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<ビュロ菊だより>No.65「町山さん手打ちにしませんか(笑)」
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<ビュロ菊だより>No.65「町山さん手打ちにしませんか(笑)」

2015-04-28 07:30


     現在、ワタシは新幹線の車中におり、町山さんより些か中元や歳暮を貰いやすいかも知れないワタシはグリーン車のシートでコレを書いているのですが、さっき普通車からマネージャーがやってきて、「とうとうヤフーニュースのトップになっちゃいました(苦笑)」と言いながら、スマートフォンの画面を見せました(ワタシはガラケーです)。


     ルパン3世の何十年ぶりかのスピンオフ新作の音楽監督をやっても、女優の菊地凛子さんを音楽家デビューさせても、合衆国ジャズの殿堂インパルス!レーベルと、日本人初の契約を交わしてもヤフーのヤの字もなかったのに(笑・載せてくれ。と言ってるのではないですよ念のため)、たかが異端映画批評家でもあるジャズミュージシャンが、不快な作品を不快だと自分のブログに書いただけで、ありがたくも「炎上」認定をいただき(町山さんのお陰でございますよ・笑)、トップニュースになるという、性的欲求不満と呪詛がホテルブッフェのチョコレートフォンデュの様に循環するネット社会というものに比べれば、映画「セッション!」は、はるかに爽やかで罪のない快作であると言えるでしょう(笑)。

     

    ワタシ的には、この「いきなりふっかけられた論戦」の全体に言える事なのですが、ワタシの文章は長く(それは事前に断っていますが)、読む方によっては大変な悪文で(言うまでもありませんが、本人的には全くそうは思っておりません。ネットばかりやってると、硬い物が噛めなく成ります。噛めないと幼児はイライラして泣きます。それだけです)、町山さんのみならず、オーディエンスのほとんどが、そもそも全文をくまなく読まれていらっしゃらないと思われるのに対し、町山さんの文章は、ハンバーガーの様に青少年にも食べ易いので、もうそれだけで、これがもし、勝敗をウイットネスが決定する様な、ディベートにも似た「論戦」であって、ワタシと町山さんという2人のプレイヤーは、互いに合目的的に「勝利」を目指しているのだ。とする限り、そして、そのリングがネット上である限り、ワタシはあらゆる意味でアウェイであり、続ける意思も必要も無いと思っておりますし、しつこいようですがワタシはそもそも議論する気も、それに勝つ気も、何かを潰す気も全くありませんので、巻き込まれてキリキリ舞いを演じているわけですが、止めたくとも止めたくとも、町山さんのジャイアン的な無邪気な決めつけによるミスリードが酷すぎて捨て置くことが出来ず、訂正するとまたミスリードされ、とうとうツンデレみたいな事までなさるので(笑)、なんだかもう、単に町山さんを強制的に好きにさせられる罠にはまったかのような感覚で(笑)、とにかくワタシは、因縁つけられた側として、せめて終結を提案する権利は頂きたく、簡単に申し上げるならば、町山さんがこの文章への反応を書くのをやめていただきたいです。町山さんは、前回の最後に終結を宣言されておりますが、この文章にリターンしないで頂ければ、終わる訳です(要するに「最初に町山さんが仕掛けた一回分の償却を既得権として要求している」ということです)。

     

     でないと、ワタシは、ここまでの経緯からもお分かりの通り、素人様による、致し方ない、あるいは微妙な誤解ならともかく、尊敬するプロフェッショナルによる、乱暴でわかりやすい誤解というものは、訂正しておかないと気が済まないタチなので、このまま我々の性質と実力という限界性の中で継続する限り、ダッチロールが永遠に続きそうなので(笑)、3回の裏でキリよく終わらせ、お互い違う映画の事でも書きましょう(笑・町山さんは、既に旺盛に書いていらっしゃるんかもしれませんが)。

     

     というより、町山さん、並びにオーディエンスの皆様のほとんどがコチラ読んで頂けていないのではないかと予想しています(完読されている形跡がないので) ↓

     

     冒頭に書いた通り、町山さんの最反論は、「お互い良いパンチ貰ったぜ」「誤解もあったけど、オレもマジだったんだよ」的な、仲直りバイブス溢れるもので、ワタシ個人は無条件に喜ばしく思いますが、もし上記の物を読んでも対応が同じかどうか、はなはだ不安です(笑)。


     さて、町山さんがワタシの「真意(音楽に於ける愛の在処)」を読み取って下さった、そのお返しに、という訳ではありませんが、ワタシも町山さんについて誤解していたなと思う部分を、どうか詫びさせて下さい。


     ワタシは、町山さんの「呼んでもいないのにいきなり登場する」「オーディエンスをミスリードして相手を封じ込める」「論敵の過去の罪状を提出する」といった、観客席への効果が抜群の「戦法」が、知的に周到なものであり、かつ、権威主義的な「叩き潰す」傾向に意識的なのだ。と思っていました。


     あまりにもやり方が雑で、戯画的なので、「まさか町山さんともあろう方が、ガチでこんな振る舞いをなさるわけがない、これはタクティクスだ」と思ったのです。


     ですが、今回の返信を拝読し、それがいわゆる「天然」の物で、恐らく少年期から(それこそ、プロレスや少年マンガの影響かもしれませんが)維持されているであろう、「喧嘩の作法」として、ある意味で生得的といっても良いレヴェルにあると思いました。


      「ドラえもん」をまともに見たり読んだりしていない身で申し上げるのは些か気が引けますが、それは「権力側の白人の保安官」というよりは「ジャイアン」という比喩がやや妥当ではないかと思うに至りました。アメリカ在住ジャイアンというか、映画ジャイアンというか。


     とはいえ、「ジャイアンだからしょうがねえ」という訳にはいきませんので、ジャイアンに見立て直した格好で、前述の通り、最終的なアンサーをさせて頂きます。お願いですから返信しないで下さい。ワタシにはこれを訴える権利がある!!(笑)

     

     以下、前回と同じく、全文引用で返信させて頂きますが、

     

     せっかく紳士的に書いたのに「町山さん、昔は仕掛けるときそんな口調じゃなかった癖にさ!(笑)ちょっと見ない間に、すっかりもう!!(笑)」ときやがった。


     わかったよ、なら、昔通りの言葉遣いでやったろうじゃねえか。


     オラァ! きくちなるあな!


