かなりの「良質ないかがわしさ」を讃えたまま、恐らく後世に名を残すだろう「21世紀のアカデミー最優秀作品賞(他にも、監督賞、脚本賞も)受賞作品」になるであろう、「バードマン」については

 

(1)試写を見た直後。事務所のFB

 

(2)アカデミー賞授賞式の直前と直後

 

(3)本作でOSTのドラムソロを担当している(厳密には1人ではないけれども)アントニオ・サンチェス氏の来日公演と、それに合わせた「バードマン」のマスコミ記者会見の際に、解説役を仰せつかったので、その時に、海外プレスも含んだ記者達様に書いた草稿(これを読み上げました。ワタシは壇上で喋る時に草稿を用意しないタイプなので、始めて書いた草稿です。因にこれを読み上げている映像、並びに、サンチェス氏の生演奏、その後のワタシとの対談、の模様は、有料世界で観れます)。

 

 と、今の所(雑誌「UOMO」の連載「売れてる映画は面白いのか?」でも扱っていますが、それはアップ出来ないので)3つの短文を書いているので、取りあえずそれを並べた上で補完分を書き、やや散逸的な準備稿とします(言いたい事は伝わると思いますが)。

 

(1) 2月6日 <「バードマン」100点満点超>

 

若干取り乱しているので、落ち着いて書く事を心掛けますが、さっき20世紀フォックス試写会場で「バードマン」のマスコミ試写を見ました。

終わってすぐに事務所に戻れず、試写会場の向かいのカフェでクロックムッシュウでローヌの赤をやり、なるべく落ち着いて書きますが、1990年以降の作品の中では間違いなくベスト1だと思いますし、映画史に残ると思います。まだ感動にクラクラしています。

中南米マジックリアリズム文学の、明らかな継承。ガブリエル・ガルシア=マルケスが亡くなったとほぼ同時にこの作品が完成したというのは必然であると思いました。

ワタシは「嫉妬」という感情が少なく、それは人が出来てるとか性格が良いとかではなく、単に病理ですが、監督のアレハンドロ・G・イニャリトゥはワタシと同い年で、腹の底から沸き上がる、殺意の様な嫉妬を憶えるほどの才能です。

「バベル」のときは、ややとっちらかっちゃった世界感が、ニューヨークのブロードウエイに、箱庭的に整理され、シネフィルは100本もの記憶を読みが得させられながら、映画という芸術表現が、21世紀になってネクストレヴェルに引き上げられた状態を見せつけられることになります。

映画に於ける音楽のセンスも、ネクストレヴェルに上がっています。これほどセンスの良い映画音楽は聴いた事が無く、殺意に苛まれています。

脚本は4人体制、全盛期のフェリーニや黒澤と同じです。全員アルゼンチン人。もうアメリカから新しい芸術が生まれるのは南米の移民からしかないのかしら。日本は移民が極めて少ない国なので、バカに成ってしまったと思いますし、これからもっともっと移民を増やして行くべきだと思いました。評を書くので、長文が読めるという超能力をお持ちの方は「ビュロー菊地チャンネル」にご入会もしくはその記事だけお買い求めください。

カフェからすぐに菊地凛子さんにメールしましたら(前述の通り「バベル」の監督なので)「いまベルリン(映画祭)にいますが、話題になってますね。配給はどこですか?」という返事がすぐに戻って来ました。

配給は20世紀フォックスです。この作品がアカデミー賞を逃したら、もうアカデミー賞は(「セッション!」という愚作にGPを与えたサンダンスと並んで)信用しません。

公開は4月です。お見逃しなく!!!!!

