スパンクハッピーのレトロスペクティヴを心待ちにしている愛好家の皆様、あなたを愛しています(岩澤さんもどこかできっと)。
現在私は、松永天馬さん(アーバンギャルド)、長田左右吉さん(電影と少年CQ proud / MG)等の、非常に頼もしい御協力の元、2度のイベントをより美しくすべく尽力しています。画像、ライブ音源共々、ご提供してくださった方々にも深く感謝致します。有難うございました。
そんな中、いわゆる「埋蔵音源」にあたる音源が(大袈裟ではなく、そう申し上げるしかないのですが)<奇跡的>としか言いようがないタイミングで目の前に現れましたので、熟考の末、サブスクリプションに追加させて頂きます。
私は、この曲のことを忸怩たる思いではっきりと記憶していましたが、正直、一生、聴くことは出来ないだろうと思っていました。ミッシング・パーソンやミッシング・ソング、あらゆる「失われたものたち」は「美しくなる」以外の事が、きっと、できません。もしそれが、忌まわしく醜い思い出だとしても。
とはいえ、私は、突然にして眼前に現れたこの曲を聴くのが、正直とても怖かったです。いざタイプカプセルを開いた瞬間の私の気持ちは、まだ書くべきではない。と判断します。
ただ、しかし、今はもう、2期スパンクハッピーの、録音当時のバックヤードを話せる者は、私だけになってしまいましたので、最低限の解説だけさせて頂きます。
* * * * *
「Vendôme,la sick Kaiseki(2003)」のレコーディングは難航を極めました。時間との戦いの中、私がパニック障害の治療中だった、ということも加味していたかも知れません、しかしそれは、あのアルバムの意味も決定していたので、ダブルバインドです。
結果、本来12曲入りを予定していたアルバムは、10曲入りで発売される事になりました。
あのアルバムが、今聴いても、奇妙に切断的、不全的に(フックだけ作曲されたダンスナンバーで)終わってしまうのは、作品のダークなオーラを担保しているとはいえ、それは結果論という、非常に優れた運命のあり方の1つを示しているに過ぎません。
収録予定だった「あと2曲」のうち、1曲が「フロイドと夜桜」であることは愛好家の皆さんには周知の事ではないかと思われます。
恋愛依存がテーマのこの曲は、クリスマスソングと御座敷小唄の要素を持ったテクノポップチューンですが、「余りに陽気すぎる」という理由から、後のシングル発売だけ決定して、アルバムからは外されました。
後に「普通の恋」というシングルのcw曲として発売され、今回無事サブスク解禁と相成りました(今回、サブスクの機能上の問題を配慮して、スパンクハッピー名義になっていますが、あれは私のポップシンガーとしての初めてのソロシングルです)。
「フロイドと夜桜」の未収録は、こうして致命的な問題ではなくなりました。そして、アルバムの掉尾を飾るべきエンドソングは、井上陽水さんの「背中まで45分」のカヴァーが予定されていたのです。
私が、陽水さんが沢田研二さんのために書いたこの曲に込められた、デカダンとエロティシズムをどれだけ崇拝しているかは、言葉にできません。
そして、崇拝は尊きなり。という事でしょうか、神の導きで、私はこのアルバムで結果失われることになった、「背中まで45分」を、翌年の「井上陽水 空想ハイウェイ」というテレビ番組で、ご本人と共演するという僥倖を授かりましたが、オンエア時には既に「Vendôme,la sick Kaiseki」はリリースされた後でした。
時は戻って「Vendôme,la sick Kaiseki」の納品前夜、私と岩澤さんはほぼ眠らずにレコーディングにトライしていました。「フロイドと夜桜」のカットになったの事後の判断としても、「背中まで45分」は、どうしてもダメでした。なぜダメだったのかは、私にも(岩澤さんもきっと)未だに分かりません。
その結果、私は「背中まで45分」にインスパイアを受けたオリジナル曲として、スタジオの時計を横目で見ながら、この曲を数時間で作詞、作曲、編曲しましたが、作曲の僅か数音と、作詞の3割ほどは「仮」という状態までしか持って行けませんでした。編曲に至っては「デモ」と呼ぶに相応しい程度のクオリティまでしか届きませんでした。
