菊地成孔さん のコメント
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真夏が来た。 NHK が「いだてん」を集中放送している。とても良い。残念なのは、オリンピック直前の集中放送だという点である。僕は、メディアで言っても言っても全然使って貰えなかったので、仕方なくここに書くが、今年の大河は「いだてん」の再放送が一番良いと思っていたし、もし大河枠の再放送が無理だったら、3ヶ月ぐらいかけて全話を集中再放送するのが良いと思っていた。
有名なリーフェンシュタールの「民族の祭典」のを引き合いに出すつもりはないが、国民に政治的な偏向を与えたかったら娯楽が一番だ。ゲッペルスのいうとおり。「いだてん」は本放送当時、国民が落ち着いてゆったり鑑賞できる状態ではなかったし、今となっては振り返る(想起)するのにも鬱陶しい何かがへばりついてしまっているが、近代日本史の勉強になるし、歌舞伎俳優がテレビに出た時のスキルと演技プランが同じすぎて(大人計画も、ちょっとそう)、画面中の演技群
*文字数の関係で後半に続きます。
<この間の日記の、喫茶店でデザートフォーク握ってたエピソードと、小山田さんのいじめのインタビューは、私にはかなりかぶって見えます。菊地さんは実際には、よっぽどのことが無ければフォークで刺さない。しかし、その話は対外的にしたがる。本当に暴力沙汰起こしそうな人がフォークで刺すぞみたいな話をしていたらおっかないですが、菊地さんなら安心して聞ける。そういう話をしたいんだなと。>
↑ そうですね。エンタメとして安心して楽しんでいただけるレヴェルを心がけています。
<小山田さんの紐でぐるぐる巻にして縛ってオナニーさせてバックドロップも、当時は「お前うそやろ?」とみんな思っていた。>
↑ はい、僕は初期の頃に書いた「王子様扱い=一種の虐待」に対する反発もあったと思います。これは完全な冗談ですが笑「王子様扱い」は、人を潰します。ハンケチ王子、ハニカミ王子、体操のひねり王子、は潰れました、藤井聡太やフィギュアのゆずるくんは、何らかの力で「王子」と呼称される事に結界を張る力があり、それによって潰れていないと思っています笑。フリッパーズはW王子様だったんで、そりゃあ危機感あったろうし、露悪的になったのだろうなと思う。というのは最初(日記の原文)に書いています。
<最初に書いたことなんですけど、菊地成孔さんと小山田圭吾さんは、差別偏見を持たない人、孤独から逃げない人(つまり孤独な人の気持ちがわかる人)というところで似ていると私は思ってます。つまり障害者を差別的に見ない人。
ただの私の意見なので、これが正しいとか、そういう話ではありません。>
↑ 僕のマイノリティへの態度は、障害者に育てられたことに起因していると思いますが(フロイド式)、小山田さんは、長い対話をしたことがないので、断言しかねます。ただ、出生図類型を元に、そこにテキスト読解上の判断、心理上の判断が加わった結果なのであれば、あなたの中での説得量があることは想像つきます。
<これはかなりの勘違いです。もう本音100%ですけど、全く煽る気がありませんでした。文字通りの意味です。そこ突っ込まれるのか?と驚いてます(笑)>
↑ 読みづらさを指摘され、それに対して理由を述べかけたら、「いやいやもういう事はありません、どうぞご自由に書いてください」と言われたら、「とんでもねえお偉い人が来ちゃったな。自由に書く権利貰っちゃったよ」と思うでしょう笑。コメントでも書きましたが、僕はあなたに保障され、促されなくても、自由に書いています。
<うーん、殉教者に性的興奮は覚えてなくて、どっちかっていうと教祖である菊地さんの方に覚えていると言った方が正しいのかもしれません。あとファザコンと言われても、世の中にファザコンと言われる人は相当数いるわけで、血液型診断的な大雑把さはちょっと感じますね。>
↑ 類型が他の類型を批判する際、「大雑把かどうか」を使うことが多いです。血液型なんて、拡大解釈したって5個か6個の母集団ですよね?「だから=大雑把だから=類型母数が少ないから」ダメだ。というのは、「こっちの類型母数は細かいから大雑把じゃない」と言っているにすぎません。そこは類型形式の権威主義だと思います。アウグスティヌの葉は、個人の出生時と年月日を母集団とするので、数は多いです。でも、母集団の大きさと説得力は別のところにあると思います。フロイド式は類型母体は少ないです。母子関係、父子関係しか見ません。だからこそコンプレックス(複合体)概念が発達しました。
<あと >>67 で「言葉の不適切な、つまり誤用が多いです」と指摘されながら今度はどうでもいいと、言うことがコロコロ変わるなぁと思いました。>
↑「言葉の誤用」に関して、僕は極限までどうでも良い、というか、誤用は豊かだと思っています。あなたに厳格さを求めたのは、あなたの中の父性や不正への憧憬が、厳格性を持っていると感じたので「厳格に来るんだったら、<拳を「交える」とかいったリゴリズム内では誤用になる事をちゃんとしたら?」という、一種のタクティクスに過ぎません。
<せっかく質問に答えて頂いたのにすみません、よく意味が分かりませんでした(笑)>
↑ これはマナーが違うわけだから、鏡面的に同じですね笑、フロイド式だったら、簡単な足し算ぐらい簡単な話です。むしろ、汎用フロイドが行き渡っている(誰もがトラウマとかマザコンとか言うような)世界で、ここまで読解不能が起こる純粋さに感動に似た感覚を持っています笑。
<大人ってどう定義するのでしょうか?