     読めねえ名前親につけられてんじゃねえよ!


    これでどうだ!

     

     大変素晴らしいです(拍手)。しかしワタシは、既に積年に渡って「なるあな」の「あな」だけでなく、菊地の「菊」と「なるよし」の「孔」がセットで肛門性愛ならびに同性愛の象徴を名前に含んでいる(興奮して、肛門性愛や同性愛に無関係と思える「地」や「成」までもみんなそうだー!というけなげな学童もいました)という、非常に良く出来た揶揄を、受け続けておりますので(笑)、いまさら半分だけをやられて「これでどうだ!(ジャイアンの声で)」と言われてましても、同世代として、残念壮年パワーダウンしか感じません(笑・勿論、お手柔らかにして頂いているというのは承知しております)。


     ただ、ワタシは大変な成シシストで、自分の名前がかなり気に入っておりまして、ハンドルネームやペンネームを持った事も無く、ほとんど総ての仕事をこの名で行っておりますし、10年以上前に死んだオヤジは出来が悪く、ご存知の通り親は選べない訳ですが、「この名前だけはよくやったわ」と墓石を爪先で蹴りながらも褒めてやっています(笑)。


     そして一方、町山さんのお名前は日本人ならば誰も読み間違えがないであろう完璧なものだと思われますが、「まちやま」という音は、非常に発音しずらいです(どなたもが内心で感じていると思いますが)。 


     「ち」と「や」が拗音として結合しやすいので(リエゾンですね)「まちゃま」となりやすいのを必死でこらえ「ま/ち/や/ま」といわねばなりません。類例を挙げるなら「小森のおばちゃま」を「小森のお/ば/ち/や/ま」と言わされるようなもので、読者にとって、コレはもう拷問です。 


     ですので、以下、二人称を全て「まちゃ」にして進めさせて頂きます。

     

    菊地さんがジャズを愛してるように、オイラも映画を愛してるし、この『セッション』という映画が大好きだから、1万6千字も使って口汚く罵倒されて、「菊地さんの批判を読んで観ないことにした」なんてツイートまであったから頭にきたんだよ! 


    この小さい映画を守りたかったんだよ!

     

     一見、大変感動的な、男泣きの正義感ですが(笑)、ミスリードだらけです。

     

    1)まちゃは以前、ワタシが大好きな映画を、ボロカスに貶したことがありますが、ワタシは立ち上がりませんでした。「立ち上がるか、立ち上がらないかは自由だろ」とおっしゃるかも知れませんが、立ち上がった際のリスクは負っていただきます。ましてや、立ち上がったことを自分の方から英雄的にミスリードするというのはジャイアンとはいえ、いけ図々しいですな。 


    2)まちゃまちゃとは違って、ワタシは悪罵の強度は文字数とは関係ないと思います。ワタシは量で圧倒出来る等といったマッチョな志向はありません。単に、自分の思考を丁寧に述べているだけなのですが、ネットによる読解力の低下は、テクノロジーがもたらす、あらゆる基礎能力の低下(電話番号が憶えられなくなるとか等々)が人民全員に行き渡った結果でしょう。そんな物好きはいないと思いますが「もっと長く書け」と言われれば、書けないでも無い程度にはセーブして書いています。これでも。


    そして、悪意、呪詛といった陰性の感情は、ツイッターの140文字に限定しても、あるいはほんの一瞥にも似た数文字であろうとも、寸鉄釘を刺し、相手の記憶から一生なくならない強烈な悪罵となる可能性があると思います。むしろ、ツィッター以降の世界では、人民は長文読解能力を失い、長文は陰性感情と共に読んでももらえない。というハンディキャプがあります。「1万6000ものもの文字も費やして!!!!!」という物言いは、まちゃ様も使いましたし、ヤフーニュースの記者(?)も使いましたが、それは「いやあ、いっぱい書いて、立派だなあ。素晴らしい」という意味ではありません。


    「ネットに於ける平均的な文字数」というのを、ワタシは知りませんし、そんなモン知りたくもありません。ワタシがアウェイであり、すなわち弱者である。とする根拠の一つです。

     

     そして、これが一番最強に悪質なので、即刻撤回して頂きたいのは

     

        「菊地はジャズを愛し、町山は映画を愛している」


     という、物を知らないバカにばかりわかり易い、雑なマッチメイクです。


     ワタシは勿論ジャズのみならず、音楽総体を愛している音楽原理主義者ですが、映画も愛しています。


     ワタシは二つの映画館に挟まれた飲み屋の倅で、ワタシが店で泣くと、母親が映画館に逃げ込みました。泣き止むからです。そういうわけで1歳から映画館で毎日映画を見ました。音楽家の中では、最も映画や文学とのインターテクチャリティが高い部類に入ると思っています。

     

     マイメンまちゃクンは、論戦を仕掛けるには、相手の事を余りに知らな過ぎ(「知って欲しい」と言っているのではありません)、そのまま突っ走って、ワタシの事を知らぬ人々(それはつまり、ほとんどの人。ですが・笑)と共に興奮しているだけだと思われます。 


     そしてまっちゃんは、ワタシの事を殆ど知らないのに、ワタシの「影響力」についてだけは、後の引用部分にあるように、自信満々で確証されています。


     「菊地と町山はどっちが影響力があるか?」等といった、計測不可能な水掛け論は、取りあえず脇に置いておくとして、重要なのは、まちゃジャイアンの行動規範は、「他者を、<どのぐらいの影響力があるか?>を基準に評価し、そのまま行動に出てしまう」という、権威主義+軽率さが見て取れます。ワタシのことを「ジャズをやってるインテリで、若い人々に絶大な影響力がある、プロレス好きの大学の先生」ぐらいに査定されているのでは?


     ああ、たしかにオイラは菊地さんが『ハッスル&フロウ』についてデタラメ書いた原稿読んで、ファースト・インプレッションで「うさんくせえ!」って思ったよ! 


    いや、違うな。正直言うと、謎だった。


     もし映画を観てないとしてもポスターやスチルや予告で人種はわかるはずだし、ゲラを見れば編集者が気づくはずだから、こんなデタラメが掲載された理由がどう考えてもわからなくて、ずっとモヤモヤしてたから、真相を知りたかったんだよ! だけど、今回、やっとわかってスッキリしたぜ!


