グルメエッセイ「もしあなたの腹が減ったら、ファミレスの店員を呼ぶ丸くて小さなボタンを押して私を呼んでほしい」

第四回 <人は一生のうちあと何回、香港に行くのだろうか?>
 

2008年11月1日
 香港にやってきました。英国返還後に来たのは初めてですが、以前よりも居心地が良いですなあ。ペニンシュラにおります。20年近く前のクリスマスには、家族旅行でここに泊まっておりまして、クリスマスパーティーで宿泊客が全員ラウンジに降りている時に、8ミリビデオを取りに部屋に戻ったところ、パーティー時の客室荒らしと間違えられてホールドアップを食らい、つまり、壁に両手をつかされて背中に銃口を押し当てられるというアレをやられたわけですが、ポケットからルームキーが出てきてもまだ信用してくれなかった香港警察のエグさに感動した憶えがあります(ちゃんとタキシード着ていたのに)。
 
 一泊の予定でしたが、余りの居心地の良さと「唐閣(タンコート)」のアヴァロンと燕の巣の旨さに恍惚としてしまい、どうせジョアンも来ないのだし。と、滞在を週末まで延ばし、持ってきた「記憶喪失学」をペニンシュラ名物「バスルームにある、クラブ並みのBOSEの再生装置」で聴いております。
 
 ルームサーヴィスの焼鴨と焼鳩、四種のフリュイのコンポート(イチジク、洋梨、林檎、パパイヤ)のアソートにシャトー・マルゴー(パヴィオン・ルージュで充分です)を併せています。女優の名になったことでも有名なマルゴーですが、巷間言われるとおり、もしヴァンルージュにファムとオムがあったとしたら、ファムの代表がこれでしょう。
 
 ワタシは女性クラシックバレリーナの、練習用のレオタード姿が好きで、それが焼鴨や焼鳩が好きなことと結びついていると思うのですが(表皮のキャラメリゼがレオタードに見えるのですね)、こうしてマルゴーやフリュイと並べると、何人もの女性達を食べ、そして飲んでいる気分です。
 
 焼鴨を一切れ、白飯の上に載せると、血だるまのバレリーナがシーツの上に横たわっているようである。ガラス張りのバスルームから「アルファヴィル」のワルツが聴こえてきます。これを流しながら肉を喰い、ワインを飲むのは、ちょっと他人と一緒には無理ですね。一人で食べています。ワタシはツインやスイートを一人で使う時に、それがペニンシュラと言わずラブホテルと言わず、必ず恍惚とします。ここまでの欠損感は、他のどんなことでも味わえません。
 
 それにしてもしかし、本土復帰後から11年が過ぎたせいでしょうか、ワタシが前に訪れた時よりも、韓国人が多いような気がします。というか、韓国人しかいません。まるでリトルコリアのようである。しかも、日本人のホストがたくさん歩いている。ホストクラブが香港にここまで進出しているとは知りませんでした。まるで歌舞伎町であります。
 
 本日はペニンシュラホテルの1階にあるジャズクラブ(セルリアンタワーのJZ BRADにそっくり。勿論、ペニンシュラが先ですが)に飛び入りで出演し、そのままレンタカーを借りて九龍島から香港島に車で移動し、香港島にある古いボーリング場でやっている「candy」というパーティーで演奏しましたが、南博さんそっくりのピアノと、水谷浩章さんそっくりなベースがいて、思わず笑ってしまいました。香港島の若者には優れたDJなどもおり、東京からは失われてしまったパーティーの清純な悦びに満ちていました。
 
 ボーリング場の近くにあった「バーミヤン」という名前の広東料理店で、まるで日本のファミリーレストランのような味の麻婆豆腐等を食べて、驚くほど安く、味が痩せた紹興酒をガブ飲みしてしまったので、演奏が終わってすぐに車でハイウエイを飛ばし(関越自動車道にそっくり)、「これではまるで、群馬県の前橋市のようだ、、、、」と呟きながらペニンシュラに戻りました。完全な飲酒運転ですが、ワタシがホールドアップされるのは、どうやらクリスマスの晩だけのようです。
 
