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尾崎紅葉の『金色夜叉』を読んでいます。尾崎さんちの紅葉さん、いまとなってはほとんど読むひとのいない作家だけれど、明治時代には最大最高のベストセラー作家でした。
その代表作が『金色夜叉』。「ダイヤモンドに目がくらみ~」という一句を耳にしたことがあるひとも多いのではないでしょうか? 実はぼくもその一節だけ知っていました。ところが、この台詞、小説をもとにした歌謡曲に出てくるもので、原作には登場しないんですね。
あと、
「來年の今月今夜は、貫一は何處(どこ)で此月(このつき)を見るのだか! 再來年(さらいねん)の今月今夜……十年後(じふねんのち)の今月今夜……一生を通(とほ)して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ! 可(い)いか、宮さん、一月の一七日だ。來年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一は何處かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いて居ると思ってくれ。」
という芝居がかった名台詞も有名です。また、ユニコーンの『大迷惑』に登場する、カンイチとオミヤとはこの小説の主人公のことです。「僕がカンイチ、君がオミヤ♪ まさにこの世は大迷惑♪」って奴ですね。
そういうわけで、断片的にはよく知られているものの、じっさいに読むものは少ないという悲運の作品です。なぜ読まれないのかといえば、ひとつにはその文体。ためしに冒頭をぬき出してみると、
未(ま)だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠(さしこ)めて、真直(ますぐ)に長く東より西に横(よこた)はれる大道(だいどう)は掃きたるやうに物の影を留(とど)めず、いと寂(さびし)くも往来(ゆきき)の絶えたるに、例ならず繁(しげ)き車輪(くるま)の輾(きしり)は、或(あるひ)は忙(せはし)かりし、或(あるひ)は飲過ぎし年賀の帰来(かへり)なるべく、疎(まばら)に寄する獅子太鼓(ししだいこ)の遠響(とほひびき)は、はや今日に尽きぬる三箇日(さんがにち)を惜むが如く、その哀切(あはれさ)に小(ちひさ)き膓(はらわた)は断(たた)れぬべし。
るびなしではほとんど何が書いてあるのかわからないこの極端に古めかしい文体が、現代人にとってはひとつの壁になっているわけです。
紅葉が活躍した明治時代は、日本文学にとって革新的な時代でした。それまでの文語体から、口語体へ文体を刷新しようという運動が起こっていたんですね。
と、こう書くとむずかしいことのようだけれど、ようするに話し言葉と書き言葉がずれているので話し言葉に合わせましょう、と、そういうことです。世にいう言文一致運動。
紅葉はこの運動にとって最大の敵でした。何しろ、いつまで経っても古めかしい言葉遣いをやめようとはしない。書くものの中身も古くさい。
しかもそれでいてやたら文章が上手い、美しい、しかも書くものは大衆の支持を得て飛ぶように売れる、というわけで、これからは新しい文学だぜ! 自然主義だぜ! といっている人たちからは疎んじられる存在でした。
紅葉が37歳の若さで夭折したとき、ほっとした若手文学者もいたとか。
そういうわけで、明治文壇では、紅葉は「旧体制の大物」のような扱いを受けていたわけですけれど、当時最先端だった自然主義文学もすっかり古くさくなったいま読むと、クラシックすぎて逆におもしろい。とくにその内容は意外性に満ちていました。ウィキペディアには、この作品のあらすじがこう書かれています。
一高の学生の間貫一の許婚であるお宮(鴫沢宮)は、結婚を間近にして、目先の金に目が眩んだ親によって、無理やり富豪の富山唯継のところへ嫁がされる。それに激怒した貫一は、熱海で宮を問い詰めるが、宮は本心を明かさない。貫一は宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる。一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。やがて、貫一は金を捨て、お宮と再会する・・・。
金に目がくらんだ親にひき裂かれた恋人たちの悲劇、とこの文章を読むかぎりは思える。ほかのサイトでも似たように解説してあるので、ぼくもてっきりそういう話かと思っていました。ところが、読んでみると、全然印象がちがうんですよ。
まず、お宮が富山のところに嫁に行ったのは、目先の金に目がくらんだ両親のせいじゃありません。彼女自身の意思です。「お母さん、どうしましょうねえ」とぽつんと呟く彼女に対し、母親がこういいかえす場面があるからです。
「どうしょうたって、お前の心一つじゃないか。初発(はじめ)にお前が適きたいというから、こういう話にしたのじゃないかね。それを今更…………………」
この台詞を読むかぎり、どう考えても、親が無理強いしたとは思えません。はっきり「お前の心一つ」といっています。さらにその直後にはこんな台詞もある。
「お前がそれほどに思うのなら、何で自分から適きたいとお言いなのだえ。そう何時までも気が迷っていては困るじゃないか。一日経てば一日だけ話が運ぶのだから、本当にどうとも確然(しっかり)極(き)めなくてはいけないよ。お前が可厭(いや)なものを無理にお出というのじゃないのだから、断るものなら早く断らなければ、だけれど、今になって断るといったって…………………」
正論です。いいお母さんです。ね、ちっとも強制していないでしょ? それに対して、宮はこう答えます。
「いいわ。私は適くことは適くのだけれど、貫一さんの事を考えると情けなくなって…………………」
ほら、どう考えても宮自身の意思で嫁ぎ先を決めたとしか思われません。「金に目がくらんだ両親に無理やり嫁がされた」なんて、冤罪もいいところです。かわいそうな両親! では、宮自身が「ダイヤモンドに目がくらみ」、金のために貫一を裏切ったのか? これも実は考えづらい。
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コメント
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真実のラヴはどこにあるのか・・・
ビックリだ、そんな話だったのか。
なんで蹴たぐるシーンが出てくるのかいまいち分からなかったんだが、そのあらすじなら納得がいく。
未完ってことで読む気がしなかったんだけど、これは読んでみるべきだな。