     何であれスッキリされたのであれば幸いですが(笑)、前述の通り、その事は、「セッション!」を巡るワタシの言説、ならびにマチャ殿の批評活動に、どういった関係があるのでしょうか?過去の狼藉の公表によって、相手の価値を落とそうとするのは、率直に謎だったから知りたかったのだ、としても、ブラックジャーナリズムもしくはネットによるバッシングの類いではないでしょうか?


     ワタシは「とにかくこいつ(その女性)に無茶苦茶な解答をして嫌な目に遭わせてやれ」と思ったんです。


     え? 担当者に対する嫌がらせでウソ書いたって? 


     よく読んで頂きたいんですが(笑)、編集担当者では無く、コンシェルジュ企画への依頼主です。 


     本人深く反省しているとはいえ、それって、映画観ないで適当に書くよりもずっとヒドくね?


     勿論です。酷い事をしようと思い、実行しました。深く反省しておりますし、それ相応のペナルティも受けていると思っています。しかし、しつこいようですが、まちゃには関係ないでしょう。悪いことをした奴は、義憤によって好きな時に誰もが好きな様に撃って良いのでしょうか?


     っていうか、そんなんでいいんだったらワタシもちょいと撃ちましょうか?(笑)


     そんな悪い奴のくせに、菊地さんの反論とやらは弱者ぶりっこ、被害者ぶりっこしすぎだよ!


     反論「とやら」という表現は、自然に口から出ただけに罪も無いとはいえ、論的に向かってかなり無礼であると思いますが(笑)、それは兎も角、「悪い奴」なのに「弱者ぶりっこ、被害者ぶりっこしすぎ」というのは、一回捻じれているとおもいます。


     「悪い奴」が強者であり、加害者であるならば、「なのに弱者ぶること」は悪事でしょうが、ワタシは、女子プロ女芸人と同姓同名のまちゃまちゃに、だしぬけに公表され、評判を落とすような「恥ずべき行為」をした訳ですので、「悪い奴」である事は認めますが、むしろここでは「弱者」であり「被害者」であっても、強者でも加害者でもありませんし、余談ながら「ぶりっこ」は、かなりキツい死語だと思いますので、自分がそんな振る舞いをしているとは思いたくありません(笑)。

     

    要するにワタシはマイノリティであって、そんな「潰そうとしている」等と、お戯れは御勘弁願いたいですし(笑)、町山さんともあろう方が信者の私兵化、もしくはそれの容認をなさる様な悪漢とはガチで思いませんが、そうではなくとも、弱い者苛めは勘弁して頂きたいです。それとも、アメリカにいる間に、アメリカみたいになられましたか?(笑)

     

     それどころかオイラを「権威」だの「権力」だの「ナチ」だの「人種差別」だの。どうして菊地さんの映画評に異議示したら人種差別なの? いったい何人種だよ!

     

     文章が錯乱気味なまでに良い調子なので、勢いは伝わりますが、申し訳ありませんがこのフレーズは意味不明です。ワタシが町山さんを権威だと思う理由、人種差別的=アメリカ的なやり口だと思うかの根拠は、前述のコチラに、自分なりに明確に示しているつもりですのでお読み頂きたく思います。

     

    オイラは菊地さんをさらしものにしようとしたんじゃなくて、

     

    大変なさらしものだと思いますよ。安く見積もっても(笑)。もうワタシ、野次馬から「毒舌ブロガー」認定されてますし(苦笑)。

     

     菊地さんの酷評で観るのをやめようとしてるお客さんに考え直してほしいから公に反論したんだよ。

     

     これまた感動的ですが、ええとこれは、目的のためなら手段を択ばない。と公言しているのと一緒だと思うのですが(笑)、それで良いのでしょうか?(笑)


     その場合、「自分が好きな映画を貶されたら、どんな手を使ってでもそいつを攻撃して、観に行かせるように誘導して良い」は、自動的にイコール「自分が嫌いな映画を誰かが褒めたら、どんな手を使ってでもそいつを攻撃して、観に行かないようにさせるように誘導して良い」という事になり、これはいずれも過剰防衛です(アメリカ化)。 


     ネット批評の場はフラットかつフライングであり、誰もが「オレはこれ嫌い」「オレはこれ好き」と発言する事は原理的に止められません。


     なので、全員に好きに言わせておけば良い、読みたくなければネットを読まなければ良いし、読むなら、そういった賛否両論を自分で判断して動けば良い。というのがワタシの考えですし、そこに介入し、誰かの意見を封殺しようとするのは、「好きな物を守りたい」といえば泣かせる話ですが、相手を暴徒と看做し、しかも治安の維持を許された立場の振る舞いだと思います。これが「権力志向」の指摘根拠です。

     

    菊地さんは「アメリカン・スナイパー」について書いたらオイラのファンらしき人に突撃されたというけど、

     
     程度の問題ですが「突撃」はされていません(笑)「町山さんと真っ向から意見が違いますねww」とほのめかされただけです。

     

     そもそもオイラ、菊地さんの『アメ・スパ』論知らないし、それについて何も言ってないよ。



     それでしたら大いに結構ですが、しかし、でしたら ↓

     

     けど、「まったく関知せぬこととはいえ、ウチの若いもんがご迷惑おかけしました」と詫びようとして、

     

    んな行動↑は全く必要ないと思いますが、というか「ウチの若いもん」が、やっぱいるんですか(笑・すみません冗談です。興奮して人格が演舞的になられているのはわかっています)。

     

    菊地さんのリンク先を読んだら、若干一名がメールしてきたってだけじゃん!

     

     いや1通ではありません。3通来ておりますし、ここは重々理解して頂きたいのですが、ワタシは二次元だけの話をしているのではありません、ワタシの半身以上は3次元にいます。


     飲み屋だのあちこちで「喧嘩売ってるねえ」とか「町山、菊地論争みたいよ~(舌なめずり)」とか直接言われただけです(実際にそうなりましたが・笑)。ワタシが申告したのはSNSではなく(ワタシはSNSはやりません)、ファンメールアドレスのことなので、そこが誤解の原因だと思われます。世の中SNSだけではありません。


    それっぽちで「信者の私兵化」なの?


    どんだけ大げさなんだよ!

