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antecさん のコメント

『リアルはなぜクソゲーなのか?』にも記載させて頂きましたが、『なんとか手が届く範囲の目標を設定する』『達成感を積み重ねる』の具体的な実現手法として『記録』『可視化』『掲示』があると思ってます。
『記録』  ・・・勉強時間や分量、走った距離、時間、資格の点数、定量化できるものはなんでも記録する。
『可視化』 ・・・記録した結果をグラフ化して、どれぐらい伸びてるのか体感的に視覚的に分かるようにする。
         例えば英語だったら定期的にTOEIC受験してみて点数などを努力の達成状況を計る物差しとしても良いでしょう。
『掲示』  ・・・これは日本人的感覚だと躊躇するところですが、私はSNSで上記記録を実名入りで公表してます。
         見た人は若干引くのは承知の上でやってます。ぶっちゃけ人様の目にどう映るかとかどうでもよくて、
         掲示する事で、自分のプライドや虚栄心に働きかけ、引くに引けない状況に置くのです。
         『目標や実績を人の目に見える場所の掲示する』というのはプロジェクトマネジメントの
         かなり基本的で有用な手法です。仕事でよく使ってます。こうかはばつぐんだ。
No.5
114ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 おがきちか『パルパル&ロケッタ』を読む読む。  玉の輿を狙う乙女勇者のパルパルの冒険を描くライトなファンタジー。  どうということはない話ですが、さすがに面白いです。  『Landreaall』のほうはいまいち停滞気味の展開だけれど、この先、どう動くか楽しみではある。複雑化する一方の物語が解決を見る日は来るのだろうか。  さて、前回の記事に続き、きょうは「自由」の話をしたいと思います。  きのうは「選択肢の多さ」こそ自由であると話しました。  ひとは一般に自由を目ざし生きるものです。つまり、取りうる選択肢を増やしていくことが人生のひとつの目標であるということになります。  幼い頃、ひとは大人の管理下にあり、行動の選択肢が限られています。  それが歳を経るにしたがって(責任の増大とともに)取りうる選択肢が増えていく。人生が自由になっていくのです。  もちろん、いかに選択肢が増えようとも取りうるルートはひとつしかないので、一度にいくつもの人生を歩むことができるわけではありません。  しかし、豊かな選択肢のなかからひとつを選んで生きている人は「自分の意志で人生を選んだ」という実感を得ることができるでしょう。  この自己選択&自己責任の実感こそが「生きている」という感覚そのものであるのだと思います。  もっとも、あまりにも選択肢が多い社会では、ひとは「どれを選ぶのが正しいのかわからない」という状況に陥るわけですが。  しかしまあ、とにかく基本的には「自由であることはいいことだ」とぼくは考えます。  この世界はフリーシナリオ&オープンワールドの超巨大MMORPGみたいなものです。  本来、そこに「クリア」という概念はないし、したがって具体的な「目的」も存在しない。  だから、どんな楽しみ方をしてもいいし、やりたくないことは投げ出してもかまわない。  自分の好きなことを、好きなように遊び尽くせばいい。そういう種類のゲームであるはずなのです。  もちろん、この世界に「クリア」はなくても「ゲームオーバー」は存在するので、死なないように生きていかなければなりません。  しかし、 
弱いなら弱いままで。
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