今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
■両論のうち一方にのみ思考を負担させる
今日、喫茶店で新聞を読んでいたらこんな内容のコラムがあった。たぶん読売新聞だったと思う。サッカーのオシム監督は戦禍にまみれたユーゴスラビア出身だ。その彼に「戦争によって得たもの(プラスのもの)はありますか?」と尋ねたという。
オシムはちょっと考えて、あると思いますがそれは言わないほうがいいでしょうと答えたという(記憶だけで書いているので細部は違うかも)。で、そのコラムの筆者は、この「ちょっと考える」ことが重要なのだと述べていた。それが戦争の重みなのだ、と。
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良い話だし、考えさせられる話ではある。でもね、あえて言いたい。やっぱこれは思考を偏らせている有害な価値観。平和に関することは気楽に語っていいけれど、戦争を肯定的に語るのは身長でなければならない、すなわち極めて高い思考力のコストを払わなければならない。そういうことだよね。つまり人間の思考を平和へと偏らせる。
戦争を肯定的に語る時に「ちょっと考える」ことが大事なら、平和を肯定的に語る時も、「ちょっと考える」ことが大事だろう。
平和に偏ってなにが悪いんだ!と多くの人は言うだろうけれど、健全な思考というのは、何者にも制限されない思考というのが俺の持論。時代によってなにが正しいかは変わる。自分が生きている時代の価値観に捕らわれてはいけない。
その時代の価値観を否定しろというのではない。まずはニュートラルな地点からはじめ、必要なら一つの要素として、その時代の価値観を考慮しつつ、最終的な結論を導く。結論はおそらくその時代の価値観と一致するものが多いだろう。やっぱ多くの人が知恵を絞って、良かれと思って作り上げたのがその時代の価値観だからね。でも、必ずしもそれと一致しない結論も生まれるかもしれない。それが次の時代の価値観になる。
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戦争と平和は対等でなければならない。平和こそ重視すべきというのは、戦前に天皇こそ大事と考えて突っ走たのと変わらない。おそらくあの時代の人々は、現在我々が平和を大事だと思うように、天皇が大事と思っていたはず。
俺が考える健全な思考とはこういうものだ。それともその時代の価値観を動かしがたい前提として、その上に自分の考えを構築するのが健全だろうか。
でも逆に、何かの拍子に日本の社会の価値観が「戦争すべきだ」という価値観に囚われたら、あなたはどうするのだろう?その価値観に合わせるのか、それとも戦争反対の持論を貫くのか。
社会の価値観なんて時として大きく変わる。敗戦の時がいい例だし、最近でいえば3.11の原発事故。小泉総理が強行した自衛隊海外派兵だって、それまで自衛隊を海外に派兵するなんて考えられなかった。でも小泉総理が反対を押し切って実行したら、もういつのまにか我々はそれが普通の感覚になってるよね。
いま平和主義を唱えている人の何割が、社会が戦争への流れになった時でも、平和主義を貫けるだろう。「グローバル化で日本の労働者は貧乏になるけど仕方ない」みたいな感覚で、「戦争は仕方ない」とか大部分の人が言いそうなんだよね。流されやすい人はどっちの方向にも流されやすい。
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冒頭のオシム監督の話。もし質問したのが日本のマスコミじゃなければ、どう答えただろう?たとえば祖国のマスコミになら、戦争で得たものを答えたかもしれない。戦争を戦って祖国に平和をもたらしたのだから、戦争は誇りだ。日本で戦争を肯定するとあらぬ誤解を受けると思ったので、言いよどんだのかもしれない。同じ時代にもさまざまな地域にさまざまな価値観がある。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年05月22日時点のものです。
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