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m2m2さん のコメント

上で触れている方もいらっしゃいますが、詭弁でしかないと思います。
そもそも会社の命令で仕方なく、とは言いますが、ご遺体の顔写真を撮影して何に使おうというのでしょうか?
公開できる物でも無いでしょう。
それを命じる組織に何の正義があるというのでしょうか?
無論彼らは食うために組織に従わざるを得ない。そこまでは理解できます。
じゃあ、その行いを看過して良いのか?私ならNOと答えます。
「真実を伝える」ためなら何をしても許されるのでしょうか?
個人の想いはいろいろあるでしょうが、組織がそれを我が物顔で遂行するならば
結局のところ、批判されて然るべきでしょう。
安直に「ゴミ」と罵声を浴びせる事を短絡的というなら、
マスコミ側も少しは自身を省みてはいかがなものでしょうか?
No.10
124ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
【ふたりのマスコミ】  石井光太 『津波の墓標』 を読み終えました。映画化もされた話題の作品『遺体』で有名なルポライターが、被災地で見たものについて切々と綴った一冊。  その内容はすこぶる生々しく、「感動の一冊」などというコピーで括れるものではありません。しかし、そのことを承知の上で云うなら、これは感動的な本です。ここにはむき出しの人間の姿があるからです。  あの震災の地獄がひとをどのように変えてしまったのか、あるいは変えなかったのか、その実相が綴られています。  東日本大震災は、マクロで見れば、戦後日本最大の震災という大事件です。しかし、ミクロで見ていけば、それぞれのひとにとって人生の岐路であると云える。『津波の墓標』はそのことを描きぬいた一冊です。  そのなかに、ふたりのマスコミの男の話が出て来ます。著者がブルーシートに包まれた遺体の傍らを通りがかったときに出逢ったひとたちです。   私が手を合わせて通りすぎようとすると、後ろから来た二人の男性がすっと遺体へ歩み寄っていった。社名が記された腕章をつけており、首から高級な一眼レフを二台ぶら下げている。全国に名の知られたメディアの記者だ。ズボンには乾いたヘドロがついており、ジャンパーは瓦礫が引っ掛かったのか背中の部分が破れていた。髪も埃と油でボサボサだ。きっと震災の日から着替えもせずに取材をつづけているのだろう。  二人はカメラを遺体に向けてシャッターを押していたが、しばらくすると信じられないようなことをした。あたりを見回したかと思うと、遺体を包んでいたブルーシートを剥ぎ取り、黒くなった死に顔の写真を撮りだしたのだ。遺体は腐敗のせいで全身がむくんでいる。 【かれらの事情】  これだけなら、「なんてひどいんだ!」「これだからマスゴミは!」と云って怒れば済む話かもしれません。  しかし、さすがにやりすぎではないか、と感じた著者がかれらにカメラを向けると、 
弱いなら弱いままで。
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