 楽曲が「大天使のように」に変わりました。ワタシは育ちが悪く、食い意地が特別に張っているので、デカダンな人々のように、料理を喰い散らかして残す。ということが出来ません。それだけが残念です。舐めたように奇麗になった銀盆とグラス、料理皿の上を、真夜中の大天使が飛びかっています。
 
 東京に帰ったら、ワタシの店の奇麗な男の子たちに、奇麗な美味しいものを食べさせ、奇麗な服を着せ、奇麗な女性に奉仕させるという、日々の務めに戻ります。自分が何のためにこの世に生まれて来たのか、こんな夜は、誰でも考えずにはいられないでしょう。ある種の恍惚感と罪悪感とともに。ですが。
 
 演奏が後半に至り、虹がかかりましたが、それは生まれながらにして夜の闇に消え、しかし香港名物の動かない電飾の光にうっすらと照らされて、巨大な姿を悠然と浮かび上がらせています。
 

 2008年11月3日
「蝦餃」と書いてこれは「ハーガウ」と読みますが、ご存知エビの蒸し餃子のことです。「福臨門魚翔海鮮酒家(九龍店)」のハーガウはワタシが知る限りに於いて、少なくとも20世紀までは世界で一番旨いハーガウでしたが(海老の身をピンタオ――いわゆる中国包丁――でしっかり叩き潰したものだけを餡にしているので、安っぽい「プリプリ感」等がありません。海老の味のする新種の木の実のような、あるいは、海老の味のする新種の海老のようなものが、葛をたっぷり使った透明な皮の中で、湯気を上げながらじっとしている姿は、見つめるほどに、恥ずかしながら、勃起を禁じ得ません)、21世紀になっても、変わらず世界一のままでした。
 
 とても、小さい声で、「久しぶり。変わらず世界一のままだね」と言いながら、二籠頂きました。中国では昔「一中二件」と言って、飲茶はお茶を1ポットと2種類の点心で済ますと言われたものですが、これは点心が皆、饅頭のように巨大だった頃の言い草で、食い意地が張ったワタシは、過去、この店で一度に27種類食べてしまい、どういう意味が込められているのか全く解らないまま、豪快に笑われたものです(そこが中国人とのつきあいの中での、醍醐味の一つですが)。
 
「東京の銀座店に良く行くが、ハーガウだけは全くここに敵わないね」と英語で言いますと、「どうせ醤油をつけるから、解りはしない」といったようなことを笑いながら言われました。ワタシは点心には卓上調味料を(余程不味くない限り)使いませんので、少しは認めてくれたのでしょう。シャンパンを併せてくれ。という注文に、ニコラフィアットのグランクリュ・ブラン・ド・ノワール97が出てきたので、軽くゾッとしました。
 
 本当に美味しい中華料理を食べると、日本だと幸福感が溢れますが、香港や中国本土だとそこに恐怖感が加わります。我が新宿御苑にはシェフスがあり、礼華があり、胡月があり、東口には霞月楼があり、最早、香港に行く必要などない。と言われるほどですが、どこまで旨くとも、この「怖さ」は存在しません。
 
 昨日はピットインの香港支店「九龍ピットイン(略称「九ピ」)」に飛び入り出演しました。昨日知り合った、南博さんにそっくりなピアニストと水谷浩章さんにそっくりなベーシストに「明日もセッションしよう」と誘われたのです。演奏が上手くいったので、藤井フミヤ氏にそっくりな店長と、香港水谷さんと3人で朝の7時まで痛飲しまして、彼等は飲茶など喰い飽きているので、イタリアンから始め、最後はソウル・バーでした。
 
 香港水谷さんは床で寝てしまい、香港鈴木店長は笑いっぱなし。マルケの赤を2本と、北アフリカの白を1本と、阿片を数本。とても細くて背の高い女性が膝の上に座り、小さい頃どれだけ日本のアニメを見たか。という話をしだしたので、軽く笑って外に出ようとすると、階段の踊り場で、舌を引き抜くような感じでキスをされました。
 
 ほらやはり恐ろしい。と思いながら十秒間そのままにし、自慢の犬歯(ワタシはこれを使って、鉄線も切ってしまいます)を彼女の舌の上に軽く突き立てて1センチほど滑らすと、彼女は笑いながら離れて「蝦餃を食べたわね」と言いました。
 