これはご意見聞いてみたいです。>
↑ 定義は難しいですね。幼児性と大人性は男女ホルモンのようにバランス関係なので、ただ、一度大人になったら、退行に敏感になります。子供は退行しないので(子供は大人を異物感とするので)。僕は年々、退行的であることに意識的になっています。なりたくないんですが。
<「可愛いお父さん、もしくは可愛い彼氏みたいに設定している」ことがよくあるとすると、子供なのではないかと思います。子供を悪い意味で言ってないことはお伝えしておきます。>
↑ これは、僕の至らなさや適当さを愛でる方々がいる=叱責する方もいる。と言う対比の話です。また「可愛い=子供扱い」ではないです。自分を母性側に立て、僕を子供視する視点は、僕が40代ごろに比べて、減少傾向にあります。「可愛いお父さん」を設定する立場は娘の立場で、ファザコンだと言えます。「可愛い彼氏」も、立場的には母親ではありません。女性ファンは、往々にして対象に対し、お母さんの立場に立って愛でると言う事をします。壮年女性が若いアイドルに対して、だけではなく。これは、超年齢的なことではありますが、具体的に歳をとると、影響が出るな、と言うのが僕の経験則です。
<えーと、、、不死山の意味が、ググったけどわかりませんでした。>
↑ スンマセン、「不自然」の誤打です笑。フロイディアンは、「一見、水平的な説得力があるように感じるが、具に見るとここは不自然だ」と言うことに敏感です。あなたは、僕に「水平的な説得力がなく、単語レヴェルで話がスリップし、快楽によって言葉が戯れる傾向がある」と(出生図を元に)しましたが、そう言う側面は誰にだってあり、僕はあなたの中での整合性に、各所、権威的な傾向からくる破綻があると感じており、ファザコンを感じる根拠としています。
<とりあえず私が菊地さんに対して小山田圭吾に対する具体的なアクションっていうんですか?そんなものは本当に微塵も期待してなくて、それは町山氏に負けてしまう人には無理でしょうと、これまた文字通りの意味で考えています。>
↑ あなたはSNSに適合していて、そのバトルフィールドとルールは固定していても、小山田さんを救済できると言う気概を感じ、それはそれで結構ですが、僕は、あのバトルフィールで勝ちを拾える人を軽蔑しています。なので、バトルフィールドのマナーが変わる事を目指しています。前述、慢性病と急性病に対する治療法の違いですね。
<あんまり妄想されると困るんで(笑)、これ私のブログです。死ぬほど長いので読んでくださいと言いません。ここで何かを宣伝しているわけでもないことも意思表明しておきます。ただの証拠の提示です。
https://honoiro.com/yuma/oyamadakeigo/>
↑ 妄想なんかしてませんが笑、拝読しました。
<バッシングの真っ最中、誰もが沈黙する中で、報道と原文と乖離がある可能性(可能性というのは、まだ全文を手に入れる前に書いたものだから)、知的障害者と小山田さんは友人関係であった可能性を指摘してます。現在までに3万アクセスを超え(アンチが一定数いると思いますが)、その時に北尾修一氏にもTwitterをフォローして頂いてます。>
↑ そのことはそのことで素晴らしいと思いますが、何万アクセスとか有識者誰彼のフォローといった強度は、力の理論で、町山さんがしていることと同じだと思います。僕には(その方法は)無理です。
<本件において、人に頼る前に率先して動くタイプの人間だという証拠くらいにはなりますかね?>
↑ あなたが人に頼って行動しない人だとは全く思っていませんよ。あなあは純粋でアクティヴだと思います。僕は、あなたがファザコンで、僕を教祖視し、「信者が潰されて悲しい」と、一方的に決めつける欲動まで持つので、僕に解決して貰いたいと言う欲望を感じただけです。徒手空拳であることは、僕もそうです。徒手空拳にはメリットもデメリットもありますが、僕は評価します。
<フロイドがリビドーにこだわるのも出生図から分かると思いますし、占星術の方が詳細に個人の心理を細分化できて面白いですよ(笑)>
