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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>7

 「チャボ」は、キューバ人が使うあのチャボ(男のガキ)だとしたら、ですが、そのシュチュエーションはかなりまずいですね。僕は南アにトラックメイクの友達がいるんですが、「刺すだの斬るだのは実際子供の方が強いし、仕方なく買い物帰りにヤバイ道を通るときは下腹部が怖い」と言っていて、寒気がしましたが。

 おととい、玉音放送オンエア記念日(終戦記念日は別なので)に、松竹東急シネマが、いわゆる「平和への祈り特集」として、木下恵介の国策映画(松竹配給、日本陸軍局制作、44年公開)である「陸軍」と、反戦映画である「二十四の瞳」(松竹制作配給、54年公開)を、ぶっ続けでオンエアしました。

 これは正直、結構なことです。「二十四の瞳」は、木下恵介のファンならずとも、日本映画ファンならば、また、日本文学、演劇のファンならば、一定の年齢さえ超えていれば「誰でも一度は見たことがある、内容も知ってるクラシックス」ですが、「陸軍」は、おそらく、BSとは言え初オンエアだと思います。僕も未見でした(そもそも木下恵介がそれほど好きじゃないというのもあり)。

 いわゆる国策映画で、薩長戦争から始まり、日清、日露、一次大戦飛ばして二時大戦、太平洋戦争末期の召集までを描いた、上映時間が長いことで有名な木下恵介の、わずか90分弱の作品です。俳優も、笠智衆、田中絹代、上原謙、東野英治郎しか出てきません。

 この作品は長らく、「あの名匠木下恵介でさえ(というか、名匠が故のインフルエンサーぶりで)国策映画を撮らされていた。圧倒的な反戦者だった木下は、嫌々この作品を撮影したが、ちゃんとラストシーンは(田中絹代の独演によって)、裏テーマとしての「反戦」を打ち出し、軍部に一矢報いた」と、語られてきました。

 んでまあ、そういう歴史的評価を知っていてみれば、「そう見えないでもない」です。劇中、息子が召集され、国のために死ぬことをガチもガチで誇りに思っている笠智衆と田中絹代の夫婦ですが、いよいよ出征の大行進(ここは実際の出征のニュース映像を使っていてすごい迫力)となると、母親は、進軍行列の中に息子を見つけ、追いかけて追いかけて、歓喜に沸き、トランスして笑顔で国旗を振り回す群衆の中で、天皇を超えた存在であろう、仏に両手を合わせ、息子の安全を祈り、崩落する。田中絹代スンバラシイです。

 と、確かにここはまあ、「一矢報いた」と言えば、言えなくもない。とは言え、最後の最後にテーブルひっくり返したわけではないです。実際、陸軍は検閲でこの作品に全く挟み入れてないんで(っていうか、陸軍自体が制作したんで)。「見ようによっては」という程度で、「いやあ、戦争賛美の国民だって、母の人情っていうのは、このぐらい深いのですよ。こうした深い愛を湛えたまま、国家が勝利するのです」程度にしか見えない、と言えば見えないです。

 それよりも、僕がびっくらこいたのは、「二十四の瞳」(これは、戦前、戦時中、戦後を描いた、かなり長い作品です)よりも、「陸軍」の方が、はるかにメンタルに良い映画になっちゃっている。という、「現在」との関係性でした。

 「陸軍」を今、見ると、「こうやって国民がみんな一つになって、喧嘩しても裏切りあっても、結局は仲間で、価値観を共有し、国家の目的のために一つになれるって、素晴らしいなあ」と、思わず思ってしまうんですね。もう本当にびっくらこきました。これが1980年代だったら絶対にありえなかった心理的反応だと思います。俺の心に、こんなことが起こるのかと、仰天しました。コロナの後遺症かも。

 木下は、通説通り、「陸軍」を作らされた怨念から、10年後、反戦思想を「24の瞳」に、半ば狂ったように叩きつけ、どこまでもどこまでも反戦と反貧困(要するにプロレタリアートど真ん中)を呪詛し続けるんですが、思想の内容はさておき、という「さておき」さえ許されれば、テーマがポジティヴでマッシヴで共有的な「陸軍」の方が、テーマがネガティヴで、少数派意識(この、反戦やリベラリズムが「少数だ」と自認する、屈折した意識、というか、思考が、日本の戦後思想をおかしくしたと思うんですが、それはさておき)呪詛に満ち満ちた(そして、「なんとなくちゃっかり」としか言いようがない手つきで、反戦と反資本主義をちょいちょいっとくっつけちゃった、というインチキが根底にある)「二十四の瞳」よりも、見ていて爽快で気持ちが良いんですね。

 「これ、並べてオンエア大英断だと思うけど、編成の人、見た人々が全員、反戦思想を強化し、つまりは<陸軍>を唾棄すべき忌まわしい映画と感じ、<二十四>を素晴らしいリベラリズム、と賛美する、と思ってのことかなあ?リスク考えなかったのだろうか?」と思ってしまいました。

 僕は実は、8月14日には、故郷に帰ってライブと同窓会をしていたんです。今年はヤバイ年だ。とずっと言ってますが、今年の8月15日は、とんでもない8月15日になりました。


 
No.9
20ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 凄い日差しだ。いやあ、なんでも終わってしまえばだが、コロナはやばかった。マジで間一髪だったと思う。実は今、長沼が家族で夏休み中で、もしぶち当たっていたと思うと寒気がする笑。まあフッドに友達(音楽家とかではなく)は確保しているとはいえ。    今、「後遺症」が流行語みたいになっていて、「コロナそのものではなく<後遺症>で鬱病になった」とか「コロナそのものではなく<後遺症>で、仕事を続けられなくなった」という例が、身近にさえ押し寄せていて、ことの解釈はひとまず置くとしても、「ものすげえ現代的」と思わざるを得ない。  誰だって「コロナが戦場体験で、今 PTSD に苦しんでいる」という風に見立てるざるを得ないだろう。 PTSD 概念(これはフロイドの古典的トラウマ概念と抵触するのだが、あのフロイドが、一次大戦のシェルショックを見かねて、自分の理論的根幹を修正した結果だ)によって「戦争」の意味が変わってしまったように、コロナはまだまだポストモダンだと思う。     今僕は、まあ、秋までには元に戻るであろう、「一時的な朝方」を利用して、都内を回遊しながら書いている。今、表参道のあたりで、人々は正午を待っている状態だ。人出が多いのか少ないのか全然わからない。昔日はクロコダイルやアメリカンアパレルに通うために、週二、三に近い状態で使っていた道には、歩行者ゼロだった。渋谷に着いた。カフェに入る。    陰性な気持ちが全くない上で、ちゃんと丁重にお断り申し上げたから、名前を明記するけれども、「週刊女性」と「女子 SPA! 」から、あの、コロナ闘病記を転載させてほしい、というオファーがあり、一瞬びっくりしたのだが、すぐに納得した。<女性誌は皇室スキャンダルと闘病記が好き>という至言を放ったのは、もちろん僕ではなく、ナンシー関である。  
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