 

 

(2)2月23日 「第87回アカデミー賞直前予想(「直前」はギリ挫折)

(3)先日から凛子さんはLA入りしており、要するにあのハリウッドの祭典の前夜祭的なパーティー三昧になっているようなので、「一番高いビルの屋上に登って空中から散布して下さい」といって、「戒厳令」を3000枚(日本国内で売れた総売上よりやや上)彼女のホテルに届けました。

 

 という訳で、日本時間であと10時間もすると発表になってしまうので、まあ、ガチ予想する。という話ではありませんが(後述しますが、そもそもノミニーを全作は観ていないので)、ちょっとした遊びとして、あくまでワタシなりの予想と、ノミニーの評を書いてみようと思います。

 

 (中略)。 
 


 ワタシが観た作品は 
 

「アメリカン・スナイパー」

「6歳のボクが、大人になるまで」

「セッション」

「バードマン」 
 

の5作品で、未見なのは 
 

「グランド・ブダペストホテル」

「イミテーション・ゲーム」

「セルマ」

「博士と彼女のセオリー」 
 

の4作品です(後注*その後「セルマ」以外は総て映画館で見ました「セルマ」は日本での公開のめどが立っていません。この事に関しても言いたい事は山ほどあります)。



 

 

 (中略)いくら遊びとはいえ、半分しか観ていないのにも関わらずこうやって発進してしまうのは、ワタシのダントツイチオシが「バードマン」で、実際に受賞するかどうかは兎も角、1990年以降の映画の中では最も優れている、映画史をアップグレードさせた名作で、今回のノミニーの中でもブッチ切りの出来だと確信しているからです。

 各評ともネタバレが含まれますので、お読みに成る方はご注意ください。

 また、書き始めが日本時間2月22日の21時なので、書いているうちに授賞式が始まり(後注*ワタシはWOWOWに加入しており、実況中継と追いかけっこをしながら書いていたのです)発表されてしまい、発表後にサイトにアップ。という事になるかも知れませんが、その時はまあ、時間掛けすぎてせっかくの遊びが台無しになった。と思って下さい。 
 

  (中略)
  

 <授賞式を終えての追記>

  
(「バードマン」は作品賞/監督賞/脚本賞という、作り手側の主要三章を受賞。「英国王のスピーチ」以来4年ぶり。とはいえワタシの主観では、「英国王のスピーチ」も、その前年にやはりこの三賞を受賞した「ハートロッカー」も、「バードマン」と比べたら「素晴らしい良作」に留まる)

(因みに「セッション」は助演男優賞と録音賞(吐き気のする怒鳴り合いが高音質で録音されていたから。と思われる)、「アメリカンスナイパー」は音響編集賞(ダイナミックな戦場の音場を5・1サラウンドで忠実に再現していたからだと思われる))。
  

 <中略>
 

 という訳で、「授賞式直前までにアップ」という遊びが挫折した、我ながら長いテキストでしたが、今、同時中継を見終えて、非常に満足しています。ああいうものは伏魔殿ですから、どんなに良い映画でも落とす事がありますが、まあ「バードマン」に賞を与えなかったら、アカデミー賞なんか来年からなくなっても構わないと思っていました。

 本文中でも触れましたが、総ての地球上のジャズドラマー、1人残らずに、この映画を観てもらいたいです。監督賞も受賞したイリャニトゥは、受賞スピーチで(ワタシの聞き取りなんで、60%ぐらいですが)「これは移民が撮った映画だ。移民の力を見てもらいたい」と言い、アメリカの移民排撃の動きを牽制しました。

 昨日の田中康夫サンとの対談で、ワタシは「移民政策に成功した国はローマ帝国以来ひとつもない」とおっしゃる田中先生に「その通り、ですから移民が必要なんです。ワタシはこの国が、混乱や破綻のリスクを負っても移民を入れるべきだ。今の問題の殆どは移民がいないからだ。と考えています」と申し上げました。イリャニトゥ監督に勝利のエールを送ります。

 凛子さんには「もしイリャニトゥに会ったら(凛子さんの出世作「バベル」の監督なので)<ファック。お前は映画史をネクストレヴェルに引き上げた>と伝え、「戒厳令」を渡して下さい」とメールしましたが、「戒厳令」だけでなく、総てのDCPRG、ペペのCDを渡してもらいたい。同じ移民の同胞として。

 

(「バードマン」のまとまった評は、有料世界「ビュロー菊地チャンネル」に掲載しますのでお楽しみに)  

  

