで、池澤春菜さんのお名前が父親の「夏樹」にされていますが、これは菊地さん側のフロイディアンスリップとしても面白いと思いました(笑)。意地の悪い指摘ですが、池澤春菜さんのように「優秀な文化的父親を持ち、その資本を潤沢にあてがわれて育った女性」は、こちらの愚見として述べた「根本的に母性憎悪/少女崇拝なスタジオジブリ作品に熱烈な移入を抱いてしまう女性」のプロファイルとして典型的な例なので(笑)。
筒井康隆作品に触れたのは、中学に入った頃にドラマ「木曜の怪談」枠で『七瀬ふたたび』(七瀬役が水野真紀さん/筒井先生もエロ親父の悪役で出演)を観て面白いなと思ったのが最初ですが、
直後に『家族八景』を読んで軽く人間不信(男性不信)になりました。
義務感からシリーズ三部作は読み通しましたが、失礼ながら苦手意識が拭えず、他は短編を何作か摘み食いした程度で長編には手を出せないでいます。
筒井先生ご自身はおもろいおじいちゃんで好きです。
菊地さんのことが出てくる部分目当てで読み始めた「偽文士日碌」も全編楽しんで読みましたが、今年いっぱいでサイトが公開終了だそうで残念。webはこれが怖い。
未刊の後半部分も書籍化されるといいのですが…日記文学は残してほしいものです。
邪道なのでしょうが、小説に関しては作品そのものより書評を読む方が好きかもしれません。
うちはテレビがありませんが、ご出演された『100分de名著』はとても気になるので
配信で視聴できる方法を調べたいと思います。
>>11
僕その、該当作品は、想像もつかないんで笑、想像つかないままアンサーしますが、麻薬取締法と銃刀法に関しては2社がバランスしていると思いますね。あくまでフロイド的に言えば、銃には性別があります(男性です)が、麻薬には性別がなく、銃を女子が持つ、という一種の逆説は、銃刀法の無効化というより、パロディ、というか、倒錯でしょうね。ペニスバンドみたいなものから、意味を脱していないと思います(だから悪いという話では全くありません。峰不二子の銃撃はペニスバンドですよね。あれ以上の表現ってあるのかな?と思ってしまいます。。。。あ、そうか、その漫画作品が「そう」なのかもしれませんね笑)
ado氏の「うっせえわ」というのは、僕はパンクの成れの果てだと思っていて、というのは、実のところ、「うっせえわ」という、広瀬香美ですら喜んでカヴァーできるあそこにはワールドスタンダード感がありますが(「イエー」と同じぐらいだと思いますほとんど)、あのうたのオチというかエクスキューズというか「そっちが思っているよりも社会的でコミュニュケーションんだってできるんだ」という部分のが、最大強度を感じるからなんですが(こっちは「だから悪い」例ですけど)。
僕は、銃重宝に関するプロパガンダという意味では、「血を禁ずる」ことだと思いますね。コロンボ本の後書きは「サイレンサーと口径変換器とは何だったのか?」というタイトルですが、テレビや映画コードでの中欠表現の禁止=射殺しても斬殺しても血は出ない。という刷り込みに関するものです。
いけざささんを夏樹さんと言ってしまうのは、紛う方なきフロイディアンスリップで笑、書いていてもどっちかわからなくなるんですよね(主観では統一しているんですが笑)。僕は、「私はファザコンです」という堂々とされている方」に弱く(=「魅了されやすい」の意味ではなく、逆です)、アップアップしてしまうんですが(類家くんの娘さんとか笑、コシミハルさんとか笑)池澤春菜さんにはアップアップしてしまいました笑。それは彼女が色々と「闘っている」からなんですが、何か社会的な敵のようなもんと闘うしかなく闘っているのではなく、闘かうことによってインセストブーの代替になっているようにしか(僕には)見えないからですが。
>>12
七瀬ふたたびを水野真紀さんでみるという大変は不幸は、生まれ年は選べないという人間の宿命ですが、筒井先生が太鼓判を押したオリジナル版(NHKの「少年ドラマシリーズ枠」)、多岐川裕美版がツベで全編ご覧いただけますので、まずはそちらをご覧ください笑。「家族八景」を読んで、人間不信になった、というのは時代ですよねえ。池澤春菜さんもおっしゃっていました。僕の世代だと「リアルー!!」と、ヒップホップのリリックみたいに喜んでいましたけれども笑
ご無沙汰です、久しぶりにコメントさせてください。先日遅ればせながらBSの筒井先生の番組を視聴しました。今は北野(神戸)の高級老人ホームに奥様と暮らしているようですね。以前は実家から車で10数分の垂水の豪邸に住まわれていたのを覚えています。実際にお会いしたのは、確か「虚人たち」のサイン会で一言程度言葉を交わした程度です。あの時のサイン本はまだ実家にあるはずです。ウチの両親は二人とも筒井先生の1つ下の昭和10年生まれですが、以前フェイブルマンズの時にエモくなりメールで変な質問をしたグールド好きの母親は、いよいよ認知症が進行し来月には都内のホームに入所予定です。父親はまだ入所を拒んで神戸に残る予定ですが、いずれは連れて行く事になるでしょう。両親に対してはロクな事をして来なかったので、最後くらいは何か出来ればと思っています。ラジオデイズのAI特集、最高ですね。トーフ君位しかこの辺りの取り組みをしている方は見当たらないようですが(・∀・;)あと、コロンボの再放送もHDDに毎週録画しています。今から楽しみに出版を楽しみにしています。それではまた。
>>15
<以前フェイブルマンズの時にエモくなりメールで変な質問をしたグールド好きの母親は>
懐かしいです笑。
<トーフ君位しかこの辺りの取り組みをしている方は見当たらないようですが(・∀・;)>
トーフさんはギリギリのところで冒険しておられますが、著しい成果を挙げている。とは言えません(あの方法論では)。でも、しばらく音産はAIに触らないでしょう。前違法性の中での快楽(ハウスもヒップホップも、最初期はそうでした)を貪れるのは今のうちなので、頑張ります笑。というか、yassさんにもできます笑