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34歳にもなって、収入は少ないわ、結婚はしていないわ、だから当然子供はいないわ、親と同居はしているわ、酒は飲まないわ、漫画ばかり読んでいるわ、とても「自分は大人だ」と誇る気分にはなれない。
しかし、そうはいっても現代においては古典的な意味での大人を放棄しているぼくのようなひとは決して少なくないでしょう。そしてそれは必ずしも悪いことではないと思うのです。
矛盾しているように思われるでしょうか? しかし、そうではない。ようは内面的に大人であり、またそうするべきときに大人として振る舞えればいいのであって、趣味や普段の行動がステロタイプな大人をなぞっている必要はまったくないということ。
そもそも50年前にはオタク的なゲームやアニメなど存在しなかやったのですから、いまを生きるぼくがその時代の大人たちのように振る舞えなくても仕方ないのではないかと思います。ぼくがやっている行動で、最も「大人らしくない」のは、たぶんオフ会でしょう。
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だからと言って大人はすごくないかと言えば「大人はすごい」わけですよ子供目線で見れば。
経験が違う、技術が違う、経済力が違う。
1つ何らかの才覚を発揮する子供であれ、市役所でパッと印鑑証明取れるか?と言えば取れないわけです。
もちろん教えれば取れるでしょう。しかし大人はそういう細かい学習を幾つもしてる。これこそ「人生経験」ってやつの正体ですよ。
何だか年下後輩へ人生の道を説くことが人生経験っぽく感じますが、むしろ実生活上では細かい人生経験のほうが役に立つ。
印鑑証明は違いますが「大人の当たり前」が子供にとっては「大人はすごい」となるシーンって結構あると思います。
海燕氏なら「車が運転できて美味しいごはんの作れる大人はすごい」がよく理解できると私は思います。