↑ これは僕が「占い師を見ると精神分析的な興味しか湧かない」と言う僕の発言に対するマウント返しで、あなたのモチベションの多くを自白していると思います。僕は僕のマナーを信じているだけで、あなたはあなたのマナーを信じている。で良いと思います。評価はギャラリーが決めると思います。
<いや、私も全く同じですよ。「小山田さんが羨ましいですよ」と、町山さんの一件に傷ついていることは、対話しないと分からないことでした。(町山さんのことはなんとなく感じてましたけど、小山田さんが羨ましいというほどとは思ってませんでした。人物像を知ると、より興味関心が湧いてきます。>
↑ 「羨ましい」発言に粘着されておられますが笑、僕も粘着しますけれども笑、「羨ましい=俺は傷ついているのに誰も助けてくれない」なんて一言も言ってないですよ笑。レトリックの機微というものがあるでしょう笑。僕は「羨ましいぐらいだ。僕にはそういう人はいないが、誰もそうしないことに満足している=自分のしていることに自信があり、ルールとバトルフィールドさえ違えば、勝利なんていくらでも転がる」と考えていると言っているだけです。そんなこと言ったら、あなた、発言してないだけで、僕があなたのマナーを評価していないという一点で傷ついているんじゃないですか?その仮定のまま進めば、ですが、あなたは僕が傷ついているという事を求め、見つけ、興奮したと思います。
<Weblio辞書を参照とすると、
--恐縮(きょうしゅく)とは、ありがたく、また申し訳なく、あるいは気恥ずかしく思って、身のすくむような気持ちになることを意味する言葉。主に文章や改まった会話で用いる、やや硬い漢語である。「恐縮」は、おそれることを意味する「恐」と、身がすくむことを意味する「縮」から成り、もとは恐怖で身がすくむことも意味した。現代ではもっぱら、ありがたさなどを感じて身がすくむような思いがすることを意味して用いる>
↑ これは、原義から始まって、現在の一般的な使用形を述べているだけに過ぎません。様々な言葉が、俗転して使用意義が変化するのは言語の属性です。Weblioで証明できることなんて、大したもんじゃないですよ。
「恐縮です」というのは、僕の経験則(生活史や、映画史などからくる理解)からいえば、褒められた時に「いやあ、恐縮です」と自嘲するときに使用するのがマナーで、本当に申し訳ない時には「申し訳なく思います」とか「遺憾に存じます」とか、他の言い方があります。「ファンの皆さんの気持ちを荒立てたとしたら」という前提で、「恐縮です」というのは、僕の感覚では偉そうに感じますが、僕は本来、俗転を称揚しています。あなたの父子的な厳格さに対して、リゴリズムを用い、「こんな事させないでくださいよ笑」と言っただけです。
<菊地さんのファンの方々に対して、私が菊地さんの時間を使わせてしまい申し訳ない、そろそろ誰か本気で嫌な気持ちになっていないかと身がすくむ思いもありつつ「恐縮」と使ってるんですけど、これはダメですか?>
↑ これはもう、どんどん変転する単語のニュアンスの問題ですから、正解はありません。ただ僕は、あなたの父子的な厳格さを平均値にとり、僕の言語感覚に照合する限りにおいて、「拳を交える」というのは甘いですし、「ファンの方々を嫌な気分にさせていると思うと恐縮です」というのは偉そうに感じます。僕はこんな、揚げ足取り見たいなことはしません。「ちゃんと読んでないだろう」とか「あなたは無責任だ」とか言うだけの高みから来るならコッチも言わせてもらうけどね笑。というだけです。スケボーの解説者がオリンピックの中継で「こいつクソやばいですね」と言っても、なんとも思いません笑。そのうち、殺人犯が「家族の方に本当に恐縮です」と言う時代が来るかもしれません。それでも良いです。
実際に、原稿やラジオ収録の時間、睡眠時間などにこの対話が食い込んできているので笑、僕も非常に楽しく、勉強になりましたが、これで最後にさせてください。何れにせよこの対話はギャラリーに晒されていますが、僕は「ここの会員はみんなオレの信者で、味方だ」なんて全く思っていません。その上で、全てはギャラリーが判断すると思います。ありがとうございました。
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