それでも、急いで岩澤さんに聴いて貰い、2人でスタジオに入り、何度かテイクを重ね、時計を見たら、納品時刻は大幅に過ぎており、「仮」部分の修正も、音程修正も、とてもではないがしている時間がない(当時、音程修正は、現在よりも遥かに時間を要する作業でした)。という事になり、芳醇な予算を持っていたわけではない我々は、ブースの中でタイムアップを迎えました。
「岩澤さん。ごめんなさい。タイムアップです」
「はいー。でもわたしこの曲が一番好きかもー」
「いや、ダメです。これじゃダメだ」
頭を抱えたままブースで深呼吸している私を尻目に、「なーんでーかなー。なーんでだめー(モグモグ)なのかなー。菊地さん、大丈夫ですかー(モグモグ)」と、美味しそうにスタジオのお菓子を食べていた岩澤さんの姿は忘れられません。
岩澤さんは、「透明」としか言い表せない、あの<何もない歌声>で、歌詞カードを1ワードだけ読み間違っています。まだ若く、暴虐なまでに多感だった39歳の私には、その事実が、まるで福音であるかの如く感じられるほどの喪失でした。
こうして、「Vendôme,la sick Kaiseki」という禍々しいアルバムのデザートワインとして供される予定だったこの曲を私は失い、アルバムは切断的に終わり、2期スパンクハッピーの活動自体もそうなりました。
つまりこれが、岩澤さんの最後の歌声です。
*c/w「フロイド夜桜(sweet voices mix)」
前述「陽気すぎる」という理由から、全方向的にとても気に入っていたこの楽曲(今でも一番好きです。「ポップ」と言うのは、私にとって、結局こういう物だと思っています)ですが、せっかくアルバムから切断してシングルにするのだから、ということで、80年代のインダストリアルテクノのような感じで、ヴォーカルトラックに歪みや圧縮系のエフェクトを複数かけ、結果、ザラザラした音質が楽曲の気分を担保し、完成しました。
しかし、オンタイムでは収録予定でしたので、「ヴォーカルのエフェクトを中心に、演奏全体の音色の方向性をやや古く、柔らかい感じに振れば、70年代グラムロック的なチューンとして収録しても大丈夫かも?」といった若さ故の悪あがきがありましたが、アルバム全体のバランスが結晶化せず、お蔵になった。というミックスが残されていました。
このミックスも今回、「ethic」と共に発掘されました。座興としてお楽しみいただければと思います。今回、2曲とも、納品時のムードを失わない程度にAI使用の再修正と再ミックスを施してあります。担当したのは「新音楽制作工房」の花守コウ、ジャケットはAIを駆使し同じく新音楽制作工房の田島浩一郎が作成いたしました。
キングレコードは「echic」を<シングル新曲>と査定し、「フロイドと夜桜」は、結果、<2度、シングル曲のc/w曲になった楽曲>になりました。音楽の力をもってしても、運命には逆らえないようです。
記憶、記録ともに、2期スパンクハッピーのアウトテイクス=埋蔵音源はこれ以上存在しません。まずはお味見を。それでは先ず、4月にお会いしましょう。
菊地成孔
夜の高速道路
青いヴェルヴェットの上を
車は走る あたし達を乗せて
ああ honey dew ダイアモンドと メロンの味がする
あなたのKissは文学的
「ねえ?みんなの言ってる、あなたのことなんて、嘘でしょう?」
って あたしが言った
痛みを喜びに 変える魔法を唱える
高層ホテルの ルームライト数え
mein muse 花束と 生肉の香りがする
君のベッドは宗教的
「ああいつからこの国はこんなふうになっちまったんだ」
って あなたが言った
脱ぎ捨てたのは ethic
教わらなかったのは 滅びゆくものは
ethic / ethic
こんなにまでも あたしたちを
だめにだめに
だめにしてしまう
(alto sax)
ローションの水槽と あなたの書いた論文で
愛しあえる 夜のあたし
あたしを裸にして 誰かに祈り捧げる
疲れ果てた夜のあなた
安定剤 吸入器 「興奮しすぎたっていいのに」
って あたしは思った
着せられたのはfetish
教わったのは 口を塞ぐのは
fetish / ethic
こんなにまでも あたしたちを
だめにだめ
だめにしてしまう
このまま どこまでいくのかしら?
車は どこまで走るかしら?
金星は いつまで見てるかしら?
高速は どこまで続くかしら?
2人は 愛しあってるかしら?
2人は かなしくなるのかしら?
このまま どこまでいくのかしら?
車は どこまで走るかしら?
金星は いつまで見てるかしら?
高速は どこまで続くかしら?