• このエントリーをはてなブックマークに追加

toriさん のコメント

むずかしいお話ですね。

「変えることのできるもの」と「変えることのできないもの」とがある。
それはよく分かりますが、同時に疑問も抱きます。なぜ、ライト兄弟は空を飛ぶことができたのでしょうか。イカロスは墜落したのに。彼らのなかでは「機械が空を飛ぶ」という理想は「変えることのできるもの」だったのでしょうか、同時代の多くの人間が重たい機械が空を飛ぶなんてありえない――「変えることのできないもの」と思っていたのに。

なんだかすごく自分が誤解しているような気がするのですが、「変えることのできないもの」をどうやって「変えることのできるもの」にしていくのか、事の大なり小なりはありますが、そうやっていくのが、まあ、ほら生きていくことなんじゃないかな、とか思ったりします。
……やっぱり自分の言っていることがズレている気がする。
No.5
131ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 ここ最近の記事を書いていて、「理想と現実」について考えさせられました。ぼくは一貫して「現実」の話をしているつもりなんだけれど、理想世界を前提とした話をしている人もけっこういるんだな、と思うんですね。  この場合の理想世界とは、いわば「べき」の世界です。すべての「そうあるべき」という理想が実現した世界。あらゆる弱者が救済され、あらゆる不正が根絶され、あらゆる人々が幸福に生きられる、そんな世界。  そういう世界を思い描いた上で、「現実もまたそうあるべきなのだ」と語る人は少なくないように見える。  これはある意味で「正しい」。たしかに理想としては「すべての弱者が無制限に救済されるべき」だとぼくも思う。もしそうすることができたら、それが最も正当な方策であることは間違いないでしょう。  しかし、現実にはぼくたちは有限の世界に住んでいるわけで、「全弱者の無限救済」は限りなく不可能に近いと思うわけです。理屈の上では不可能ではないかもしれないけれど、ほぼ不可能。現実的ではない。  それは論理的にいって、人間社会が続く限り、どんなに科学が発達しても変わることはない真理でしょう。有限の資産で無限の救済を行うことはできないのです。  将来的にどんなに社会システムが改善されたところで、すべての人が救われる時代は訪れないに違いありません。それが現実。  これはまたさまざまなことについていえる真理です。「不完全で有限の世界で完全で無限な救済はありえない」。それがこの世界のグランド・ルール、変えることができない鉄の法則なのです。  だから、ぼくは「その現実を受け入れろ」といいます。理想世界のことは忘れ去ってしまいなさい、と。その上で、現実世界をより良くしていくための話をしましょう、と。  理想世界の倫理においては、見捨てられる人があってはいけません。「死ぬしかない」という人に対し、「じゃ、死ねば?」ということは、どんな場合でもあってはならない。  それは理想世界的には「正しい」理屈です。しかし、現実世界においては、「死ぬしかない」人を全員救済することはできません。だから、「申し訳ないけれど、あなたに割り振るリソースはもうありません。そこで死んでいってください」といわなければならないケースが出て来る。  いや、この例は正しくないかな? すべての人が経済的、医療的に救済される時代はありえるでしょう。しかし、そういう「近理想世界」においても、生きる能力がない人は生まれるだろうし、そういう人を完全に救うことは不可能だ、という話だと思ってください。  もちろん、だからといって 
弱いなら弱いままで。
愛のオタクライター海燕が楽しいサブカル生活を提案するブログ。/1記事2000文字前後、ひと月数十本更新で月額わずか300円+税!