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世界は子供たちの亡骸の上に築かれている。(2542文字)
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世界は子供たちの亡骸の上に築かれている。(2542文字)

2013-04-07 08:24
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Fate/stay night [Realta Nua](特典:「とびたて!超時空トラぶる花札大作戦」& 「とびだせ!トラぶる花札道中記」DL用プロダクトコード 同梱)

 どう言えばいいのだろう、どう語れば伝わるのだろう。世界について。人間について。

 ぼくはいままで一貫して「非モテだろうが、オタクだろうが不幸だとは限らない。むしろ幸福でさえある」という意味のことを語ってきたわけですが、こういうことを書くと激烈な反論が返ってきます。

 その内容はそれぞれですが、あえて集約するなら「お前は幸福かもしれないが、おれは不幸だ! ひとのことを軽々しく幸福だなんて言うな!」ということになるようです。まあ、ごもっとも。自分でそういうからには不幸なのでしょう。

 しかし、それではぼくはそういうひとたちに対しどう言えばいいのでしょうか? 「そうですね。あなたは一生不幸で救われず、あらゆる幸福と縁もなく可哀想なまま死んでしまう運命ですね。さようなら」といえば満足なのか?

 そうではないでしょう。それなら、幸福になることを目ざしたほうがいいと思うんだけれど、何といおうと「いや、おれ(たち)は不幸だ」といわれてしまう。

 まあ、どんな人生を送ろうがそのひとの自由ですから、不幸でいたかったらそうしてもいいのですが、それなら周囲を妬んで攻撃したりしないでほしいものです。「リア充爆発しろ!」。なんでリア充だからっていって爆発しなければならないか? だれに迷惑をかけているわけでもないのに。

 そんなことをいっているから、あなたは「不幸で可哀想な自分」から脱却できないのですよ、といいたい。ネタで言っている分にはいいんだけれど、ネタは気をつけないとあっというまにベタ化するものだからね。

 人間は幸福で充足した「リア充」とか「モテ」と、不幸で哀れな「非リア」とか「非モテ」に分かれるというほどシンプルには分かれていません。人間の幸不幸はそんな区分とは関係がない。

 だからペトロニウスさんは「勝ちは必ずしも勝ちではなく、また負けが負けであるとも限らない」というのですが、この価値観は伝わらない人にはまったく伝わらないことでしょう。

 「そうはいっても、勝つほうがいいに違いないし、負けたくないに決まっているじゃないか」といわれて終わり。でもね、そうじゃないんですよ。世界も人間もそんなシンプルにできていない。単純な「勝ち」とか「負け」といった二極的な価値観で語り切れないところにこそ、人生の妙味はあるのだと思うのです。

 「そうはいってもおれは不幸だ。辛くて苦しいんだ。リア充の奴らには爆発してもらわなければ気が済まない」というひともいるでしょう。しかし、それをいうなら世界には五歳で難病に倒れ死んでいく子供もいるのです。スモーキーマウンテンでゴミをあさって短い一生を終える運命の子供もいる。

 幼児期にレイプされ性奴隷として人生を過ごす女の子もいれば、少年兵士として洗脳され利用され銃弾に斃れた子供いる。もしあなたが「あいつらばっかりモテてずるい」というのなら、その子供たちは「お前らばっかり生きていられてずるい」という権利があるはずです。

 その子供たちにこそ、「お前らは卑怯だ。幸福を独占している。お前らなんかに自分の気持ちはわからない。お前らも自分と同じように不幸になってしまえばいい」と叫ぶ権利があるでしょう。でも死者は何も叫ばない。何か叫ぶことすらできない。ぼくたちの社会はそういう死者たちの亡骸の上に築かれている。

 「だからお前は我慢しろ」ということではありません。不幸比べはそういう話にしか繋がっていないということ。あなたはだれかが持っていて自分が持っていない幸福を妬むかもしれないけれど、でも、そういう自分もまた、持っていないひとから見ればうらやましくてたまらないものをたくさん持っているのだと気づいたほうがいい。

 
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> 繰り返しますが、だからあなたはマシなほうなのだ、といっているのではありません。そうではなく、ひとの幸不幸なんて簡単に比較することはできないはずだ、といいたいのです。

> 人間が生きるということは社会のカーストでランクを上げていくということじゃない。そんな貧しいくだらないものではありえない。

まさにおっしゃる通りです。
実はネット上に「女性は弱者だ」「それはカーストの下だからだ」と言って憚らない人がいるのですが、その人物にガツンとおっしゃってはいただけませんか?
……などと皮肉るのは逆効果でしょうか。
しかしあなたは「聖なる弱者」を既に特権化しておきながら、一方で別な特定の存在に対しては、今回のようなソータイシュギを説く。
やっぱりそういうのって矛盾していないでしょうか。

ぼくは以前、今回言及されたあなたの記事、「ほんとうはリア充なオタクたち」のレビューめいた記事を書きました。すると、大変なコメント数がつき、一時期は人気トップ記事になってしまいました。
そのコメントがほとんど、非常に感情的かつヒステリックな「俺たちオタクは不幸じゃない、わかったようなことを言うな!」というもの。言わばあなたの記事に対するリアクションと、その筆致はまるきり同じだが、主旨としては正反対のものでした。
これって危険だと思いませんか?
「俺って不幸だ不幸だ!」が全面的に素晴らしいわけでもないけれども「俺は不幸じゃない不幸じゃない!」の方がより危険だと、ぼくは思います。
察するにその人たちはろくすっぽ、記事を読んでもいないのですが、とにかくぼくの記事がウエメセでオタクをバカにするもののように見えたようです。
が、その中の比較的冷静な人と話すと、やはり「バカにされているようでカッとなり、乱暴なことを書いてしまった」と漏らしてくれました。
今まで男というものは弱音を吐くことを許されず、あなたのおっしゃるような「正論」にずっと感情を抑圧されてきたのです。
そこにあるのは「不幸を認めてなるか、哀れまれてなるか、何となればラノベの主人公でないぼくには、どこからも助けの手を差し伸べる者、愛してくれる者などいないのだから。」という直感です(そして残念ながら、その直感は正しい)。
そしてこれはいささか先走った想像だけれども、彼らもまた一方では「リア充爆発しろ!」とも言っているのではないか。

今回の記事を拝見して、ぼくは『吼えろペン』の流れ星超一郎のセリフを想起しました。
「あいつら(読者)は俺たちの先を行っているよ」と。

No.1 115ヶ月前

不幸な自分が好きな人っていますよね
それが楽しいうちは好きなだけやったらやったらいいと思うんですけど
あきたらちゃんとやめないとだめですよね

No.2 115ヶ月前
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