(3)4月13日 「アントニオ・サンチェス来日記者会見」での草稿
  

 お集りの記者の皆様。菊地成孔と申します。ワタシはジャズミュージシャンであり、映画音楽も手がけさせて頂き、また、映画を含む、いくつかのジャンルで研究所を出させて頂いております。本日はこの、ともすれば閉塞しがちな、アメリカ映画界の経絡に針を刺し、映画史自体を更新するような偉大な作品の解説を仰せつかり、大変光栄に思います。

 

 誰でも楽しめる娯楽作品であり、かつ文学的にも美術的にも先鋭的なアートでもあるという、古くはエイゼンシュタインからオーソンウエルズ、フェデリコフェリーニに至るラインを本作は継承しており、非常に多角的な高価値を持つ作品です。

 

 映画批評はもちろんの事、アメリカでの演劇文化、ノーベル文学賞受賞者のガルシア・マルケスに代表される中南米マジックリアリズム小説、そして何より、合衆国の音楽史の中で、あらゆるカラードやミックスブラッドの人々が牽引して来たジャズ・ミュージックを音楽に使う、そうしたマッシュの斬新さに於いて、本作は比類なき物があります。

 

 多くの有識者や映画ファン、何よりもオスカーを決定するアカデミー会員達が本作を、様々な立場から支持し、語りうると思いますが、本日ワタシがこの大役を仰せつかったのは、何よりもワタシ自身が、映画と映画音楽の批評家でありながら、本業がジャズミュージシャンであるという点からだと思われます。

 

 すでに一般公開が始まっており、様々なメディアにストーリーの紹介がなされていますが、「昔、<バードマン>というヒーロー物で天下を取った後に忘れられ、壮年になってから、ブロードウエイの名門である劇場でレイモンド・カーヴァーの戯曲を上演する事で、人生の更新を図る主人公役に、実際にほぼ同じ目に遭ったマイケルキートンを主演させる」というメタ構造によるキャッチーさや、「マーヴェル物やハングオーヴァー等の娯楽大作に出ているスターが多数出演しており、<バードマン>というキャラクターが活躍するヒーローものだと思われ易い」といった、本作のプロモーションのフックになる、きらびやかな側面が、見終わった後にはほとんど問題ではないと思われる程の高い完成度を持っており、私見ですが、私は本作を、常に合衆国のアングロサクソン文化に対して批評的であろうとする移民カルチャーが、ハリウッド映画界に久しぶりで快心の一撃を与えたと思っています。

    

 実際に、今年のアカデミー賞の授賞式では、作品賞のプレゼンターであるショーン・ペンは、イリャニトゥ監督の名を呼ぶ直前に「こいつにグリーンカードをやったのは誰だ」という洒落たジョークを飛ばしましたし、イリャニトゥ監督は、受賞スピーチのなかで(後注*この段階では「授賞式の字幕有り版」も見終わっていた)、先ずは「メキシコ政府が、国民にとってより正しいものになってもらいたい」と、メキシコ政府の不安定さに対する批判を行い(後注*メキシコ総選挙は2012年に行われ、保守系制度的革命党のエンリケ・ペニャリエトが若きーー現在48歳――大統領就任し、政治の浄化を掲げるも、まだまだ混迷を極めている)、その後に合衆国の移民政策(どんどん悪く成ってます)への苦言と、「この国の文化を支えて来たのは移民だ」「ここは、偉大なる移民の国です」と述べ、スタンディングオベーションを受けています。

 

 脚本もオスカーを受賞していますが、監督を含むアルゼンチン人4人体制によるもので、「21グラム」「バベル」で組んでいた脚本のパートナー(ギジェルモ・アリアガ。メキシコ人)との関係を解消したのは大成功です(*後注。実際には「バードマン」直前の「ビューティフル」から解消して3人体制になっており、その段階でワンステップ良く成っているのですが、「バードマン」ではアーマンド・ポーだけを残した新たな4人体制に)。

 

