今回は山下泰平さんのブログ『山下泰平のタンブラー』からご寄稿いただきました。
■講談速記本とライトノベルは似ているか
講談速記本のことを書くと、ライトノベルと似ているという指摘を受けることがよくある。
しかし、個人的にはあまり似ているとは思えない。
例えばイラスト、ライトノベルだと、売上に貢献しているようにも思えるし、作品の内容を表現もしている。イラストのカテゴリが内容のカテゴリといったラベルの役割も果しているのだろう。
明治期の講談速記本では、事情が少しだけ変る。
講談速記本には表紙の他に一枚木版のイラストが使われている。それを貸本屋の店先に並べ広告として利用したという話がある。これはライトノベルに少しだけ、似ているかもしれない。
ただしライトノベルほど高度な役割を担わされているわけではない。絵柄は描く作家によって変化するだけで、別に内容を示してもいないし、あくまでただの挿絵でしかない。
子供向けの本にも挿絵はあるし、新聞小説にもイラストは付いてくる。とにかく今も昔も、人は挿絵を楽しんでるのだろう。
それでは文化的な立ち位置はどうだろうか?
ライトノベルも講談速記本も、あまり上等の読み物とはされていないというのは同じだ。
しかしライトノベルは、ネットには評論などが多数存在する。ところが明治に書かれた講談速記本の評論というものは存在しない。ほぼ皆無だと言い切ってしまっても大袈裟ではない。
この時点ですでにライトノベルは、講談速記本よりもずっと恵まれている。講談速記本よりは、ずっとまともに扱われている。
これに関して、さらに極端な例を挙げてみよう。
私はライトノベルはほとんど読まないが、題名を上げろと言われれば、何作かは思い付かないこともない。とにかく個々の作品が、個別に認識されていることは確かである。
これが講談速記本だと、現在個別に認識されている作品はほとんどない。講談速記本には、箕輪城大仇討ちという名作が存在する。しかし、その作品の固有名詞を知る人など、皆無といってもいいだろう。講談速記本という全体はあるが、個々の作品など存在しない。
それでは内容はどうか?
カタカナが多数登場する、会話中心の文体、キャラクターが全面に押し出されるなど、似ている部分があるように思えないこともないが、これにも事情がある。
講談速記本は小説、紙芝居、映画、漫画と、日本のほぼ全ての物語分野の創作物に対して影響を与えている。ライトノベルと講談速記本に似ているというよりも、全てと講談速記本が似ていると表現したほうが正しい。
そんなに影響力のあるものがなぜ知られていないのか
講談速記本がライトノベルのように、恵まれた文化的な立ち位置になかったからだ。
執筆: この記事は山下泰平さんのブログ『山下泰平のタンブラー』からご寄稿いただきました。
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