私が手を合わせて通りすぎようとすると、後ろから来た二人の男性がすっと遺体へ歩み寄っていった。社名が記された腕章をつけており、首から高級な一眼レフを二台ぶら下げている。全国に名の知られたメディアの記者だ。ズボンには乾いたヘドロがついており、ジャンパーは瓦礫が引っ掛かったのか背中の部分が破れていた。髪も埃と油でボサボサだ。きっと震災の日から着替えもせずに取材をつづけているのだろう。二人はカメラを遺体に向けてシャッターを押していたが、しばらくすると信じられないようなことをした。あたりを見回したかと思うと、遺体を包んでいたブルーシートを剥ぎ取り、黒くなった死に顔の写真を撮りだしたのだ。遺体は腐敗のせいで全身がむくんでいる。
弱いなら弱いままで。
【ふたりのマスコミ】
石井光太『津波の墓標』を読み終えました。映画化もされた話題の作品『遺体』で有名なルポライターが、被災地で見たものについて切々と綴った一冊。
その内容はすこぶる生々しく、「感動の一冊」などというコピーで括れるものではありません。しかし、そのことを承知の上で云うなら、これは感動的な本です。ここにはむき出しの人間の姿があるからです。
あの震災の地獄がひとをどのように変えてしまったのか、あるいは変えなかったのか、その実相が綴られています。
東日本大震災は、マクロで見れば、戦後日本最大の震災という大事件です。しかし、ミクロで見ていけば、それぞれのひとにとって人生の岐路であると云える。『津波の墓標』はそのことを描きぬいた一冊です。
そのなかに、ふたりのマスコミの男の話が出て来ます。著者がブルーシートに包まれた遺体の傍らを通りがかったときに出逢ったひとたちです。
【かれらの事情】
これだけなら、「なんてひどいんだ!」「これだからマスゴミは!」と云って怒れば済む話かもしれません。
しかし、さすがにやりすぎではないか、と感じた著者がかれらにカメラを向けると、
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
コメント
コメントを書く解決手段は
・電波法を変える
…外資による参入。 ただ法改正とか無理でしょ(笑)
・株主になる
…ネットで有志を募って大株主になる、とか?
・インターネットを盛り上げる
…インターネットを面白くしてテレビとか見ないでもエンタメ分は満腹に。
くらい。 他には思いつかなかった。
ネットを盛り上げるのが現実的かなあ。
ニコ生とかは将棋と組んだり確実に面白い方向に向かってると思う。
ニコ生のシステムをYoutubeくらい一般人にも使いやすくして
(一般的にはニコニコってだけで印象悪いし)しかも画質が良くなれば…
といったところでしょうか。
まだまだ通信速度(画質)的な制限でテレビをこすのは難しいというのが現状だと思う。
アメリカだとGoogleが超高速ネットとかやっててそれだとどうなるんだろう?ってレベル。
そして日本ではネット媒体のベンチャーってあんまり出てこないですよね。
クックパッドとかnaverとかmixiとかはあるけれどgoogleとかamazonには勝てない。
となると50年単位ではテレビ業界に一石を投じるのはきついかなあ。
あえて言おう、詭弁であると。
まぁ彼らもそれが仕事でしかないですからね 批判することは悪くないんですけどね まぁでもこの時代、日本人全員に長年のストレスを抱えていて、それが爆発せんとするいま、そんな理性を求めるのは非常に難しいと考えますね
こんなことを続けてれば収益に響くだけの話で、石を投げるまでもないと思いますね。
「ホントはやりたくないけど、社命だから」という理由では、
卑劣な行為を正当化することはできないと思います。
上で触れている方もいらっしゃいますが、詭弁でしかないと思います。
そもそも会社の命令で仕方なく、とは言いますが、ご遺体の顔写真を撮影して何に使おうというのでしょうか?
公開できる物でも無いでしょう。
それを命じる組織に何の正義があるというのでしょうか?
無論彼らは食うために組織に従わざるを得ない。そこまでは理解できます。
じゃあ、その行いを看過して良いのか?私ならNOと答えます。
「真実を伝える」ためなら何をしても許されるのでしょうか?
個人の想いはいろいろあるでしょうが、組織がそれを我が物顔で遂行するならば
結局のところ、批判されて然るべきでしょう。
安直に「ゴミ」と罵声を浴びせる事を短絡的というなら、
マスコミ側も少しは自身を省みてはいかがなものでしょうか?
正当化してるだけ 組織を潰すか法律を変えるしかない 個人の意識じゃどうにもらない
そんな命令を出す会社はやっぱりゴミ
全体をマスゴミと揶揄してるわけでもない。そもそも毎日の変態英語版記事騒動から始まったネットスラングであり、メディアの社会的責任をまったく取らないマスコミの中でもゴミのような連中という特定のメディアをさす造語で、ネトウヨなどのレッテル張りに対するカウンターでもあった。
それにしても記事の展開はまるでイアンフ問題はあくまで強制連行が問題だったのに女性の人権問題であるとすりかえて強弁する朝日のような論理に近い。石を投げられる(批判される)覚悟なしに公開の場で発言すべきではない。表現の自由とは批判する側もされる側も平等にあるのだ。
当然この記事の記者(ブロ主)も覚悟している人間であると信じている。
もったいぶって書かれたわりには
課金してまで読む価値のある話ではなかったなぁ
という気持ちです。