     

     数段落前に、ご自分で「町山さんともあろう方が信者の私兵化、もしくはそれの容認をなさる様な悪漢とはガチで思いませんが、そうではなくとも、弱い者苛めは勘弁して頂きたいです」という、ワタシの文章をコピペなさったのをお忘れですか(笑)。


     そして、「結果として」ですが、全く大げさではありません。今やヤフーのトップニュースで狂犬あつかいですよ。誰がしゃしゃり出てきたおかげですか(笑)。


     俺なんかもっと凄い量の嫌がらせをもらってますよ(自業自得)。


     まちゃクン。それはしょうがないよ(笑)。


     でも、まあ、これから迷惑かかると嫌だから、菊地さんへの反論ブログにリンクするツイートは削除したけどね。


      ↑これは本当に申し訳ない。ワタシはSNSをやらないので、こういった行為(用語)の意義や意味が理解出来ません。


     また、「迷惑かかると嫌だから」とありますが、再び「結果として」ですが、大迷惑です。ワタシのメールボックスは、久しぶりで大火事に成っておりまして。ヤフーニュースというのは凄いなあと思うばかりです(笑)。


      そもそも、オイラが本当に権威だったら、どうして頭の先から足の先まで着てる洋服代を全部足しても1万円超えないんだよ。どうして10年前のジーンズメイトのスウェット着てるんだよ! 


     下町風のギャグに野暮な突っ込みはしたくありませんが、ワタシが言っているのは批評権威の事です(笑)。吉本隆明は大変な貧乏でした。

     

      どうして映画会社から一度もお中元もお歳暮ももらったことないんだよ!


     それは確かに遺憾ですね!!!(笑)。ざけんな映画会社!!今すぐ俺のまちゃクンにお中元とお歳暮を同時に送れ!!


     どうして映画会社は一度もお中元もお歳暮も寄越さないんだよ!そもそも人生でお中元やお歳暮もらったことないよ!てか誰か送れよ!


     それほどお望みならばワタシがお送りしますので(笑)住所と、ご所望の物を書いてメールください。


      何が「権力側」だよ。どうして『セッション』をかばったら権力側なの?


     「かばう」も何も、世界中がまちゃ兵衛と共にイエスですよ。ノーは少数派です。 


    たしかに世界中の映画賞を獲得して、批評家にも絶賛されてますよ。でも、それは権力じゃなくて、いい作品だと評価されただけだよ! 


     勿論そうです。改めて言うのもどうかと思いますが、ワタシの話は総て例え話であって、でないと、「実際の権力者が作った映画」が存在することになります(笑)。


     過度な絶賛の集中は、はっきりと権力です。なぜなら悪評をサイレント封殺するので。アメリカ人ジャズメンの「セッション!」への、ワタシどころではない悪罵は、日本では全く紹介されません。


     「リュミエール」が批評権力だと思われた事はありませんか?「リュミエール」は、常に正しい評価をして、誰の口も重くしていなかった。とお思いですか?「カイエ」はどうですか?「キネマ旬報」は?「映画秘宝」は?


     それに、オイラのことばかり「権威になった」というけど、菊地さんもすでに権威でしょ。マイノリティだの弱者ぶんなよ!


     ジャズが音楽界でどれだけマイノリティか、ロックンロールを愛するまちゃま様にはご存じないでしょうし、批評家としてのワタシがどれだけ手ひどい批判を浴びているかもご存じないと思います。ネチズンがちょっと動くぐらいで


    ワタシを強者扱いするのは止めて下さい(笑)。


     菊地さんは自分には映画を潰すような影響力はないと言うけど、『セッション』は菊地さんに比べると本当に小さな映画なんだよ!


     ワタシ個人を映画一本とを当社比で直接比較されても困るのですが(笑)どんだけワタシが影響力のある大物だと査定されれば気が済むのですか(笑)。根拠を出して下さい。ワタシの悪評に、作品を見もしないで、「観に行かない」と表明した純朴なネチズンが10人とか(推測ですが)いただけでしょう。「どんだけ大袈裟なんだよっ!!」というセリフはそっくりそのままお返ししますし、Mr.まちゃ氏だって、過去、ワタシの数百倍の影響力で、観客の鑑賞意欲を奪ったり、与えたり自由自在になさってきたのではないですか?歳暮も中元もジーンズメイトも笑わせながらミスリードじゃないですか(笑)。


      相手が『トランスフォーマー』みたいな大資本が作った大作ならたしかに批評なんか影響ない。製作費100億円以上で日本での目標興行収入40億円、全国600スクリーンで一斉公開、動員目標250万人、宣伝費15千万円以上だから。 


    仰る通りです(実数値は全く分りませんが)


    けど、『セッション』の規模ははるかに小さいの。そもそも若干28歳の監督が手弁当で作った超低予算4億円のインデペンデント映画ですよ。日本で配給するのは倒産して木下工務店の社長の酔狂で救われたGAGAだよ。いくら賞を獲ったといっても、日本での興行収入の最終目標はせいぜい2億円ですよ。


    計算いろいろ違ってるかもしれないけど、『セッション』の目標動員数はだいたい12万人ていどだと思いますよ。最初は180席以下の小劇場20スクリーンで公開だから。


    しかも興収の半分は劇場が持っていくから、宣伝費は1200万円以上のはずがない。それでスタッフの給料も払います。東京の民放のTVスポットは深夜でも一本40万円するから、ほとんど買えない。


    動員目標がこのくらいの映画だと批評や口コミ、それこそちょっとしたツイートまでが本当に大きく興行を左右する。

     

     繰り返しますが、ワタシは映画業界の、興収を始めとした実数に関して知るほど経験がないので、その点は理解しかねますが、大筋は仰る通りだと思います。


     ですが、だったら、ネットの批評行為自体を、ある日一斉に止めない限り、治安は守れません。マーチャンダイジングのここまでのロジックは、「まちゃ君の好きな映画は邪魔しちゃいけない」以上でも以下でもないように思えるのですが。


     「セッション!」は小規模ながら世界的な支持を受け、「セッション!」と同じアカデミー賞ノミニーなのに、日本では公開の予定さえない「セルマ」なんか吹き飛ばして(ファックですよ。「セルマ」こそ、守ってあげて下さいよ)、ナノユニヴァースがコラボして、各地の駅前のビジョン式看板で流れっぱなし、公式サイトは各界(ジャズ界除く)著名人の絶賛コメントがずらり。


     弱者ぶんじゃねえよ!!!(笑)


     ってか、自分が好きな作品だってだけだろ!!(笑)

     

     特に『セッション』のお客さんのコアになる音楽好きな人たち


     なんか、情動が奔流して、トーンがすり替わっちゃってるのがグダグダだと思うんですが(笑)、どの口でこんな事おっしゃいますか(笑)。「ジャズは単なる道具」だってご自分でも仰っていたじゃないですか(笑)。あの映画はいくらなんでも「音楽好きがコアな鑑賞層」ではないでしょう(笑)。ハラスメント好きですよ。

     

    に対する菊地成孔の影響力は、俺なんかよりもずっと大きいの!『バードマン』で主人公の芝居を酷評しようとした演劇批評家いたけど、音楽好きにとっては同じような影響力はあるの! 


