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しゅじしさん のコメント

はじめまして。今年の6月ごろからブログを定期購読させていただいています。海燕さんの書評や映画の感想など、いつも楽しく拝見しております。さて今回の記事ですが、これは釣りでしょう。ブログを1000本書いている人が、自分は空っぽなどと思っているとは信じがたい。確かに、収入は少ないのかも知れません。私は海燕さんの容姿を存じ上げないので、それについても何も申し上げることはありません。しかし自分の人生を歩いていないだの、空っぽのわら人形だのという戯言は聞くに値しません。非モテかどうかさえ怪しいものです。モテないというのは、異性(または同性)に交際を申し込んでも、誰からも相手にされないとか、声を掛けても無視されるとか、そういう状況のことではないでしょうか。そういう機会がないのなら作れば良いのです。海燕さんは数百人の読者を持つ文筆家なのだから、結婚相談所にでも登録すればすぐに縁談が舞い込むことでしょう。いや、そんなことは全て知っているのです。生きる実感がないことに対する解決法も、孤独感の正体が何で、どうすればそこから脱することが出来るかも。自らそれを行わずにいるのです。
No.2
123ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 すっかり秋になりましたね。ぼくはようやくワードローブから長袖の服を取り出して着ています。この季節は体調を崩しやすいので注意が必要です。  今週の『3月のライオン』が爆笑の超展開を迎えていて、その話をしたいのですが、さすがにネタバレなので自粛します。いやー、おじさん、びっくりしちゃったわー。いったい何がどうしてこうなった。うーむ。  ちなみに『ベルセルク』がそれに輪をかけた素晴らしさだったので、今週の『アニマル』には満足です。展開はなかなか進まないけれど、やっぱりこれ、凄い漫画ですね。  さてさて、きょうは特に語ることもないので、自分語りをさせてもらおうと思います。どこから話したらいいものか。  そう、ぼくは長い間、自分は「他人の人生」を覗き見ることが好きで、それに特化した人間だと思って来ました。小説でも漫画でも映画でもいいのですが、他人の人生を垣間見てそこに共感することのほうが自分の人生を生きることよりも優先順位が高いタイプの人格なのだと。  じっさい、いままではひたすら本を読んでいればそれで幸せになれたのですよ。しかし、三十代半ばにして、それも行き詰まりました。いくら本を読んでいても、それだけではいまひとつ楽しくなくなって来たのです。  この世には無数の物語があり、数えきれないほどの娯楽作品が存在しているのに、それらを順に消化しているだけでは物足りない自分に気づいた。  それならどうすればいいのかと七転八倒して考えた結果、結局は「自分の物語」をアップデートしなければならないという結論に至りました。  つまり、自分の人生という物語の主役となって、自分の人生を充実させなければならないんだと。それまで放置していた自分の物語を充実させないことには、もうどこにも行けない、他人の物語を楽しむこともできない、そう悟ったわけです。  しかし、いざ、自分の人生を生きようと考えると、自分が何も持っていないことに愕然とさせられます。学歴もない、キャリアもない、結婚もしていない、恋人もいない、収入も少ない、容姿にも人格にも自信がない。通常、自尊心の根拠となるものが何ひとつないんですね。  つまり、ぼくは空っぽの人形でしかなく、何の「根拠」も持っていないだという事実と向き合わなければならなくなったのです。  幸いというか、それでも趣味はあり、友達はたくさんいるので、「これでもまだマシ」なのかもしれませんが、それにしても30年以上も何をして生きて来たのかと呆然としてしまいます。  つくづく思いました。この「自分の空っぽさ、何も持っていなさ」に直面することから逃げ、ひとを攻撃し、排斥し、侮辱し、安い優越感にひたってむなしさをごまかすことを覚えた人間が、「非モテの暗黒面」に堕ちていくんだろうなあ、と。 
弱いなら弱いままで。
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