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菊地成孔さん のコメント

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菊地成孔
>>4

 追記です。ラディカルな意志のスタイルズと新音楽制作工房の関係性、ということでは、もし良いのができたら、彼らのうちの誰かと共同で曲を作れたら、というリージョンに留まりますが、それだってすごいことですよね。もう僕は、僕一人の力でクリエイトするのはやめました。60になったら完全にやめます。

 すでにテストランで、ぺぺの新曲の中には、「小鳥たちのために2」が小田朋美さんと、「大空位時代」が新音楽の佐々木さんと、「闘争のエチカ」が新音楽の高橋くんとの共作です。これらは全て、ぺぺの次のアルバムに収録されます。次のアルバムのコンセプトは、全曲オリジナルで、全曲が僕と誰かの共作曲である、ということですね。個人の怨念めいた単独制作から、広く工房製作に移行するのはブランディングの基本ですから。ファッションに疎い人は、シャネルってまだココシャネルがデザインしてると思ってますよ。
No.6
16ヶ月前
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 12月に入った。例年になく長かった今年ももう1ヶ月を切ったが、元日までは波乗りと一緒だ。今日、東京は急激に寒さを増し雨が降った。アレッサンドロ・ミケーレがグッチを退任。    1980年代なら、むしろパーティー日和だ。クラブカルチャー全盛期よりも少しだけ前の、初期ヤッピーのパリピ文化。彼らは雨や寒さなど気にしなかった。毛皮とプラスティックがマテリアルの服を纏い、ポップグループやリップリグ&パニックで、あるいはマイケルジャクソンで踊る。    タクシーに乗ってシートベルトを刀を抜くように、大きく引っ張ってロックする。「青山通りの、行列ができるドーナツ屋の前。で分かります?」と笑いながら聞くと、異様に恐縮した感じで「すみません住所を、、、、」と言われた。「ですよね笑」    ドーナツ屋さえ行列はなく、青山はブルーヴェルヴェットだった。加齢のせいで、角膜がおかしくなったのかも知れない。クラブゼロの階段を降りるともう新音楽制作工房の藤井くんが先に入っていて、かなりパセティックな歌モノでサウンドチェックをしている。彼がまだ DAW 初心者だった頃とは別人である。  人が育つというのは恐ろしいほどだ。無邪気で乱暴で、何も知らないでいられる時期は短い。それは巷間「短い」とされる人生より短いのだ。  
ビュロ菊だより
「ポップ・アナリーゼ」の公開授業(動画)、エッセイ(グルメと映画)、日記「菊地成孔の一週間」など、さまざまなコンテンツがアップロードされる「ビュロ菊だより」は、不定期更新です。