    無いですよ(笑)。まちゃ坊や齋藤工さんとか、あの超カッコ良いロックのドラマーの人とかが褒め称えれば、ワタシのいうことなんか、ジャズというマイノリティのオッサンのヒステリー扱いですよ(笑)。


     っていうか、ワタシは「バードマン」の応援者ですので、その演劇批評家の名前を教えて下さい(冗談です!教えないで下さい!!笑)


     <音楽好きで映画好きな方へ>


     そんなに言うのならワタシに影響されて下さい。「はじまりのうた」と「バードマン」を観て何も感じない音楽好きは不感症が過ぎると思います。


     「気に入らない映画を批判するのは自由のはずだ」と思うだろうけど、オイラも、菊地さんの酷評が公開日の417日以降に発表されたのなら、別に黙ってましたよ。でも、菊地さんは公開の一週間以上前に1万6千字も使って徹底的に叩いたでしょ。試写かDVDで配給会社に見せてもらったから。


     というのは、劇場公開が決まっている映画をメディアで酷評する際、それを発表するのは公開日当日以降、理想的には公開最初の週末以降、という暗黙のルールみたいなものがあるんですよ。映画批評で食ってる人の世界には。


    それは明文化されてもないし、そういう話し合いがあるわけでもない。ましてや破っても処罰があるわけでもない。自分も含めてみんな時々破ってしまうけど、映画批評を生業にしている者たちは、最低の仁義として守ろうとしているの。


    だから宇多丸くんや柳下毅一郎くんや井筒監督は徹底的に映画を批判するけど、公開後に自腹で観て、公開後に発表することにしている。菊地さんは「俺は、そんなルール、関係ないし、知ったこっちゃねえ」と言うだろうけど。


     言わないですよ(笑)。何かゴールデン街みたいに成って来たなあ(笑)。


     ルールに関しては、本当に(おとぼけではなく)知りませんでした。<公開前の好評>をよく読むので。


     というか、映画界って凄くやさしいのですね〜。音楽界は<発売前にサンプル盤聴いただけのーー聴いてすらいないかもしれないーージャケットも見ていない批評家にボロカス書かれる>のが普通の世界です。甘くないすか?映画?(とか言っちゃって・笑)


     そのルールにはいくつかの理由があるけど、まず、単純に試写などでタダで見せてもらいながら公開前に酷評して興行に悪影響及ぼすのは仁義にもとるからというのがひとつ。


     素人に仁義をご教示くださって有り難い限りですが、それだったらネット上での論戦にも仁義や倫理がある筈です。ないでしょ?仁義なき闘いでしょネットは。ワタシは自分なりに倫理は持ってるつもりですが。


     それに、映画を批評する人たちは、好きじゃない映画を批判したくても、映画がコケることを望んでいるわけじゃないから。


     あったかいなあ〜。あたかいんだから〜。ホントすかそれ?ってか、飲んでないすか?(笑)


     観客の邪魔をするのは望んでないから。映画の内容は配給や宣伝の人たちの責任ではないから、彼らに迷惑かけたくないから。映画観客が減り、映画業界が衰退するのは望んでいないから。


     菊地さんが酷評を発表したのは、まだ一般の人が観れない時期で、口コミもなく、情報も限られているから、ものすごい先入観を与えてしまう。動員への影響も大きいし、観客に色眼鏡をかけてしまう。


     素朴な疑問なんですが、「公式サイトの絶賛」は、「色眼鏡」にならないんですか?

     

     「菊地がそんなにヒドイと言うなら観ないという人だけじゃなく、だからこそ観てやろうという人もいるはずだ」と言うけれど、お客さんには、そんなネガティヴな先入観なしで、ワクワクと期待して観に行ってほしかった。この『セッション』という映画が好きだから。


     素朴な質問ですが「公式サイトの絶賛」は「先入観」にならないんですか?


     でないと、「映画自体が衰退産業なんだから、全映画人、批評家が守っていかなければならない」と言っている様に聞こえます。繰り返しますけど、もしそうだとしたら、マー君、自分が大嫌いな映画も、嫌いながら守って来たのね?今までずっと?少なくとも8年前から。としましょうか(それで数的にはアイコになるので)


     そんななんすか?映画界って?


     手前味噌はいけませんが、音楽界だってそうですよ。「ただ聴き」されちゃう「違法ダウンロード/コピー」されちゃう率。では、映画界に負けない自信があります!!(笑)


     批評家ぜんぜん守ってくれないですよ!!(笑)


     良いなあ映画界!!!!(笑)


     っていうかそんなピュアな事、いまどき保存出来ると、本気で思われますか?(笑)ネットなんて、情報ノイズのたまり場じゃないですか。


      なにしろ、アートシアターや単館が次々に閉館し、インデペンデントの配給会社が次々に潰れ、このままでは小品はみんなDVDスルーになってしまう事態が迫っているから。


     菊地さんからは「仁義守れとかヤクザかよ! 映画業界守れとか保安官のつもりかよ!」と言われるだろうな。


     これは言いますね(笑)。ただし、仁義を守る事も、産業を守る事も悪事の訳は無いです。もし守るべきものと仁義があるというのなら、首尾一貫して頂きたいですし、そんなんだったら、何はなくとも一番最初に言って欲しかったです。「仁義」を「後だしジャンケン」に使ってはいけないと思うんですが。


     そりゃ、菊地さんは、映画業界の事情なんか関係ないし、試写かDVDで見せてもらったとはいえ、原稿をボツにされて口をふさがれた感じだから宣伝担当者にも義理なんかないぜと思ってるだろうけど。


     言いがかりだ!!(笑)皆さん!!まちゃるちゃんは人の口を借りて好きな事を言い放題に言っています!!


