菊地成孔が、過去と現在を、痛みと笑いで横断するエッセイ集。

<震災前夜までのニュース>の数々
不二家の3秒ルール/ミートホープ事件/船場吉兆/石原都知事就任/安倍首相バックレ辞任/練炭自殺/アキバ通り魔事件/リーマンショック/豚インフルエンザ/毒ギョーザ/普天間/大相撲と世間/小沢マスク/55年体制最後の自民党総裁マンガ顔の麻生太郎/宇宙人としての鳩山/「ミシュラン東京」発売/オリンピック誘致失敗/「サロン・デュ・ショコラ」のコミケ化/死刑になりたくて殺人/ガザ地区空爆/ベストドレッサー市橋/尖閣
↑こうした現象たちと現在は、どう繋がれ、切断されているのか?

イースト・プレス ●312ページ
発売日:2013.9.15
定価1,680円

9月15日にイーストプレス社から発売される『時事ネタ嫌い』を発売に先がけて、「まえがき」と、全46章のうちの1章~3章まで、数回に分けて公開します。
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3 窓の外を見ろ

 

2005年10月から東京で始まったタクシー車内での動画広告サービス「タクシーエム」。2007年3月には都内で計3000台のタクシーに搭載される(経営は札幌市に本社を持つ株式会社白圭)。

 

 

 歳をとると、ああ本当に、心の底からこれは嫌だなあ。ああ嫌だ嫌だ。と、安心して胸を張って言えるものが減ってくるわけですが、そして、そういうものの存在は、精神衛生を保つ上での必要悪だったりするので、有り難い側面もあると言えるわけですけれども、とにかくワタシの場合、「タクシーエム」にトドメを刺します。ワタシは基本的にタクシー移動なので、アレを搭載している車に当たると、逆乗車拒否とばかりに乗らないで降りてしまうか、直接この手で引きちぎって、足で何十回も踏みつけてから、窓を開けて外に投げ捨てたくなります。
 
「ああ。アレでしょ。助手席の日よけの辺りにぶら下がってる、電光掲示の看板でしょ。ニュースが流れる。アレがそんなに嫌かね」というのは早合点です。あれは良いのであります。あれには昔日のニュース映画のような奥ゆかしさと懐かしさがある。「タクシーエム」は、後部座席、つまり乗車席に座ると目の前に小型モニターが設置されていて、それが映画の宣伝やら、自らの。つまり「タクシーエム」それ自体の宣伝やらが流れ続ける。というもので、ドライブを愛し、東京の町並みを愛し、日々のタクシー移動の際、窓の外に流れる東京の景色を見ることによって、この上ない癒しとインスピレーションを得ている者にとっては。とまで言わずとも、ごくごく一般的に見ても、随分とあつかましく、センスの悪いものです。何せコレは、乗客自らがスイッチを切ることも、モニターを動かすこともできないのです(ボリュームをゼロにすることはできますが、なんと絵は消せないのです)。
 
 自らの宣伝を流し続けていること。これはまあ、どのメディアでも創成期には不可欠なことなので仕方がないとして、その内容たるや、曰く「『タクシーエム』。それは、タクシーとシーエム(CM)をかけた新世代型のメディア! 移動手段としてのタクシーの車内が一転、エンターテイメント空間になる!」「30センチ。それは人間にとって、逃れられない距離。あなたの目はもうモニターから離れられない!」「宣伝効果は絶大!」とかいった「会議のプレゼンをそのまま連呼しているようなもの」と、所謂ヤラセ型の(エキストラさんがマイクを向けられ)「いやあ。もう目が離せなくなっちゃって!」「どんどん増えてるみたいですよ!」「ああ!今通った!ほらそこ! あ!ほらほらそこにも!いっぱい!」といったものの二種類なのですが、残念ながらガチな前者にも、セルフパロディ型のギャグである後者にも、苛立ち以外の反応は起き得ません。
 
 消費者がプレゼンの対象に一直線に繋がってしまう(「タクシーは社長が乗るもの」だから。だと思われ、幼稚さと押しの強さに辟易とします)とか、プロパガンダが「これは洒落ですよ」と言いながら、そのまま洒落ではなくなっていく、とかいったエスカレーションについて、広告宣伝の歴史や文化論を語るつもりはありません。しかし、ワタシはタクシーエムの車載モニターに出くわし、目の前30センチに突き出された、小奇麗で、下手したら多くの人々が「その気」になってしまうのではないか?と思わせる「シーエム」。田舎臭く(地方を差別しているのではありません)野暮ったい、児戯にも等しいほどに退行的でありながら、自信満々でふんぞり返っているような商法と商イメージは、どうしてもワタシにある連想を引き起こさせます。それはまったく理不尽な連想なのですが、が故に強烈なのです。
 
 それは「これがホリエモンだ」ということです。あの人相の悪い、ユーモアに欠けた青年とその集団(*当時まだ「集団」で、自殺者も出した )を、オウム真理教に例える人々はたくさんいますが、不謹慎の誹りを承知で申し上げるならば、ワタシは、地下鉄にサリンを撤いた20世紀末の宗教カルトのほうが、タクシーに小型モニターを撤いたり、ラジオ局を局ごと買い取ろうとするスーパードラスティックな21世紀商魂よりも些かのユーモアを感じました。オウムは漫画に見えた。しかし、ライブドアだのタクシーエムだのは、漫画にすらならない。ワタシは宗教にも企業にも何の偏見もありません。好きなだけ好きなようにやればよろしい。歴史上、犯罪者ギリギリのカリスマはいくらでも居た。しかし、タクシーエムを見せられながら六本木ヒルズに向かう時(ワタシはJ-WAVEのナヴィゲーターをしているので、週に一度、ヒルズに通っています)、「何かがとうとう、ここまで至ったのだ」と思うばかりなのです。             2007年3月
 

 


後 日 談
 
「ステマ」に代表される、マーケティング総体に対する敏感な反発感は定着し、ホリエモンは巡り巡って獄中ダイエットに成功。タクシーエム(会社名は「TAXIM-TV」)は、2012年に後発会社である「タクシーちゃんねる」を生む程度には定着(「〈タクシー〉を〈楽しい〉へ」といったセンスと共に。因にこれは「タクシーちゃんねる」のヘッド・コピー)、最初期からずっと番組を持ち続けたグ・スーヨン氏(筆者は氏のコーナーのみ、「グ・スーヨンのだけは面白い」と楽しみにしていた。氏が映画『ハードロマンチッカー』を発表した際は、タクシーエムのみが、ほぼ唯一のプロモーションメディアとしてフル稼働したが、社長さんたちには届かなかったか興行的には敗戦。それでも氏は登場し続けて)の「グとハナはおともだち」のコーナーが、タクシーエム6年目にして一般層を巻き込んだ人気プログラムとなった(「グとハナはおともだち」は「TAXIM-TV」「タクシーちゃんねる」双方で放映されている)。