すっかり秋になりましたね。ぼくはようやくワードローブから長袖の服を取り出して着ています。この季節は体調を崩しやすいので注意が必要です。

 今週の『3月のライオン』が爆笑の超展開を迎えていて、その話をしたいのですが、さすがにネタバレなので自粛します。いやー、おじさん、びっくりしちゃったわー。いったい何がどうしてこうなった。うーむ。

 ちなみに『ベルセルク』がそれに輪をかけた素晴らしさだったので、今週の『アニマル』には満足です。展開はなかなか進まないけれど、やっぱりこれ、凄い漫画ですね。

 さてさて、きょうは特に語ることもないので、自分語りをさせてもらおうと思います。どこから話したらいいものか。

 そう、ぼくは長い間、自分は「他人の人生」を覗き見ることが好きで、それに特化した人間だと思って来ました。小説でも漫画でも映画でもいいのですが、他人の人生を垣間見てそこに共感することのほうが自分の人生を生きることよりも優先順位が高いタイプの人格なのだと。

 じっさい、いままではひたすら本を読んでいればそれで幸せになれたのですよ。しかし、三十代半ばにして、それも行き詰まりました。いくら本を読んでいても、それだけではいまひとつ楽しくなくなって来たのです。

 この世には無数の物語があり、数えきれないほどの娯楽作品が存在しているのに、それらを順に消化しているだけでは物足りない自分に気づいた。

 それならどうすればいいのかと七転八倒して考えた結果、結局は「自分の物語」をアップデートしなければならないという結論に至りました。

 つまり、自分の人生という物語の主役となって、自分の人生を充実させなければならないんだと。それまで放置していた自分の物語を充実させないことには、もうどこにも行けない、他人の物語を楽しむこともできない、そう悟ったわけです。

 しかし、いざ、自分の人生を生きようと考えると、自分が何も持っていないことに愕然とさせられます。学歴もない、キャリアもない、結婚もしていない、恋人もいない、収入も少ない、容姿にも人格にも自信がない。通常、自尊心の根拠となるものが何ひとつないんですね。

 つまり、ぼくは空っぽの人形でしかなく、何の「根拠」も持っていないだという事実と向き合わなければならなくなったのです。

 幸いというか、それでも趣味はあり、友達はたくさんいるので、「これでもまだマシ」なのかもしれませんが、それにしても30年以上も何をして生きて来たのかと呆然としてしまいます。

 つくづく思いました。この「自分の空っぽさ、何も持っていなさ」に直面することから逃げ、ひとを攻撃し、排斥し、侮辱し、安い優越感にひたってむなしさをごまかすことを覚えた人間が、「非モテの暗黒面」に堕ちていくんだろうなあ、と。