      ワタシは「セッション!」配給の方からオファーを頂いて、褒めたくて頑張って書いたんですよ。でも無理だったんですよ(笑)。ですから、一番最初の酷評時に「配給会社の方に落ち度はありません」とはっきり書いてあります。ワタシの文章を、ちゃんと、全部、読んで下さい。反論するなら。


      ていうか、菊地さんに原稿を依頼した配給会社か宣伝会社は、たとえ原稿をボツにしても、菊地さんにはギャラだけは払ったよね? 


     1円も頂いてないです。ワタシの文章を、ちゃんと、全部、読んで下(以下略)。


     「すみません。素晴らしい原稿ですが、残念ながら掲載できません。でも、それはあくまでこちらの都合ですので、お忙しいところ、映画をご覧いただき、原稿を書いていただいたのですから、原稿料はお支払いさせていただきます」と言って、


     うわー、配給会社の人にもやり方教え始めちゃったよ!!(笑)


     たとえ彼が「ボツにするなら稿料はいらない」と固辞したとしても、お詫び代でもあるんだから黙って払っておかないと、ネガティヴ・キャンペーンの種を自ら撒いたことになる。せっかく書いた原稿がボツにされて、相手は頭にきてるんだから。


     ワタシは映画自体にはアタマに来ていますが、配給会社の方にはまったくアタマに来ていません(笑)。「力及ばず、申し訳ありませんでした」と伝え、文章には「配給会社の方の落ち度ではありません」と明言しています。ワタシの文章(以下同文)


     さらに、念のために「申し訳ありませんが、この批判文の発表は、せめて公開日までお待ちいただけませんか」と深くお願いして約束をしてもらっておくといい。そのルールを知らない人も多いから。


     っていうか、ここはガチだから名前ちゃんと呼ぶけど町山さんね。ワタシ、配給会社の方と全く揉めてないんですよ。クレームの一文字も頂いてないです。「ネガティヴキャンペーンで助かったろ。へーん」とか、上から物言う気なんか全くありません(笑)、ありませんが、町山さんがね、こんな事力説したら、何にも知らない人が、ワタシと配給会社が揉めてるとでも思っちゃう訳。そういうのをミスリードって言うの。


     悪気が無いのは分ってるの。あなたは侠気のある良い人ですよ。ワタシのが幾分、悪人かもね。育ちが悪いんで。


     でも、あなたが興奮してる瞬間は気をつけて下さいよ。いくらジーンズメイトのジャージ100年間着ててもね。興奮してる時間ってのは、言ってみれば自己陶酔してる訳だから、二次被害に気がつかない事が多いんですよ。お願いですから、胸に手を当ててみて下さい。


     ワタシは稿料を頂いてないので、原稿は私物であり、いつなんどきネットに乗せても良いと考え、アップして配給会社の方からクレームが来たら即刻削除するつもりでした。でもクレームはないです。


     あったのは保安官からの掟の教示だけですよ。


     掟は良くわかりました。二度と公開前の映画の事は書きません。でもそれは、映画産業からの警告に従ったのでも、配給会社のクレームを受けたのでもなく、あなたに諭されたからですからね。一対一の関係です。一生責任とって下さいね。「仁義」を口にした者が負う責任は、任侠の世界だけではなく、でかいですよ。


     町山さん、基本、無責任なんですよ。アメリカにいてこっちの現場に口挟むから。「仁義」「ルール」の強調は、その補償行為ですよ。

     

     さて、ここからが本題。


     要するにオイラは映画を守ろうとして、菊地さんはジャズを守ろうとした。


     だから勝手に要するなよジャイアン!!(笑)オイラだって映画が守りたいんだよ!!!!!(笑)


     これは永遠に平行線でしかないのか。


     ジャイアンの声で、ジャイアンが腕組みして「これは永遠に平行線でしかないのか」って言われてもさあ(笑)。


     ワタシも映画を愛しているの。それでもセッション!は大嫌いです。映画産業が衰退していようと、小さな規模から頑張ってここまで来ようと、嫌いな物は嫌いなのよ。町山さんは「映画が好きなら、必ずセッション!も好きだ」としていることにお気づきではないですか?それは大変な権力志向だと思いますが。


     菊地さんが「妄執のエイハブ船長みたいな16千字」で、『セッション』に寄せられた膨大な讃辞と戦って守ろうとしたものは何か。


     こちらからできるだけ菊地さんの立場に歩み寄って考えてみた。


     419日付の「町山さんにアンサーさせて頂きます(長文注意)」を読んだとき、ハッと気づいた。菊地さんの気持ちに。


     この段階でですか(笑)。過去の狼藉出すときに、気づいてはくれなかったんですね(笑)。


     菊地さんの最初の『セッション』酷評の要点を箇条書きにしたが、そこに「核心に迫る」ポイントが抜けている、と菊地さんは憤慨している。


     「この映画は最初に一発キツいのを入れるだけのワンパン映画である」を入れて下さると有り難いです。あれは単なる趣向を超えた、あの文章の核心に迫る重要な事ですし、そもそもタイトルにした「パンチ・ドランキング・ラヴ(レス)」の元になっています。


     そうか。「ワンパン映画」「パンチ・ドランキング・ラヴ(レス)」つまり菊地さんは『セッション』をパンチに例えている。オイラも推薦文で「ジャズの皮をかぶった格闘技映画! 10分間のファイナル・バウトに観客総シャドウボクシング」と書いた。その点では実は一致していたのだ。だが、オイラがクライマックスを『ロッキー』でのロッキーとアポロの殴り合いの果ての友情に例えると、菊地さんは「同一化リーディング」すべきでないと否定した。つまり、オイラは音楽をパンチの代わりに使ってもいいと思っているが、菊地さんはそう思ってないのだ。


     いや、ワタシは、「あのパンチは何に使うにしたって酷い」と思っているだけです。音楽をパンチに使ったって良いですよ。良いパンチなら。

     

     ここから以降は絶対に『セッション』をご覧になった後でお読みください


     無理だよそんなの(笑)。町山さん無邪気過ぎますよネットに対して。痛い目にも遭っておられる筈だと言うのに。ネットは法規制した方が良いです。「表現の自由」なんか失われないですよ。そんなことでは。 


      オイラは、クライマックスを、アンドリューとフレッチャー先生という音楽に傷ついた者同士が、音楽で殴り合った末に和解し、音楽で救われると捉えた.


