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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>46

 永劫と訳されるアイオーン(以下、「イーオン」)ですが、ここでは時間概念の1つとして扱っています。

 時間は「クロノス(共有時間=時計の時間。年月日等々)」「カイロス(主観時間=「そろそろ10分経ったかな?」「え?もう1時間経ってたの?」といった時間)」のバイリージョンだと思われがちですが、第三の時間リージョンとして「発生時間=イーオン」があります。

 発生時間について詳述すると、更に話がわからなくなる可能性があるので笑、極めて大雑把に、音楽におけるそれに特化して説明すると、音楽は時間芸術で、大抵クロノス性を持っているので、つまり、体感できやすい時間を持っています。リズムですね(打楽器とか、そういう意味ではなく、音楽はほとんどリズムを持っています)。

 なので、その曲の演奏が始まる前の視点に立つと、それがどんな音楽でも、開始された瞬間には時間が発生します。ものすごい新鮮さがありますよね。曲が始まった瞬間は。

 ただ、モノリズミックな音楽は、開始早々はイーオンのフレッシュネスがありますが、あっという間にそれはクロノス、やがてカイロスに回収されます。テクノやミニマルみたいなものは、それ(イーオンがカイロスに変換されて、聞き手が自らのない世界に耽る効果)を使って、聞き手が自己沈潜し、カイロス時間をも超えた、忘我の状況、一種のサイケデリアを起こさせようというもk的があるでしょうし、集団的なフリージャズも、あれは踊らせないので、物理的な意味での「場」の状況の感得が目的格になります。

 ポップスなどでは、歌詞の内容や、編曲上の展開、というのは、イーオンの保持を無意識的に目的化しているとも言い換えることができます。

 我々はイーオンの不断を目的としており、その手法としてクロスリズム、ポリリズムを全楽曲に、作曲の段階で組み込んであります。

 単純な話、発生した時間が4拍子と5拍子をあらかじめ持つ。というのは、立ち上がった瞬間の新政権が社会主義であると共に自由主義だったり、キスした瞬間の恋人が二重人格だったりするのと似ていて、発生性とクロノス非回収性が非常に高いです。

 更に我々は、演奏者が常にポリリズミックアプローチを仕掛けるようにマナー設定されているので、大人数が、どこでどうやって、どんな形のポリリズムを発生させるか予想ががつかないと同時に、途切れません。僕のオルガンとカウベルは、「この形でポリを出してくれ」という、一種の指標を示していて、暗号のようにメンバーに伝達されます。

 こうして、演奏中には不断にポリリズムが仕掛けられますので、つまり演奏開始によって発生した時間がクロノスやカイロスに回収される事を防ぎ(回収は悪ではないですが)、つまり「忘我」という自己沈潜さえ許さずに、演奏中の発生時間に従って新鮮さが凍結されたままダンス衝動につながるように我々は演奏しています。

 その構造的な極点が「キャッチ22」です。あれはマルチBPMですので、クロスリズムから発生するポリリズムのリージョンを超えています。軸となるBPMがメンバー数(11)あるので、11通りのBPMがある。ということとも違います。あれは極限値のポリリズムで、1対他の関係が、非常に大雑把に、最低でも1対10の累乗分あります。具体的にいうと、聞き手がドラムスの片方を軸に置いたとして、ドラムスとベースの関係、ドラムスとギターの関係、それらのネットワークされた諸関係、が聞こえます。

 更に、「キャッチ22」では、一回始まった演奏を中断し、完全な無音にして、もう一回リスタートさせることも使っています(他の曲では使っていません)。これは、冒頭にある「演奏開始時がもっともイーオンの発生量が高い」という事実を、何度も繰り返すことなので、えげつないイーオンへの追求ということになります。

 イーオン時間とダンス衝動が結びつく快楽が何をもたらすか?という問いについては、難しすぎて説明できませんが、僕はそれが、それまでのダンスミュージックが持っていたリラックやエクスタシー、忘我のサイケデリアとは全く別の精神的、肉体的効用を持っていると思っています。つまりイーオンの監督は、厳しい修行によって手に入る、難解な悟りとか、特殊な感受性とかではなく、我々の演奏に熱狂している方は全員感得していることなので、あなたも感得されています。ご理解いただけましたでしょうか?
No.55
44ヶ月前
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 もう解散したので、バックヤードの話を少々しても良いだろうと思う。バックヤードの話のが演奏よりも、時間換算して数千倍あるのは言うまでもない。僕はステージ上でオルガン弾いたり、指揮したり、最近はカウベル叩いたりしているけれども、最も細心の注意を払っているのは実はタイムキープだ(因みにぺぺでも)。    コロナ以前の世界でも「もう、やりたいだけやっちゃいましょうよ」なんて言う粋な計らいをするクラブはなかった。全ての楽団は充てがわれたランニングタイムを遵守しないといけない。    増してやコロナ禍の中では、完全撤収時間が厳格に決められるようになり、「やりたいだけやり切って、尚且つ時間は守る」というライブショー・ビジネスの基本が、さらに厳しいものになった。<会場を借り切って、無観客配信>というのは、僕はやらないが、アレだってさすがに家飲みみたいにはいかないだろう。  
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