 ブレイクスルー作である「バベル」も多国籍性を押し出していましたが、その前の「21グラム」も同じで、地球規模で壮大に拡大する世界観、「死とは何か?」といった、たじろぐぐらいな深遠なテーマ性から一転し、ハリウッド娯楽映画界からブロードウエイ演劇界、その劇場があるタイムススクエア一体、バックヤードも含めた劇場内、と、どんどん狭く、胎内的、箱庭的とも言うべき「狭さ」を描く事で、そしてアングロサクソン文化の中枢とも言うべきポイントに標準を定め、移民性を際立たせる事によって、総てが逆転的に大成功したと思います。

  

 我が国には移民や混血者が少なく、移民によるカルチャーの発達が乏しいので、本作を紹介し、解説するのは構造的な難しさがありますが、この作品は素晴らしい在米移民のカルチャーの中の再上質の物です。キューバと合衆国の国交再開が話題となり、アフロアメリカンの公民権が公布されて50周年でありながら、状況はむしろ悪くなっている。という合衆国の状況に対して、予見的かつ批評的な作品とも言えるでしょう。

 

 この不思議な物語が、さきほど名前を出した、ノーベル文学者受賞者であり、中南米マジックリアリズム文学の代表者、ガブリエル・ガルシア=マルケス氏が亡くなった年に製作開始しているのは、全く無縁であるとは思えません。ハリウッドのブロックバスター的娯楽大作主義と、インターネットという、人々から複雑な多弁性を剥奪し、知的にも感性的にも家畜化を促す、ファシズム準備的なドラッグによって、物語の解釈が強く一義的で、ネットで簡単に説明出来る事がミッションになりがちな現在に於いて、主人公の自己更新を阻もうとする、<過去の栄光>の象徴であるバードマンが、実在するのか、主人公の幻覚、幻聴なのか、主人公が持つ超能力が、妄想なのか実在の物なのか、総てはどちらにでも解釈出来るように物語は進みます(後注*本作に於けるバードマンの存在や超能力の存在を疑いなく一直線に「妄想」とする解説/批評が多いのですが、ハリウッド娯楽大作の見過ぎです。ここでのリアル/アンリアルは、ガルシア・マルケスの小説の様にーー文字通りーーー空中に浮いたままです)。

  

 いわゆるネタバレになりますが、ラスト、主人公が本当に空を飛んだのか、主人公は自殺したのか、その決定的な表現を、本作は決然と避けています。  

  

 通常は、そういった曖昧さは回避されるべき、もしくは百歩譲って「見た者一人一人が決めれば良い」という事になりがちですが、本作の真の価値は、見終わった後に、一人一人が「決めなくても」良い。つまり、そういう事はどうでも良いのだ、リアルとアンリアルというのは、重要な問題だが、巷間描かれる程簡単な事ではないし、豊かな中間領域がある。重要なのはそこではない。と思わせしめる所です。

 

 そして、そうした作品に、イリャニトゥ監督が、音楽として選択したのは、ドラムソロでした。

 

 そもそもドラムセットという楽器は移民的かつ混血的です。ジャズで使われる楽器の中だけでも、ピアノやコントラバスやサキソフォン等はヨーロッパの産物をそのまま使用していますが、ドラムセットは様々な国の打楽器をミックスして出来上がっています。
  

 演奏したサンチェス氏は錚々たるキャリアを持つドラム奏者ですが、本作での演奏はおそらく氏のキャリアの中でも最も優れた演奏のひとつとなるでしょう。
  

 合衆国という大国、映画産業という巨大産業、演劇界という世界、ブロードウエイという街、その中の劇場、そして主人公の、分裂した心の中、という、マトリョーショカのように、極大から極小へとフラクタル的に連なりながらも一貫した、「胎内」を、ワンショット撮影で巡る(後注*厳密には「ワンショット撮影風」なだけで、数度カットが切れているのは明確に分りますが)、胎内巡りの側面を持つ本作に対し、サンチェス氏の演奏は、バスドラム最低音からシンバルの最高音まで、総ての音域をカヴァーする、ドラムセットという楽器が、単なる賑やかしの道具や、ピアノや管楽器の伴奏楽器ではなく、それだけで胎内のように、ひとつの世界を総て表現出来る深淵さを持った楽器だという事を観客に知らしめます。