 風呂から上がったばかりです。フランク永井さんの訃報がインターネットで届き、香港の夜景に「バターフィールド8」が流れています。湯上がりの女性の肌は、茹でた鶴の肉の臭いがする。と谷崎潤一郎は言いました。本当に素晴らしい。日本人女性の美を言い当てて極北です。たった今ワタシが嗅いでいるのは、とても微かな、茹でたての海老の臭いです。それは全裸の彼女の、尻の辺りから背中まで続き、首筋から中国製の香水の匂いに変わりました。
 
 
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 世界の武満もノヴェンバー・ステップスとは言ったもので、少なくとも私の仕事(ここでは「ジャズメン一般」の意ではなく、菊地成孔個人に於ける。の意)は、毎年10~11月が多忙のピークになり、それが12月中旬ぐらいまでに一回凪いで、後はクリスマスシーズンに突入。という流れになっています。どういう理由によるものか全く解らないのですが。
 
 これは別コンテンツである「菊地成孔の一週間」にもありますとおり、今年なんてマイコプラズマ肺炎なんかになっちゃったりしてるわけですが、そもそもメルマガを始めたのも、夏からやる予定がドワンゴさんとの絡みで9月になり、それが更にこちらの都合で延びて、気がつけば10月中旬に開始、そうでなくとも忙しいところに持ってきて、一挙に週刊の連載が4つ増えた格好になった結果、免疫が下がっちゃって学童(と益若つばさ氏)が患う病気を。という有様です(微笑)。
 
 というわけで11月というのは私にとってエグイ月でありまして、毎年11月になると狂おしくなって、心身が一種のヒステリーを起こすのですが、ご覧のとおりこのあからさまなフェイク日記は、3年前の11月、あまりに忙しく窒息的になってきた状況下(因に、これ良い状況)でいきなり発想され、書かれたものですけれども、冒頭から「香港が<英国>に返還される」とウインクが書いてありますし、当時のブログフォームに添えられていた写真は「ペニンシュラホテルからの夜景」として、私の部屋から撮影した歌舞伎町の夜景(何度もブログにアップされている類いのもの)や、その時の現場の写真(例えば前半は群馬県の前橋市のボーリング場のそれ)なのでした。
 
 ですからつまり、これがエイプリル・フールならぬ、ノヴェンバー・フールの類いで、忙し過ぎておかしくなり、脳内で勝手に香港旅行に行ってしまったという、読むほうも一体全体どう捉えていいのか解らないものとはいえ、とにかくフェイクであることだけは一見するだに明らかだったはずなのですが、これが何とアップ数時間後から「香港はイギリスには返還されないんですけどwwwwwwwww」とか「本当に美しい旅行記です。私も香港が好きで毎年行っていますが後略」といった、所謂「本気にしてしまった人々」からの反応が結構大量に届き始めまして(焦)、「自分の日記を読んでいる人々は、嫌な感じの人も良い感じの人も共にピュア中心なのだろうか?ひょっとして最初から」と、一瞬壮絶に不安になりながらも気を確かに保ち
 
「菊地です。これはウソの日記です。証拠は最後にされるキスで、<舌を引っこ抜かれるように>というのは、即ち相手の女性に吸われているわけですが、<犬歯を相手の舌に突き立てる>というのは、舌を挿入されている状態を指し、矛盾します(吸いながら舌は挿入できません)。解りづらく大変失礼しました。勉強し直しますので今後ともご指導度鞭撻の程よろしくお願い致します」
 
 といった丁寧な返事を書いて出すと同時に、「今後少なくとも、ネットでは古典的なフェイクとかブラックユーモアは止めよう。みんな二次創作とか中継とかのやり過ぎで現実感のあり方が自分のそれとは違ってしまっているのだ」と自らを戒め、ブログでのフェイクやVO(ヴァイタル・オーガン=造語。積極的に間違いを書くこと)をだんだんと止めてゆくのですが(私は現在49・5歳で本当に良かったです。もし30だったら、潰乱や韜晦が許されぬ方向に舵が取られてゆく世界の気風に自らの抵抗値が吊り合わずに発狂していたでしょう)、今こうして読み直すと、やはり誰も本気になどしようもないではないか。と思います。
 
 舞台が香港でさえなければ。