菊地成孔さん のコメント
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新倉タケオくんの演奏を初めて見たのは、もう遥か30年前、めぐろパーシモンホールに、ドゥドゥ・ニジャエローズ・パーカッションオーケストラを観に行った時だ。まだデートコースペンタゴンロイヤルガーデンも結成していなかったが、僕は現在のモダンポリリズムに繋がる、あらゆるアフリカの音楽を聴き狂っていて、アフリカ音楽の音構造を研究していた。
当時、ティポグラフィカがザッパ路線からアフリカ路線に大きく舵を切った時期で、今堀(恒雄)は今堀なりに、外山(明)は外山なりに、大儀見(元)は大儀見なりのやり方でアフリカ音楽を追求していた。外山と大儀見は、有名な、ドゥドゥのワークショップ(それはセネガルで、長期間にわたって行われる)に複数回参加していた。
僕と今堀は在宅派で、とにかく手に入るだけのアフリカ音楽を、片っぱしから聴いて分析していた。今では聴き切れないほどの音源が手に入る時代だが、当時は、1枚1枚が大変なお宝だった。
お買い上げありがとうございます!泣き笑いしながら指人形で遊んでください笑。
補償作用とか補償能力とかいう言葉で説明されますが、ある能力の欠如を、別の能力が代理することはよくあります。聴覚を失って、演奏や歌が発達するというのは「別の能力」ではないので、多く、視覚を失った人々(ブラインド)が、歌や楽器の天才になる形は、ご説の通り、特に黒人ブルーズメンに多かったですね。レイチャールズ、スティービーワンダーあたりが最後の世代でしょう。ジャズ界では、不勉強ながら、有名なレニトリスターの(白人)以外は1人も知らないです。ロックではどうなんでしょうか?
いずれにせよ、覚知能力の障害者が補償能力によって何事かを成す。という形、特に「黒人が」「ショービジネスで」という制限があるケースは、時代とともに、特に医療の発達、人権を様々な変化によって(音楽以上に、障害が多いものはフリークショーに出される場合も多々ありましたし、白人の盲目音楽家も戦前にはいました)、現象傾向にあると思います。
ロックの人は耳潰してる人、多いですよ笑、僕はDC/PRGの、あのポジション(立ち位置)になった瞬間から「将来、耳潰すな」と思っていました笑。
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