     菊地さんは「ミュージック・マジックによって過去の傷を癒し、力強く再生し、音楽に感謝する、なんて物語は大大大好物なんですよ」と言いながら、『セッション』は画面上、ストーリー上ではそうだろうが、心がそう感じられなかった、と否定する。


     エンディングへの流れは、「ただ単に、<感動的な物語>の形式を踏んでいるだけで、こちらに移入させ、泣かせる感じがまったくしなかった」です。


     つまり、記号やベクトルに、上手く誘導してもらえなかった。物語は万能ではない。


     では、何が足りなかったのか。


      菊地さんは最初の酷評ではアンドリューを「手が早ければいいと思ってる」「リズム音痴のガキ」と罵倒し、フレッチャー先生を「中の上」ていどとこき下ろし、

     

     正しくは「中の下」です(笑)。「中の上」だったら良いじゃん普通(笑)ワタ(以下略)

     

     監督を「ジャズ素人」と書き、


     書いてない(笑)。ジャズ素人か玄人かはどうでも良いけど(わかんないけど)、とにかく考証はメチャクチャだ(大意)と書いただけです。


     あのう、ワタシの「アメリカンスナイパー」評に対して「事実誤認が多い」と仰る方がいたらしいですが、皆さんが心酔なさっておられる町山先生は、こんな感じですよ(笑)。

     

     考証の間違いをあげつらって嘲っているので、「ジャズ素人」の自分は最初、それに反発し、「ジャズ・リテラシーがないとわからないってのかよ。そんなの関係ねえ」と思った。菊地さんが演奏テクやディテールの間違いを批判するのは、自分が批判している「二流のクラシック」としてのジャズ教育と同じじゃないかと。


     しかし、菊地さんがジャズに求めるものはそれではなかった。彼の本当の主張はやはりタイトルに堂々と表明されていたのだ。


    「パンチドランク・ラヴ(レス)」と。


     つまり、「『セッション』は強烈なパンチだけで、ラヴ(愛)がない」と言っている。そこが本当のポイントだったのだ。


     それなのに、自分はジャズ・リテラシーへの反発と好きな映画をけなされたムカつきと、菊地さんのフリー・ジャズ的な文体のせいで、それが見えなくなっていたのだ。

     

     町山さんのお仕事は「映画理解にリテラシーを上げる事」じゃないんですか?てっきり兄貴的なスタイルの啓蒙者だと思っていたんですが。それに、ワタシは演奏のスタイルとしてフリージャズ的に成る事はありますが、文章はスティッキー(粘っこい)なだけで、明快です。職業文筆家の文体をフリージャズ扱いしないで下さい(笑)菓子ばっかり喰ってるガキがそうだそうだと言って喜ぶだけです。

      

     菊地さんの酷評は、「愛」がキーワードになっていて、あちこちに出てくる。たとえば高校のビッグバンド部を描く『スイング・ガールズ』についてこう書いている。


    「へたっぴでも、コンテストの結果がどうであろうとも、音楽は素晴らしいんだ。合奏という行為は、音楽愛、友愛、恋愛、性愛をも悠々と含んだ、愛の行為なのだ。<みんなで頑張る>という行為は、愛によってのみ駆動するのだ」という、音楽を扱う上での最低限の要所をしっかりおさえています。


     大事なことなので二度引用すると、「合奏という行為は(中略)愛の行為なんだ。〈みんなで頑張る〉という行為は、愛によってのみ駆動するのだ」それが「音楽を扱う上での最低限の要所」だということ。


     これでやっと雲が晴れたようにわかった。『セッション』のクライマックスが、なぜ、物語上は音楽による和解なのに、そう感じられないのか。

     

     もしワタシの文章がフリージャズだとしたら、ですが、それは完璧なアブストラクトであって、こんなに分り易くないと思います。何回か読んで(聴いて)、ハッと分るんだったら、そんなもんアブストラクトでも前衛でもないです。


     菊地さんの酷評に影響された人がけっこうツイッターなどで得意気に「ジャズとしてはダメ」とか書いているが、それは大変な勘違いだ。


     いやいやいやいや(笑)。ワタシの影響なんかじゃなく、ジャズの芯が喰えてる人なら、少なくともあの映画の中の演奏はダメだと思うと思いますよ。強引に持ってくよね〜(笑)。


     『スイング・ガールズ』評で「へたっぴでもいい」と言っている菊地さんは巧拙やクオリティを問題にしていないのだ。


     では、菊地さんが『セッション』に足りないと言いたかったのは何か。


     音楽への愛とアンサンブルなのだ(バンドだからね)。


      その通りですよ。「セッション!」という日本語タイトルは、基本的に間違っている上に、意図的かどうか、別の含意が入っちゃってる(主人公2人の、ハラスメントによる精神分析/洗脳/憎悪のセッション)。というのは、最初の批評に書いてあります。

      

     菊地さんは、ビッグバンド指揮者によるすさまじいハラスメント経験と、本番での素晴らしいアンサンブルによるグルーヴの至福の体験を語り、「それが音楽の、正常な力なのです」と書いている。オイラが「それと同じことが『セッション』のラストでも起こるのでは?」と書いたら、菊地さんは「違います」と否定した。


     そう、まったく違う(自爆)。

     

     マジで飲んでないすか?(笑)すっごい楽しそうなんですけど(笑)。


     『セッション』では、アンドリューとプレイヤーたちの心はまったく結びつかない。演奏家たちの相互作用によるグルーヴも作られない。しかもそのソロも怒りをぶつけただけ。大事な聴衆は見えていない(映らない)。彼にとって音楽は人をつなぐものではなく、依然として人を傷つける武器のまま。真剣勝負の格闘技なら勝ち負けだからそれでもいい。でも、音楽はパンチじゃない。


     これは『クロスロード』のクライマックスの問題点とも同じだ。


     ブルース・ギタリストを目指す主人公がギター・バトルをするのだが、最後はパガニーニの速弾きで勝つ。最初観た時は「ロックよりクラシックが偉いって結論かよ!」と憤慨したが、もうひとつの問題は、音楽には勝ちも負けもないし、本当に大事なのはテクニックよりも、客をも含めたグルーヴとかノリとかソウルとかスピリットということ。

     

     なんでいきなり正しく成るんですか(笑)


