12月30日(月曜)
今日で、当ブロマガ「ビュロ菊だより」に、毎日更新でアップする日記は終了と成ります(ここ数日をお読み返しください。日記自体を一切止めるとかではなく、無料で気軽に続けて行きます。場所は「第三インターネット」です。こちらも年が明けたら様変わりさせようと思います)。コメントの数々有り難うございました。
ワタシは、生まれも育ちも悪く、大したルックスでもないですし、大した学歴もありませんし、チビで軽く頭のおかしい、家庭人としてよりも火星人としての方がリアリティのある様な、社会人としては出来損ないです。しかし、音楽をやる事が出来、音楽を研究する事が出来、それによって色々な考えや行動を得れた事(最大の行動は、演奏それ自体ですが)を、マジで毎晩、神に感謝し、両手を合わせて話しかけています。この能力が与えられなかったら、ワタシはとうに霧散していたでしょうし、存在が残っていたとしても、何をしでかすか、恐ろしくて身震いがします。
残念ながら音楽は、戦争に利用される事もありますし(ここ最近は特にそれを感じます。強く)、もっと小さな規模の犯罪のBGMになる事もありますし、人を追いつめたり、狂わせたりしてしまう効用もあります。これは、良薬や良料理や良書と同じリスクで、誰にも回避出来ません。
しかし、リスクヘッジの為に、何かを止めてしまう事。は、時に一番良くない。ワタシはこの事を、親や学校の先生からではなく、音楽から学びました。
ワタシは実の子がおらず、何かを次世代に残す。というような健康的な欲望が(少なくとも、今の所は。としますが)ありません。とにかく音楽を残したい。神経症も経験しましたし、もっとエゲツない病気も経験しましたし、歌舞伎町に来てからはむしろ健康的になりましたが、昔日は、ここに書いたりしたらソニーの株価に関わる、というほどの荒れ方で、一生悔やむ様な事も山ほどして来ました。たった今でも、清廉潔白に、一切何の罪も犯さずに生きている。とはとても言えません。悪夢で喘ぎながら目覚める深夜や早朝も、未だに消えません。ただ、自分が出したい音に関して、好きなだけ、そして毎秒1ミクロンずつでも成長する事に一切の遠慮や抑止を持たない。という事を、神に誓っています。
ですので、残りの人生は、音楽の素晴らしさ、音楽を聴く事の奥深さ、演奏する事の奥深さ、それが誰の人生も救済しうる事の証明を続けて行きたいです。その事に殉じたい。と思っています。すべての音楽をワタシは認めますが、前述の通り、すべての音楽が同じ意義と効用を持つとは限りません。大切な事は、音楽を与える側と受け取る側の間に、シンプルな愛が存在するかどうかだと思っています。
今年は本当に豊穣な年で、アルバムを4枚も作り、「これはどうだったかな?」といった作品は1枚もありませんでした。すべてが自信を持ってどなたにでもお聴かせ出来る盤ばかりですし、演奏活動も本当に充実し、良い年でした。聴いて下さった総ての方に感謝します。
それでも、この国が、最高にとは言わないまでも、そこそこ安定し、国民が枕を高くして眠れる様な、最低限の状況でもキープしている。とは、実のところあまり、思えません。ワタシはそもそも、母親の胎内からヤバい状況で、生まれてすぐにヤバい状況の中におかれ、ヤバい状況の中を生きて来たので、ヤバい状況で生き生きするタイプです。ですから、逆に言えば今というのは、有り難いほどの話しであって、非常に意欲的であり続けています。50になってラッパーになったり、レーベルを立ち上げたりというのは、「やめときな年寄りの冷や水は」と言われる様な事だと思っています。
いつだってワタシは、音楽の出番だ。音楽が行くぞ。音楽があるから大丈夫だ。と思って生きて来ました。常に頭の中では、音楽が鳴っています。質とか内容ではない。常に鳴っているかどうか。それが最もベーシックな事なのです。