  
 ハリウッドのビッグバジェット作品の映画音楽というものは、ともすれば豪華なオーケストレーションや流行歌、過去のヒット曲の選曲等、動脈硬化を起こしがちになりますが、本作の、信じ難いほどの瑞々しさは、アートと娯楽映画の融合という血脈のルネッサンスによって映画史を更新しますが、そこにはサンチェス氏の演奏が不可欠だったと言えるでしょう。

 

 過去、ジョン・カサヴェテス監督が、ジャズベーシストの巨匠、チャールズミンガスのベースソロだけを使用した事をはじめに、<ひとつの楽器の独奏、しかもジャズの即興>というケースはいくつかありますが、「バードマン」はそれらの歴史をも更新したとハッキリ断言出来ます。ジャズに対するリテラシーが全くなくとも、多くの人々が画面と演奏の融合に心を奪われるでしょう。

 

 サンチェス氏は、チック・コリア、ゲーリー・バートン、そしてパットメセニーといった巨匠のバンドでドラマーを務めて来ましたが、今回、自らのグループではじめて来日公演を行います。氏を紹介出来る事を誇りに思います。拍手でお迎えください。そして、短い時間ですが、どうかご堪能を。アントニオ・サンチェス氏です。

    

(サンチェス氏登場。スクリーンを見ながらドラムセットを演奏)

 

<演奏後の対談に於ける質問の草稿>

    

Q
 ある作品を賞賛する為に、他の作品を貶める事は品位に欠ける事であると承知の上で申し上げますが、ワタシは日本の総てのジャズドラマーに、今年のオスカーノミニーの作品中で「セッション(whiplash)」と「バードマン」は必ず観るように呼びかけています。そして、前者ではジャズドラムの合衆国、ひいては世界的な無理解を嘆き、後者すなわち本作で、自身と誇りを取り戻し、大いなるイマジネーションを受けるように呼びかけています。

 

<サンチェス氏の解答要約>  無反応(「ん?」みたいな感じできょとんとしていた・笑)

 

Q
 ドラムソロは誰のアイデアですか?もし監督からだった場合、あなたはその提案をどう思いましたか?

 

<サンチェス氏の解答要約>  「監督のアイデアだよ。夜中に電話がかかって来て、次の映画は全部ドラムソロでやるから叩きに来てくれ。と言われた。二つ返事で<OK。すぐ行くよ>と言ったね」

 

Q
 録音の状況を教えて下さい。演奏に引けを取らぬ、本当に素晴らしい録音技術ですね。

 

<サンチェス氏の解答要約> (マイク等の技術的な話しなので割愛)

 

Q
 目の前で演奏している様なリアルな音質感も素晴らしいですが、何よりもミニマルでクールでありながら、躍動的でグルーヴィーな演奏と、総ての周波数帯域を持つドラムセットという楽器の豊かさを再発見しました。観客は、ドラムセットという巨大な胎内に入り込んで、胎児まで退行するのではないでしょうか?

 

<サンチェス氏の解答要約> (非常に嬉しそうに)「有り難う。その通りだ」

 

Q
 クレジットには「ドラムスコア」とあります。あなたは作曲家でもありますが、本作での演奏に、作曲の要素はありますか?

 

<サンチェス氏の解答要約> 「即興と作曲は、私の中では区分されない。即興はリアルタイムの作曲だよ」

 

Q
 あなたの祖父上は高名な俳優と聞きました。映画に何カットか登場するドラマーはあなた自身ですか?

 

<サンチェス氏の解答要約> 「残念ながらノーだ(笑)。あれは俳優だよ」

 

Q
 ジャズのドラムソロ演奏の歴史にはマックス・ローチの「永遠のドラム」以来、優れた歴史がありますが、本作のオリジナルサウンドトラック盤はその歴史も更新したといっても過言ではないと思います。本作について、日本の映画ファン並びにジャズファンにコメントを下さい。

 

<サンチェス氏の解答要約> 「素晴らしい映画に参加出来て光栄だ。アレハンドロは天才で、カリスマがある。彼のそんな力によって、私は確かに自己更新を遂げたのかもしれないね。多くの人々に見てもらいたい。癖のある作品だけど(笑)」

  

