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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>3

 ルチャドール(外野席の方へ、メキシコのプロレスラーのことです)や綱渡り師というのは、やはり名前の通り、「自由」を感じているし、「自由」のために戦っているのだなあと思いますよね。僕は立ちませんでしたが、ファイナルズの2人は本物のプロレスのマットに立ったことがあって、「あの上では踊れない、シューズが沈みすぎる」とか「受け身さえ取れれば、10メートルぐらい上から落ちても大丈夫そうじゃないスカ」とか言ってました。「自由」に関するヒントが詰まっているなと思いました。

 配信鑑賞ありがとうございます。ピットインにいると、自分がまだ20代のような気分になります。あのバンドは一番年上な林さんですら40代前半で、小西さんは23、秋元は29です。なんかもうね笑。
No.6
34ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 何か全てが遠い過去のようだ。僕は神田沙也加氏とスパンクハッピーをやろうとして動いたことがある。まだマネージャーが長沼ですらなかった頃だ    全てがもう時効という感じがするので、そして今、夜明けの一番日差しの強い時間なので、とても自然に書いてしまうけれども、僕は1998年に大病して入院し、退院したら原みどりさんがスパンクハッピーを辞めて(河野伸君はその前に辞めていた)、1人になってしまった。    以下、初めて書くことが続くが、僕はファーストスパンクハッピーと全く別に、セカンドスパンクハッピーの構想を練っていて、最初はポップな作曲のパンクバンドだった。角川春樹さんの娘さんはケイティと言って、当時、ケイティ&ダイナマイツというバンドも解散し、行方が分からなかった(ダイナマイツの「ワイルドルビー」は本当の名曲だと思う。「フロイドと夜桜」は、この曲と hitomi の「サムライドライヴ」とバグルズの「ラジオスターの悲劇」を足して、トニックディミニッシュを2小節目に入れた世界で唯一のロックナンバーである)。「ケイティとバンドをやったら死んじゃうかもな。自分かケイティが」と思っていた。  
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