     ところがフレッチャー先生は速く叩くことを教え、アンドリューも速く叩いて、ねじ伏せられたフレッチャーは負けたよ、と微笑んでフィニッシュ。アンドリューも微笑む。それは怒りを昇華した笑顔ではなく復讐を達成した笑顔だ。だから菊地さんはこの音楽はパンチにすぎないと感じた。


     プロレスは格闘技ではないから勝負は重要ではない。一人だけが一方的に相手を潰してもプロレスにはならない。相手を輝かせて自分も輝くことではじめてスイングする。音楽もそう。


     『セッション』が最後にソロではなく、アンサンブルでバンドの一体感を出せたなら、たとえソロでも、殺気ではなく、菊地さんのいう音楽の「祝福」感がそのプレイにあれば、演奏の巧拙や質にたとえ問題あっても、菊地さん言う「音楽を扱う上での最低限の要素」を押さえられたかもしれない。


     ただ、そうするためには、主人公が音楽が楽しみ、楽しませるものだと気づく展開が必要になる。そのためには、後半の脚本の構造を根本的に変えないとならない。それが菊地さんの言う「どんでん返し」で「構造的に愛が混入している」ジャズ映画ということだろうか。


     でも、監督が主人公が変わらない結末を選んだのは、ジャズ・ドラマーの夢に挫けて、菊地さんが推測するように「まだ本当に音楽に救われてないから」かもしれない。でも、演奏家になりたくてなれなかった監督を、演奏家になれた菊地さんが、そう評するのはちょっと残酷だとは思う。音楽で傷ついた監督が音楽で救われてない映画を作ったなら、それを叩くよりも救ってあげて欲しかった。


     無理だよそんなこと!!(笑)


     ただ、ワタシは最初の批評で「監督にはダーレン・アレノフスキと同じ様に、転向の余地を与える」と書きました。転向の余地をあたえる。それが限界ですよ。了簡変えたのに、昔の悪さをあげつらって更生させない。というのはいけません。町山さんがしようとした事ですけどね(笑)。

     

     でも、それでもやっぱり『セッション』は大好きだ。


     ジャイアンの日記みたいな文体に成っちゃってますけど(笑)それには全く文句ないですよ。ワタシと好みが違うなというだけで。

      

     もし音楽で主人公の怒りが本当に浄化される映画になっていたら、もっと感動的でカタルシスのある一般的な映画になっていただろうが、こんな暗く凶暴なインパクトは残らなかっただろう。実際、『セッション』を観終わった後、ヤクザ映画を観た後みたいな暴力的な興奮に震えた。『マッドマックス』一作目でずっと憎悪を貯めこまされた最後に皆殺しで復讐した後のような。だから菊地さんは『セッション』を「危険ドラッグ」と呼んだのだろう。


     そうです。

     

     でも、この抜身の刃みたいな凶暴さは映画作家としては、買いだ。


     それは「マーケティング」や「現代」からではなく、監督個人の心の傷から出たもので、立派な作家性だ。

     

     仰る通りですよ。キチガイの映画のが良いですよ。同じキチガイでもワタシは陽気なのが好みですけどね。

      

     監督がいくら狂っていてもいい。だからこそ偏愛してしまう。たとえばマーティン・スコセッシは自分で愛を壊していく男の物語ばかり作っている。いつまで経っても救われる気配がない。オイラはそういう歪んだ男たちにより親近感を覚える。映画のなかだけは。


     でも、菊地さんは、愛するジャズを暴力と一緒にしてもらっては困るから、エイハブ船長のように戦ったのだ。


     それもそうですけど、っていうか、「セッション!」には文句言わせねえよ。という風向きを感じたんで、逆らっただけです。音楽家として。だけではなくて。


     そんな菊地さんの音楽愛がわからなくて失礼しました。私自身はやりとりのなかで、理解を深められましたが、菊地先生にとっては「だから最初から愛って書いたじゃねえか」と呆れるだけで、何も得るものもなく、ただ迷惑なだけでしたね。貴重なお時間を無駄にさせてすみませんでした。


     まさか謝られるとは思わなかったので唖然としてますし、時間の浪費をさせてしまったのは粘っこいワタシの方で、まだまだ浪費させますよ。多くの人々に(笑)。

     

     424日の新聞 日経MJに「バードマン」でドラムを叩いた、アントニオ・サンチェスのインタビューが掲載されています。

      

     彼は、外人が良くやる事ですが、インタビュアに「逆に質問があるんだ」と言って、「君は<セッション!>を見たかい?」と、逆に質問してるのね。

     

     そんで、こう言ってるの

     

    「あれはジャズの世界から見たら不愉快な作品なんだ。


    あそこで出てくるバンドメンバーで楽しそうに吹いていたヤツがいたかい?


    あんな指導法は今の音楽教育ではありえない。


    音楽とは、楽しみながら自分を解放して世界を包み込むものだ。


    だがセッションには一切それがない。古い指導法をゾンビのようによみがえらせた一種のホラー映画。


    スポ根ものとして若者が楽しむ分にはいい。だけど音楽映画じゃない」


     これを引き合いに出したのは「ジャズミュージシャンは怒ってんだぞ外人だって!!」という意味合いではないです(そんな事、言うまでもないので。みんな怒ってますよ。ワタシなんか映画批評も兼ねてるから、まだフラットな方なのよ)。

      

     ワタシ、彼の来日公演と「バードマン」のマスコミ宣伝兼ねたイベントに解説者として出たんですよ。

     

     そのとき「ワタシは、日本人の全ジャズドラマーに、<セッション!>を先ず観ろ、そして怒り狂え、そしてその後必ず<バードマン>を観て、ドラマーでいることの至福を噛み締めろ。と啓蒙しています」ってサンチェスに言ったの(笑)。 


     そんとき彼は、きょとんとしてました。ワタシの発言に反応もなかったです(この発言のみ、彼は弁が立つタイプなんで)。

      

     つまり、見てなかった可能性が高い。その時点では。 


     えーとですね(笑)、このインタビューがいつ行われたのか分らないんですけど、彼がブルーノート東京で最終公演をしたのは4/17ぐらいだったと思います。

     

     彼の性格から想像するに(想像ですよ。想像も当たれば現実ですが)、公演の途中でインタビュー受けないと思うんですよね。

      

     つまりですね、彼はワタシの話し聞いて、東京で「セッション!」観た可能性は、ゼロではないですね(笑)。

      

     ごめん町山さん、オレ影響力あったかもしんない(笑)。

      

    (楽しかったです。有り難うございました)



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