Q
 ご自分のグループでの初来日に、我々音楽ファンは大きな期待を満っています。シンプルなカルテット編成ですが、気鋭のプレーヤーばかりですね。どういった音楽に成るか、少しだけ教えて頂けますか。

    

<サンチェス氏の解答要約> (余りにジャズオリエンテッドな解答のため割愛)

    

Q
 多くの観客が訪れると思います。日本のジャズファンにコメントを下さい。

  

 <サンチェス氏の解答要約>  「日本のホスピタリティは本当に素晴らしい。私は日本の皆さんを愛している。親切だし、外国人に優しい。ジャズミュージックを尊敬してくれている」

  
会見の模様はコチラからもどうぞ!


 と、ここまでは、完成稿の為の資料だと思って下さい。後日、総てを包括させた批評を書こうと思います。というか、とにかく観てみて下さい(勿論「オレはぜんぜんつまんなかった」という方もいらっしゃるとは思います。ワタシは確約しているのではなく、リコメンドしているだけです)。

  

 「バードマン」は演劇とアメコミを含んでおり、既に演劇関係者とアメコミファンからの批判があると聞きましたが、それは本当に的外れな物です。ジャズ、中南米文学、それを原作にした映画(「蜘蛛女のキス」「エレンディラ」等々)、そこに影響を与えた、或は受けた映画(ルイス・ブニュエルの全作品、冨永昌敬の初期作品、ホン・サンスの作品、等々)を愛する人々には「この系列で、ここまでパワフルにラティーノにやれるのだ」と驚嘆するに違いありません。

 

 「おまえは<セッション>のジャズ描写にケチつけたろ。<バードマン>にケチつけた演劇関係者とアメコミマニアと同じだろ?」という、ネット離乳食しか喰ってないお陰で、知恵遅れになった上に、なんと偉そうになってしまった(ネットと繋がっただけで、無償、無資格、無審査で自動的に得られる、地球上で最も安い「偉さ」)恐怖の「万年赤ちゃん人間」も多々いらっしゃると思いますが、ベビーカーに飛び乗って、勇躍映画館に赴き、試しに見比べて下さい。見比べても分らないんだったら、ワタシの文章なんて、以後、何を読んでも苛立つばかりでしょうから、一生読まないで下さい。ワタシは悪い提案をしているのではありません。互いの精神的な健康の為にも、我々は無関係に成るべきです。「ネットにあがっているんだから、読んでしまう」と、平然と言って疑わない人がいますが、「酒が置いてあるから飲んでしまう」ではアル中です。あがってたって読まなければ良い。

 

 と、ジャイアンまちゃ君の保安官ごっこのお陰で、「そもそもの論戦のやり方」にばかりフォーカスが絞られてしまい、心苦しく思っていますが、ワタシは「ジャズメンとして、ジャズサイドから、<セッション>のジャズ考証にケチをつけ、<セッション>を愛する人々をジャズも分らないバカ扱いしている」のではありません(まちゃ野郎責任取れよな)。

 

 ジャンルムーヴィーに専門家がケチを付けるなんて話は腐るほどあります。「ブラックスワン」には、確かフランスだったと思いますが、バレエアカデミーが抗議した記憶がありますし(曖昧)、「ロッキー」をあざ笑うボクシングマニア(あざ笑う方がバカ)、「ドクターなんとか」みたいな超人医師が主人公のテレビドラマを実際の外科医は観ない、実際の探偵は探偵物をリアルと思う訳がない、実際の料理人が「ミスター味っ子」を(マンガとして)楽しんでみている。といった、グレードこそ異なれど、同様の問題は、常に存在し、「野暮ったいよそれは」というレヴェルから「いやあ、それは言った方が良いよ」といったレヴェルまでいろいろあると思います。

 

 そして、「セッション」のジャズ描写は、確かにダメダメなんですけど、ワタシがあの映画が嫌なのは、そんなちっこい理由だからではないです。ジャズ考証がダメな映画なんて腐るほどある。イーストウッドの「バード」ですらダメダメなのです。ワタシはバカですが、それにケチをつけて興奮する様なバカではないです。

 

