弱いなら弱いままで。
生前、ついにその指先がタイトルに届くことはなかったが、人生の終わり頃にはA級に在位し、棋界最高位「名人」を狙える立場にいた。
大崎善生『聖の青春』はその村山のあまりに短い、駆け抜けるような一生を丹念に綴った一冊。Amazonでは88人がレビューを書き、うち79人までが★★★★★の評価を付けている。
★とか★★と評価しているひとはひとりもいない。異常ともいえる高評価で、いかにこの本が、そして村山という若者が愛されているかわかる。
世の中に「泣ける」という評判の本はたくさんあるが、個人的にはこの『聖の青春』ほど泣ける本はない。読みかえすたびに頬をしたたり落ちるものがあるのである。
ひとの半分にも満たない長さの人生をだれよりも真摯に、そして峻烈に生きた村山の人生の輝きが、かれよりもはるかに頑丈な身体を持ちながら怠惰に暮らす自分を責める。
なぜ、もっと真剣に生きようとしないのか。泉下の村山からそう咎められているような気分になる。じっさいには、村山はだれも咎めもしなかっただろうが、とにかく読んでいると、いまの自分の不真面目さが痛切に感じられる本なのだ。
村山は一時期、ひとり暮らしをしていた。将棋で負けが込み、病状が悪化し、体力がなくなると、熱が出ててきめんに身体が重くなる。立ち上がることすら満足にできなくなってしまう。
そんなとき、村山は部屋にひきこもり、ひたすらに体力回復を試みる。どうするか。もちろん、ほかに手段などない。蒲団にくるまり、ただひたすらにからだを休ませるのだ。
トイレに行く体力すら節約しなければならないので、尿瓶のかわりにペットボトルを置き、用はそれで済ませる。本も読まず、音楽も聞かず、詰将棋も解かず、可能な限り何も考えないようにし、寝つづける。
カーテンを閉ざし、できるかぎり部屋を暗くして、ただ、ただ体力が戻ってくるのを待つ。長い時はそんな状態が一週間も続くこともあったという。
そんなとき、村山は水道の栓をゆるめ、洗面器に水滴がしたたるようにしておく。ぽた、ぽたと闇のなかに響く水滴の音。それだけが村山が感じとることができる生の感触なのである。
それがなければ自分が生きていることすらわからなくなってしまうのだ。村山聖とは、そんなふうにして、限りなく死に近いところで生きていった男であった。
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