今日は、今年最後の忘年会で、ベーア、サラ太郎、青羊さん、小田さんと食事をして、青羊さんは帰って、残りの4人でカラオケに行きました。サラ太郎はカラオケなんか行った事が無いぐらいの感じでした。ベーアはなんだかんだカラオケが得意で、小田さんもそこそこ。という感じでしたが、これは贅沢だなあ。贅沢だよー。これが役得ってもんでしょう^。とか言いながら、紀伊国屋の向かいにあるカラオケ館にはいると、いきなりサラ太郎がドリカムの歌を歌って、それはもう、とんでもない上手さで、1万人近いスタート数(通信カラオケというのは、ネットワーク化されていて、歌う度に、全国でいま歌い始めた人との競争になるのですね)から、一気に全国で2位になりました(写真参照)。
やばいやばい。サラさん凄い!とか言いながら我々は俄然盛り上がり、とにかく1時間以内に全国1位を出そう!という話しになって、サラ太郎と小田さんとワタシとベーアで、歌いに歌いまくり、それでも全国の通信カラオケの猛者たちの手練ぶりは凄まじく、サラ太郎が宇多田ヒカルさんを歌っても、ベーアが岡村ちゃんを歌っても、ワタシが薬師丸ひろ子を歌っても、小田さんが椎名林檎(爆笑するほどそっくり)を歌っても、1位はとれないのでした。
ワタシは「頑張れ!頑張れ!行け!これがオレたちの紅白歌合戦だ(笑)!!」と皆にエールを送りながら、余りの贅沢さに、気が緩むと失神しそうでした。本当に素晴らしい。もし青羊さんが帰宅されず、この輪に加わっていたなら、本当にワタシは、感動して失神していたかもしれません。歌というのは本当に凄い。本当に幅が広い。上手いとか下手とか(小田さんとサラ太郎は超絶に上手いですが)ではない。コンピューターとの戦いでもあり、精神世界での戦争でもあります。
1時間が過ぎ、もうコレしかない、コレを出すしか無い。といった感じで、サラ太郎が平原綾香さんの「ジュピター」を歌いました、これはもう十八番とう奴で、とにかくレコーディングして出すしか無い。としか思い用の無い名唱でしたが、やはりこのゲームのプレイヤーではないので、勝負の勘所が解らないのです。我々全員が毎回96点台をたたき出すのですが、10位以内なのです。
そこで、いきなり小田さんが、同じ平原綾香さんの「グリーンスリーブス」を入力しました。平原さんがグリーンスリーブスを日本語で歌っているなんて、誰も知らなかった。小田さんはアレンジの仕事で関わっていたので知っていたのです。「もうこれで1位が出なかったら今日は諦めましょう。もう充分堪能してお腹いっぱいです」とワタシは言って、小田さんが7~8曲目として「グリーンスリーブス」を歌いました。
一瞬の隙をついて。というか、一瞬、全国でカラオケを歌っている人数が落ちた瞬間が来て、小田さんの「グリーンスリーブス」は1位になったのでした。我々はカーニバルの時のブラジル人の様に成って、大騒ぎをしました。いま帰宅した所です。
こんなものは単なる遊びです。僅差で小田さんのが上手いという話しでもなんでもない。二人の歌は、本当にエネルギーに満ちて、音楽という物がどれほど素晴らしい物か、ともすればすれっからしになりがちなワタシの心にガシガシに迫って来ました。
これだけパワーがあれば、ストーカーが出たってしょうがない。毒になったり、誰かを傷つけさえするかもしれない。それでも、音楽を止める事は出来ない。ただ単に感動したとか、救われたとか言う事だけではない、それは根源的な事ですが、根源的であるだけとも言えます。美学。美しくある事。ダンディであること。奇麗に振る舞える事。かわいらしく、柔らかく、優しく、時には凶悪にさえなれる事。悪徳の限り、退廃の極さえも通過出来る事。知的にも白痴にもなれる事。畏れを抱くべき時間や対象に、まったく畏れを抱かない時間を持つ事。神々が住む地域には対話が満ちて、それは一見、ドグマの累積に見えますが、その実それは、変装された対話に他ならない。来年もご贔屓のほど、宜しくお願い致します。
2013年 12月31日 午前3時52分
菊地成孔