 「セッション」に関しては、「完成稿」に、完璧に総てが書いてあり、我ながら何と素晴らしい映画評なのだろう。と感心する事しきり。なのですが、「読みずらい」「分りずらい」「文章が下手」という(笑)、ご指導ご鞭撻のお声が多く、書籍化する際、幼児用(6歳まで)に書き直した物を載せようと思っています。タイトルは「西部劇の出来、不出来がわかってしまうインディアン」。
  

 という訳で、「バードマン」の完成稿を上げたら、他のノミニーへの批評(もう「セッション」ほど不快な作品も、「バードマン」ほど偉大な作品もなく、リラックスして書ける物ばかりですが)は有料世界のみに提供したいと思います。  
 

          <それでは告知!!>

  
  

1)5/22 JZBrat 菊地成孔ソロ  

は、リズムセクションがfuyu&鈴木に戻りまして、日本語のオリジナル新曲を大量投入します(要するにアルバム作るため)  

2)今年の誕生日(6/14)はジャズドミュニスターズですが  

プレゼント禁止。持って来た奴は手首から切り落とす笑)!!!
  

3)ペペトルメントアスカラールの初DVD作品  

 「歴史は夜作られる〜<菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール>による、グランドキャバレー奪還のためのタキシード着用による10年戦争〜」  

 が6/17にリリース。2枚組。  

 「ブエノスアイレス取材(04)」「モロッコ取材(05〜6)」の秘蔵映像を含む、かなりの長編です(それでも2枚組にするのに超大変10年分あるから)  

 もう、ほぼほぼ納品なのですが、かなりヤバいですこれ。    

4)ペペトルメントアスカラール結成10周年コンサートは
  
 初日の6/20が「ゲスト無し、ヴォーカル無し、の完全インストメニュー」

 2日目の6/21が「歴代ゲスト全員登場(カヒミさん除く)の、ほぼ完全ヴォーカル&ラップメニュー」

 です!  

5)7月のdCprGツアーですが(いまから凄い事言うから驚かないでね)    

15日新宿と16日仙台は正規メンバーで行きますが  

22名古屋と23大阪は、ギターの大村君がスケジュールの都合で出演できなくなりました!  

大村君のファンの方で、チケット買っちゃった方はごめんなさい!!   

そこで、名古屋と大阪は  

 「誰でも知っている有名ギタリスト」  

 が助っ人で参加してくれることになりました。名前はまだ言えませんが、言ったら軽く仰け反ると思います(ヒント、アコギの人ではありません)。
    

6)オレだけがそう思ってる名著「ユングのサウンドトラック」が
  

 大幅に加筆して文庫に成ります。加筆の内容を教えてやろうふっふっふっふっふっふっふ。それは「松本人志作品の批評コンプリート完全書き下ろし」と、有料世界「ビュロ菊だより」に過去連載していた「TSUTAYAをやっつけろ!」から良い奴を抜粋した物だ!!
  

7)「もう出ないかも、、、」と思われている「今ジャズ本」ですが

 なんのなんの、一気に形勢が変わって、年内にがっつり出ることになりました。
  

8)久しぶりでテレビ出演
  

  NHKの「日曜美術館」に出ます(笑)。5/17オンエア
    

 それでは、ダブセプテットと大西さんとの対談、どちらも超満員ありがとうございました。大西さんとのクロストークは今回で終了しますが、ダブセプテットはライブにレコーディングにと活動を再開します!!
  

 ではJZBratで!ネットばっかりやってると歯が抜けちゃうぞ!!バイバイ!!!  

  

 ふー。無限に広がる無料世界の恐ろしさと酷さにガチで辟易している、念願のヤフーニューストップを飾った(核爆発的な苦笑)ワタシですが、現在「情熱大陸」以後最大の「メールボックス大騒ぎ」が続いておりまして、100%、「ヤフーニュースでアナタの事を知りました」で始まるメールがどっさどっさ届いておりまして(笑)、これは楽しいです(皮肉ではなく。殆ど総て、賛同のご意見ですし、何せ記名で直接頂けるだけで、アンチでもキチガイでも何でもみんな癒しですよね)。