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SBeeさん のコメント

私も今回の元記事を読み、>>10さんとほぼ同じ感想を抱きました。そして、>>24さんが紹介されている北尾氏の記事をちょうどいま読んだところです。
北尾氏の記事を読み、悪意ある切り取りを行ったブログによって小山田さんは嵌められたのだ、と確信し、慄然としました。おそらく、小山田さんは抽象的な方向に音楽性を変容させるのと並行するように、言葉による語り尽くせなさを思い、このブログにここまで釈明ができなかったのではないかという気もします。

「小山田圭吾がもし、菊地成孔だったら、今回の火種となったブログにどう言及し、どのように落とし前をつけただろう」と想像せずにはいられませんでした。
おそらく小山田氏が言葉を尽くして語ったとしても、保安官のような人が出てきて、世間に袋叩きにされる、という結果は同じことだったでしょう。しかし、それでも言葉の限りに説明をし、歪められた情報を訂正し、適切に謝罪をしたら、何かが違ったかもしれません。
この数日、私も小山田氏のことばかり考え、なかなか力が出てきませんが、言葉の力をそれでも信じたいという思いがあります。

>>15 菊地さん、コメントありがとうございます。喫煙を記号化する形で表現に残す、という発想は盲点でした。確かに、喫煙は、時代を示す記号として残れば、残らないよりはるかによいと思います。
No.25
41ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 真夏が来た。 NHK が「いだてん」を集中放送している。とても良い。残念なのは、オリンピック直前の集中放送だという点である。僕は、メディアで言っても言っても全然使って貰えなかったので、仕方なくここに書くが、今年の大河は「いだてん」の再放送が一番良いと思っていたし、もし大河枠の再放送が無理だったら、3ヶ月ぐらいかけて全話を集中再放送するのが良いと思っていた。    有名なリーフェンシュタールの「民族の祭典」のを引き合いに出すつもりはないが、国民に政治的な偏向を与えたかったら娯楽が一番だ。ゲッペルスのいうとおり。「いだてん」は本放送当時、国民が落ち着いてゆったり鑑賞できる状態ではなかったし、今となっては振り返る(想起)するのにも鬱陶しい何かがへばりついてしまっているが、近代日本史の勉強になるし、歌舞伎俳優がテレビに出た時のスキルと演技プランが同じすぎて(大人計画も、ちょっとそう)、画面中の演技群
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。