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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>2

 ご高評ありがとうございます。あの時の高崎は公演は素晴らしく、以後10年間、ほぼ毎年オファーがあったのですが、叶わず、やっと時が来た。と思っています。

 僕は巷間、気持ち悪いとか気障とか素敵とか、ナルシシストとかインテリだとか胡散臭いとか素敵だとか、素敵だとか(笑)様々な言われ方をしますが、結局自分はセクシーなのだと思っています。

 これはもちろん、セックスをいっぱいやっているとか、セックスが上手いとか、セックスの事ばかり考えているとか、ましてや、一般的な意味での「セクシーな男」とは全く意味が違い、「自信家」である、という事です。性別や職業や時代を問わず、あらゆる著名人は「セクシーとは何か?」と聞かれ「自信がある事」と答えています。僕は自分がセクシーであるとは思っていませんでしたが(一般的な「セクシー」とは程遠いので)、自分の創作物には絶対の自信があります。なので、結果として、セクシーなのだろうな。民は一般的なセクシー、以外の、エッセンシャルなセクシーさに対しては、気持ち悪がったり、欲情したり、感動したり、治癒されたり、様々な反応をするものだ。と思っています。

 10年前の高崎で、満場の(約1000)観客のうち、ぺぺを既知の方は数名ほどだったと思います。ですが僕は、「どうしよう、誰もこの音楽を知らない地方都市で、こんなストレンジな音楽をやって、滑ったら。。。。」とは、一瞬も思いませんでした。いつも通りやって、いつも通り観客は熱狂するとしか考えていませんでした。途中、キリングタイムの時、2パーカッションのソロに対して、ハンドクラップで7拍子のクラーベを打ったら、よくある、観客に拍手を即しているショーアップと間違いられ(笑)、観客席から割れんばかりの大拍手と大歓声が起こったのが唯一の予想外で(笑)、大変に愉快な苦笑で、高崎の人々を友人のように大好きになりました。

 今、最終スパンクハッピーのアレが、アップ1ヶ月を待たずに20万回再生されていますが、彼らのファン(パンか・笑)の方々なら、あの日のパフォーマンスが神がかっていて、なので再生回数が多い、のではない。ということをよくお分かりだと思います。

 話はスリップしますが、僕もボスくんから、あの日のライブの全てを見せてもらって、オンエア用の1曲を選ぶので一緒に選んで欲しいと言われまして、ムッチャクチャ正直にいうと、あの日は集合時間とか天候とか、様々な角度から2人ともコンディションが良いとはいえず、しかも、開始早々の「フェイム」で、あの、なんというか、波動を撃つような振り付けありますよね?あれでODがガッとばかりに屈んだ瞬間に海風の突風が吹いて(僕の中で「神風」と呼んでるんですが・笑)、あの衣装、スカート部がメチャクチャ薄いんですよね、それで、パンチラならぬ、いきなり全パンモロになって(笑)、ODはあんな風だから全く恥ずかしがらないんだけど(笑・そのあと収録カメラが、カメラ小僧並みに、しばらくODの股間ばっかり狙ってたんで、スペシャをセクハラで訴えようと思ったんですが・笑・楽しかったんでやめました)、「今日はヤバいな(苦笑)」「ヤバ位じゃないスか(苦笑)」みたいな感じで、2人ともダルい上に、いきなりパンモロったんで(笑)、正直、全体的に集中力に欠けるパフォーマンスでした。

 それでも、あれが、形だけでも大通り(ツブ)に並べれば、ああなるのです。あれは僕の発明じゃないけど(大元は僕が作ったとはいえ)、それでも要するに、一番の大通りは、例えば駅前とかですよね。僕は、世界中のどの国の、大都市であれ僻村であれ、ストリートライブをやらせていただければ、ぺぺであれ、DC/PRGであれ、ダブセクステットであれ、song XXであれ、最終スパンクスであれ、花と水であれ、客の量と熱狂によって交通麻痺を起こさせ、警察を出動させる自信があります。音楽に関してのみ、ですが、僕には絶対の自信があるので(それは狂気だと思いますが)、逆にツアーに出不精になっているのかもしれないと思うほどです。年がら年中ツアーに出ている音楽家にも様々なメンタリティはありますが、不安も大きな要素でしょう。「あ、今夜もお客さんが喜んでくれた(ホッ)」という経験を僕はしたことがなく、そこに愛される理由も、嫌われる理由も全てあると思っています。


 
No.7
56ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 今これを、東京ザヴィヌルバッハのリユニオン・ライブ(僕はこれ、リユニオンじゃなくてオールスターライブだと思うけどね。僕がスター、とか云う意味ではないですよ。イガちゃんは生まれつきのスターだけど)のリハを終え、8時に事に気づき、46分まで待って書き始めています。アップされるのはおそらく9月13日の金曜日ですけどね。理由はすぐに分かります。    東京ザヴィヌルバッハが結成されたのは、 DC/PRG (当時 date course pentagon royal garden )と同じ1999年ですが、ファーストアルバムのレコーディングは2001年9月でした。    僕の記憶では結成からレコーディングの間の2年間ですっかり方向性を見失っていた僕らは、五十嵐一生の脱退を以って、音楽性が完全にロックオンしました。僕らの分裂は、音楽性にのみ基づく、かなりシリアスなものであり、僕はこの形のシリアスを今堀恒雄のティポグラフィカ、大友良英のグランドゼロと、過去二度経験しているので、まあ慣れているとも言えましたし、そんなキツい目を反復するなんてキツいでしょう、とも言える話なんですが、僕自身がこのタイプのシリアスを自身に招かないタイプの音楽家なので、他人事といえば他人事で、「ああ、またか」と云う感じでした。  
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